「お祭り選挙」

「おい、この酒と料理は○○町の某家、こっちは○○会社だ、こぼさないように行けよ。それとパトカーが見えたら待機だぞ」
「おーそれはな、お前らは中を見るんじゃないぞ、いいか朝方4時ごろから、新聞配達の時間と同じくらいに配れ、こっちも同じだパトカーが来たら逃げろ、人には見つかるな、他の候補の運動員だったら顔を見られないようにして黙って一発殴っとけ」

改正公職選挙法施行前の選挙事務所の風景だが、景気の悪い街中にあってここだけは人々が激しく出入りし、若い者やうぐいす嬢、婦人会の女性から年配の古老までと大勢の人で賑わっていた。

田舎では、いやこれは日本全国同じだが、大東亜戦争が終わり、アメリカの自由主義経済が否応なしに導入された結果、それまで戦時中と言う半ば鎖国状態にあった経済システムは完全に濁流に呑まれ、木材、米などの価格が大暴落、貧富の差はあっと言う間に縮まったが、そのお陰で少なくとも地方経済は破綻した。
政府はこうした事態に新たなる経済活動として「公共事業」と言う税金による地方救済策を講じていったが、この仕組みは国会議員を頂点とするピラミッド型の、地方仕事分配組合のようなかたちになっていった。

だから地方における政治は分配された公共事業を主経済とする利益誘導手段となり、ここに国家の理想やイデオロギーなど求めようものなら「狂人」扱いされることはあっても、理解されることなど始めから無理だったのである。
国会議員、県議、市議町議、行政という流れで仕事が降りてきて、これの配分で地方経済、つまり土建業が成り立っていたのであり、この思想は今も過疎地などでは変わっていないばかりか、公共事業が減った分その内部葛藤は熾烈を極めている。

だからその地域の選挙、ことに市議町議の選挙は一般市民にとって「飯椀」(めしわん)と呼ばれ、支持する候補の当落で仕事が増えるか減るかの天国地獄、天下分け目の決戦となっていたのである。
各地域は何としても市議町議候補を出したがったのは、例えば除雪、市議がいる地域では朝起きて大雪だったらすぐ市議に電話、そうすると瞬く間に除雪車が来て道路は除雪されるが、市議がいない地域だとそれが後回しになることはざらで、ひどくなると道路整備や護岸工事、学校施設の補修まで後回しのことがあったのだ。

また田舎ではどうせ大した仕事も無いことから、親は長男を跡継ぎとして定着させる手段として市役所や郵便局、銀行、各種団体職員にさせることを第1目標としていて、その為に支援した候補にこれを依頼する仕組みも出来ていた。
今から20年ほど前でも市役所の相場は初任給1年分、特別養護老人施設職員が100万、学校の先生、つまり教員採用試験だが、これは300万と言うのが「裏金」の相場だったし、市長が土建業者に仕事の便宜を計ったときは、市長クラスだとかなり「タヌキ」だったから、業者がお礼に行くと「いやいや・・私は市長だからそのような物は受け取れません・・・が私の息子が○○の商売をしております、よろしく」で、業者はその市長の息子が代表を務めている会社でそれ相応の消費をするのだが、その相場は取得工事額の3%から10%になっていた。

これは補助金、災害復興支援でも同じことで、イベントや事業の補助を受けるときは特定政治家系列の下部組織、これは個人の場合もあるが、そこを通さなければ申請が通らなかったり、逆にイベントで配るお菓子代金が数百万ということが簡単に通っている事だってあって、この申請代行者は平然と補助金額面の15%を報酬として要求する。
つまり経済の仕組みから暮らしそのものまで政治に縛られているのだが、これは田舎が経済的に成り立っていないことを示していて、全て都会からの税金で暮らしている、「物乞い」経済なのだが、これを自覚できないほどこうした仕組みが長く続いているということなのだ。

そしてこれがまた何とも田舎らしいのだが、黒澤明監督の「七人の侍」ではないが、貧乏くさい農民がまた上手く侍(政治家)を使っていて、こうした悪事が決して表に出ないような仕組みにもなっているのだ。
だから今日書いた記事が法的に追求されると私は証拠がないので、この記事はフィクションと言うことにさせてもらうが、そう言うことでお願いしたい。

さて選挙だが、選挙を仕切る最高責任者は「事務局長」になっていて、その下が運動員だが、こうした地方市議選挙や町議選挙はとても面白い。
各地域の有力者や区の組織、婦人会、それに青年団と言う大本営の時代から続く組織の長が各構成員を束ね、候補者は大体土建業者が多かったが、これに農協や森林組合がからみ、漁協や地元医師会、企業の社長といった者まで参加していて、バトルが繰り広げられるのだ。

冒頭の風景は支援者と名乗る人や会社へ酒や料理を届け、それで支援を得るツールにしようというものだが、この支援者というのも怪しいもので、ただ酒や料理を要求するだけの場合も多かった。
また選挙では怪文書はこれもまた大事なツールで、同じ地区から出るほかの候補者の誹謗中傷、悪口などをそれらしくまとめて文書化し、それを印刷して夜配っていると警察に怪しまれることから、新聞配達の時間に合わせて、コツは全部の家庭に入れるのではなく、5軒に1軒くらいの割合で入れることとなっていたが、実によく計算された方法だった。

そしてこうしたことを実行するのが若者の役目だったが、それは万一のとき切り捨てが出来るからだったに違いなかったが、それでも若者は金が貰えて料理酒は飲み放題、何かスパイ活動のような響きに胸は騒ぎ、血肉踊るものがあった。
こうした選挙期間中は候補者の土建会社、支援団体は仕事を休んで活動し、選挙事務所には料理、酒、菓子やタバコにジュースが飲み放題、食べ放題、みんな笑顔で楽しい選挙だったことから、古老の中には「選挙と祭りはやめられん」というものが多かったが、確かに神社が選挙事務所に変わっただけのようなお祭り騒ぎだった。

選挙は「金だ」と言うのは正論だ。
大体市議選では1票5000円だが、それが投票日前日になると10000円になる。
金を渡す方法は「取りまとめ」と言う、ある程度票を持っている会社社長や有力者にまとめて金を渡す方法と、個別に秘密にして渡す方法があるが、いずれも現金取引が基本で、こうした活動は夜行われたため、各地区では道路の各所で運動員や若い者が火を焚いて威嚇的防衛をし、道路沿いの家では提供された菓子や酒を飲みながら、こうした金による投票の切り崩しを監視していた。
こう言う時期、夜タバコなど買いに出かけようなものなら、すぐ後ろを付けられて自動販売機の前で若い衆に囲まれ「何をしている、○○の運動員じゃないだろうな・・・」てなことになるのだった。

そして選挙の山場は投票日前日の夜だ、
後援会のしおりに挟まれた1万円札のセットがたくさん作られ、浮動票といわれる「金で動く」人や地域めがけて出かけ、1票ずつ買い取り、それで足りない票を補うのだが、こうした金で動く人というのは投票前日の夜はわざと遅くまで電気をつけてあって、運動員を誘導していたもので非常に分かりやすかった。
そして投票日、普段は見向きもしないお年寄りにまで「車の送迎」があり、人相の悪い若者が慣れない丁寧な言葉で、親切に投票場まで連れて行き、施設入所しているお年寄りには送迎付の期日前投票も呼びかけられていた。

選挙の当落は文字通り天国と地獄だ。
当選した候補には明るい未来が待っているが、落選した候補のところへはそれまで支持していた人すら1人も来ないばかりか、寝返りが続出し、「あの候補に加担したのは○○に頼まれたからだ、本意は当選した候補だった」などと言うことになるのだ。
仕事は減り、子供も市役所へは入れられないし、補助金も来ない、市長選なら職員の左遷まであるわけで、落選は悲惨だった。

だから負けられない選挙になって行ったわけで、争いは熾烈だったのだが、それに対して候補自体はどうかと言うと、この県議は当選したが、「私が当選したあかつきには、自動車の運転免許証の点数が無くなったら言ってください。必ずなんとかします」が選挙公約だったし、別の市長選では「私は本当は市長などしたくない、しかし皆さんの要請で仕方なく引き受けました、よろしくお願いします」だった。
まだあるがこれ以上かいても意味は無いだろう、こう言う人が候補者だったし、これは今もそう変わっていないだろう・・・現在こうして大変な事態に陥るのは必然だったと言うべきか・・・。

くどいようだが、この話はくれぐれもフィクションと言うことで・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1.  お祭りは、政(まつりごと)で本来一緒の起源でしょうから、大いに結構だと思います~~♪

    共○党他は、若い人は、いわゆる改革的~革新的だろうと勝手に思い込んで、自党に対する投票率を上げようと思って、選挙権の付与年齢を屁理屈を付けて18歳に下げたが、目論見は全く外れて、実際は何でも改革が出来る保守党に票は流れたので、今喫煙とか飲酒とか、その他法的行為についてとか、20歳でよいか18歳に下げるかは、もう興味を失って、議論にも参加していない。今共○党やその他に投票している人々は、団塊の世代以上と党員ばっかりで、選挙権を70才以上に限定すべきと目論んでいるかも知れない(笑い)

    公職選挙法の禁止項目から、「買収」は削除した方が良い、寄付も戸別訪問も全部解禁~~♪その代わり政党助成金は全廃。立候補に供託金が必要だが、その原資になる助成金を税金から勝手にばらまかれるのは、カスでも比例の候補になれると言うことになりそう、それで一旦なったら、後はやり放題(笑い)

    選挙期間以外に選挙運動してはいけないとか、ポスターを貼りだしてはいけないとかは、事実上全く機能していない。一年中、次期候補のポスターは街の塀に溢れ、選挙のずっと前から、弁士とか時局説明会とか、実質の選挙運動はし放題、これも防げそうにないし、特段普段の生活に支障は来さないから、全面解禁が宜しかろうと思います~~♪
    そんな事を100年ぐらい遣っていたら、選挙民も学習してカスには投票しなくなるだろうし、被選挙民は、選挙の結果を重く受け止めて、負けたら国民という言葉も使わなくなるかも知れない(笑い)

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      昭和50年代の選挙風景を描いてみましたが、今から考えても楽しかったですね。
      文字通りお祭りでしたし、登場人物も適度な大根役者ぶりで、尚且つ黒澤映画の農民のような愚かさや貧しさの狡猾さ、傲慢ぶりも有って、とても良い勉強になったものでした。
      でもこうした選挙の背景に潜んでいたのは田中角栄ではないですが、故郷の人々の直接の顔と言うものではなかったか、そんな気がします。
      汚職で故郷に帰る事もできないとき、妻が雪を掻き分けて深い山の中にある一軒屋までも謝りに行く。そんな姿があればこそ、あの男の為ならと思う住民が居て、何か有ればその住民の顔を思い浮かべるから、決定的な何かは裏切れない。
      しかし民主的な手法で自身に投票してくれた人の顔すら知らなければ、決定的な何かまでも平気で裏切ってしまう。
      今の安倍総理や軽薄な野党代議士を見ていると、余りにも理想的な民主主義は決して民衆の利益にはならなかった事を思います。

  2. 聞くところに寄ると、兄妹の元首相が国外逃亡中のバラマキ政策の得意な大衆迎合政党とクーデターによる軍政と、二大政党の様に(笑い)政権が交代する某東南アジアの国は、選挙になると、地方都市や首都での集会には、日当他を給付して大動員を掛けているようだし、田舎の選挙区にはB500~B1000札が乱舞して、普段使わない人が、食堂や市場で使って、活況を帯びるらしい。因みに最低賃金は地域で若干相違が有るが日当B300チョイで、これも守られてはいないのだが、選挙が有る度に、成人1人が日当の2倍から数倍の現金を入手出来る、どうせ社会が変わるわけでもないし、金持ちと貧乏人は殆ど固定していて、偶に高等教育を受けて、やや地位向上する層は出て来ているようだが、相続税も無いし、金持ち層から社会的下位層に或る程度の還元が有るようにするのは良い事かも知れない。

    日本では都市部の税金が形を変えて地方に流れ、作付け収穫という喜びと環境保全がなされる。その代わり、地方で頭の良い高等教育を受けた子弟は、都会の大企業が、給料だけで召し上げる、って事と似たような物なのに、奇特な人は、後進国の後進性とか馬鹿にしているが、先進国の「後進性」には気付いていない。実は後進性というより、富の分配方式かも知れない~~♪

    1. 記事に出てくる「免許書の点数を何とかします」と言うのが選挙公約だった県議は、その選挙では当選して、次には市議に転向、やがて議長なども歴任して今も市議をやっていたりします。また「私は本当は出たくなかったけど、よろしく」と言った市長は故人になってしましたが、今から思ってもどう返事をして良いか悩んだものでした。こうした者達が行政や議会を運営している訳ですから、地方の行く末は見えています。
      そしてこのしらけっぷりは丁度1923年の少し前、大正時代の終わりの雰囲気に良く似ているのではないかと思います。
      芥川が田山花袋が「何かスッキリした」とコメントしていた関東大震災の前も、不正と言葉に拠る政治のしらけムードが蔓延し、人々はまるで閉塞した中で、虚無感にさいなまれて暮らしていました。
      これを考えると、人はともかく自分は緊張感を忘れてはならない、そう言う事を思います。

      コメント、有り難うございました。

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