「漆の抗菌作用」

西暦1995年ごろから若年層の間に流行してきた潔癖主義は、細菌に対する過剰なまでの警戒感を社会的に蔓延させ、ここから「抗菌作用」を謳った商品が氾濫して来る事になるが、その傾向は現在でも衰えを見せず、本来生物は細菌の中で生存していると言う現実を省みる事無く、日本の社会は「抗菌道」を今も突き進んでいる。

こうした中で輪島塗の世界でも2000年前後、漆器研究の第一人者と言われていた研究者から「漆にも抗菌作用がある」とされる発表が為され、折から売り上げが伸び悩んでいた輪島の漆器業者はこれを大歓迎し、以後輪島塗は抗菌作用の効能を謳う事になるが、2005年の段階で石川県工業試験場で試験が為された結果、漆の抗菌作用は認められなかった。

漆器研究者の第一人者は漆器に付いてはアマチュアであり、単純に顕微鏡観察だけでその成分などを研究していたが、こうした事だけで研究者と名が付いてしまうほど漆の研究が為されていなかった現実は、素材の差を抗菌作用と錯誤させていたのである。

例えば豆腐と高野豆腐では成分が同じでも細菌の定着率、繁殖率は決定的な差となるが、では高野豆腐が菌を減衰させる効力を持っているのか、或いは菌の繁殖を防ぐのかと言えば、そうではない。

これはその水分含有量に拠って菌の付着率や繁殖環境が異なる為で、高野豆腐自体に抗菌作用や滅菌作用が有るわけではないのである。

同じように漆器と「焼きしめ陶器」や「素焼き陶器」では、その表面抵抗率の差に拠って初めから漆器よりも陶器の方が菌の付着率が多く、これを比較してしまうと漆器に抗菌作用が有るように見えてしまったのである。

それゆえ現在は輪島塗の世界でも抗菌作用の効能は主張されないが、ある種の希望的観測として、言い方を濁した表現で抗菌作用が謳われる場合が未だに後を絶たないのは、「水銀朱」の存在があるからで、水銀は確かに抗菌、滅菌作用が有り、輪島塗の朱色は「丹」(に)、つまり古くは水銀を使って朱色粉末を作っていた為、この水銀朱に拠る抗菌作用を想定した訳だが、例え水銀朱でも、既に水銀から朱色に変換され、それが漆に混じった状態では水銀の抗菌作用は失われている。

また黒塗りでは、生漆から水分を飛ばす「黒目作業」の段階で混ぜられる黒の成分は水酸化鉄の粉末であり、これも漆に混ぜされた時点で抗菌作用など消失している為、例え伝統的な「本朱塗り」だったとしても抗菌作用を謳う事は適切ではない。

むしろ古来から使われている「本朱」「水銀朱」の水銀が人体、主に子供に与える影響は少なくないと言う科学的研実証結果が出ている為、「本朱塗り」「水銀朱」を使った漆器は「食品衛生法」で使用が規制されていて、現在漆器に使われている朱色の大半は水銀以外の科学的精製に拠る合成朱色が使われているが、これも余りにも発色の綺麗な漆器は漆そのものが「科学合成漆」、発色剤が自動車の塗料に使われている発色剤と言うケースも存在する。

自動車塗料の発色粉末は「食品衛生法」には抵触しないかも知れないが、それとて「安全」かと言えばそうは言い切れないものがある。

天然漆、安全な漆器を求めるなら、余りにもケバケバしい色の物は避け、電子レンジ対応の漆器は漆器と名が付いていても、それは合成塗料だと言う事である。

ちなみに輪島では漆の種子を焼成したコーヒーや茶なども出ていて、一部ではこうした漆の嗜好品に発癌抑制効果を謳う者も過去には存在したが、漆の実の焼成粉末に発癌抑制効果が検証された事実は無く、同様に輪島塗で使う珪藻土の焼成粉末「輪島地の粉」でも過去、発癌抑制効果を主張した時代が在ったが、これも全く根拠は無く、逆に非水性研磨時に発生する粉末の吸引に拠る肺機能障害の恐れを考え無ければならない。

著名な発癌抑制剤、「丸山ワクチン」ですら、未だに発癌抑制剤としての承認を受けられておらず、人類は未だに毎年インフルエンザの流行に悩まされている。

この中で景気低迷、売り上げの減少と言う事情に拠って安易に発癌抑制や抗菌効果を主張する事の危険性を畏れ、自然や現実に正直である事をして、漆器の価値を高める努力が必要と言える。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 抗菌、大流行ですね、空気中の雑菌やカビ菌を殺すとかも、流行っているようですが、その割りには、乳酸菌だの納豆菌だの麹菌は、それに菌の親玉のキノコは持て囃されています(笑い)
    自分は雑菌で普段から免疫機能を高めて置いた方が良い、それよりちょっと強力な奴が来ても暫くは闘えると言う、勝手な持論で、抗菌製品は有りません。
    子供の時から、お行儀として、お茶や食事の前はちゃんと手を洗いますが(笑い)

    昔1人分の米x人口で、消費量を満たすために、干拓や湿地開発で、米の増産に努めましたが、田舎では干拓が終わらない内に減反が始まりました。それでも美味い米の販路は何とか確保できているようですが、全体的には余っているので、未だ安価な米は有りますが、その内、無くなって、貧乏なものは、米が食えなくなるでしょう、相対安価の外米を買えばよいと言う議論は、貧乏国の貧乏人から、食う物を奪うと言うことに成りかねません。東南アジアの麺類は、ほとんど米が原料ですから、日本でももっと開発すれば、田園も米も貧乏人も(俺のことか!?)守れるような気もします。

    漆器と米、一緒くたにしちゃいけませんが(笑い)、良き様式や伝統を守り発展させるために、一時の流行に迷わず、生活の中に、しっかり根を下ろしているものを、忘れないで活用してきたいものだと、思って居ります。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      例えば今、遥か銀河を旅して来た宇宙人が地球を眺めた時、彼らはこの星を鳥の星と思うか、或いは昆虫の星だと判断するのではないかと思いますが、もう一つ、地球で絶対数の多いものは細菌やウィルスであり、目には見えなくてもこの星は細菌やウィルスの星でも有ります。人間ですら彼らのコロニー状態で有り、主と従がどこに在るは本当は判断が難しい。そしてウィルスなどは半生物であり、基本的には生きてはいない。材料だけが縛って有るだけで、この材料が他の生物の細胞に入ってその細胞の力を借りて自身が増殖します。それゆえ我々はどうしてもこうしたウィルスの在り様を進化の過程と捉え易いですが、ウィルスの現実は進化完成形を超えたところに有る。つまりウィルスは自らの意思に拠って自身が独立して生きる事を放棄したものと言え、これは蜂と蟻の関係も同じですが、蟻は蜂の進化形態と言われ、しかも蟻の社会と蜂の社会では蟻の社会形態が強靭で環境耐性も大きい。環境に拠って蜂の生存が失われても蟻の生存は有り得ることになります。ウィルスにはこうした恐ろしさが有り、私などはウィルスが過去数億年前、進化を完成させ、そこから先を考えたとき、生きる事を放棄し半生物になる事を選択し、そして今があるのではないかと思っているくらいです。

      人間はこうした存在に対し「抗菌」を考えている訳ですが・・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

  2. これで正確な自信はありませんが、ボンヤリ思い出した昔読んだSFの小話擬き:-

    1.遠方から飛んできた宇宙船が、奴隷に使おうと思って、間違って、夜ブラブラしていた上野動物園の猿山の猿を10匹程掴まえたが、言葉も良く理解しないと言うことで、二度と地球には遣って来なかったので人類は安泰。

    2.別の宇宙船が、人間を掴まえたが、知能がとても低いのに、同じ檻だと喧嘩ばかりして使え無いので、二度と取りに来なかった。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      映画「マトリックス」では人間をがん細胞に例えていましたが、おそらく地球の生物は植物を含め一種族だけが繁栄すると、必ずその種は地球のがん細胞になってしまうだろうと思います。そしてがん細胞とは実は細胞の発達段階の制御不能な部分なのですが、こうした能力こそが細胞の力の源でもあり、もしかしたら古い形態の細胞繁殖形態と言う可能性も有るのかも知れません。そしてもし地上のどの種が主導権を握ってもがん細胞化してしまうとしたら、ウィルスなどの半生物だけがこうした傾向にならずに済む存在で有る事を考えるなら、彼らが過去の時点で選択した事の意義は非常に深く、卓見したもののように見えてくる訳です。

      コメント、有り難うございました。

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