「金縛り」・4

金縛りによるその後の変わった能力については男性遺伝の可能性が高く、父から男の子へ、お爺ちゃんから孫の男の子へと言う具合で、女性の場合遺伝でのこうした能力獲得は少なく、その能力が子供へ遺伝することも少ないようだが、突然現れるこうした女性の特殊能力は強力なものが多くなっている。
3歳から7歳くらいの男の子が、毎晩のように夜中突然起きて壁の一部を指差して泣き出す・・・と言うようなときは、その子はそこに間違いなく「何か」を見ている、そしてその場合たぶん父親も過去そうした経験をしていることが多い・・・。
では最後にこの記事で使わせていただいた資料の女性、ムカデの恐怖から金縛り体験が始まった女性のその後、これは金縛りがもたらした1つの究極の姿、とも言えるものですが、これを紹介して終わりとします。

女性の夫は同じ県内ではあったが遠く離れたところから来ている婿養子で、彼の母が40歳のとき生まれた1人息子だったが、幼くして父を亡くし、母1人子1人でくらしていた・・・そして彼が婿養子になってから、母は1人暮らしをしていたが、結婚して4年目、この母は末期のガンであることが分かった。
彼女の家ではそれは可愛そうだ・・・と言うことで彼女の実家近くの病院へ入院させ、義理の娘である彼女がその世話をしに毎日通っていたが、医師にもう今夜が峠です・・・と告げられた夜、彼女が眠ったままの義母に声をかけると、義母は最後の力を振り絞り彼女の手を握った・・・何も声にはならなかったが、彼女はそこで「○○(息子の名前)を頼みます・・・」と言う声を聞いていた。

翌日の朝方義母はなくなった・・・そして葬式、このときから彼女の身の回りには不思議なことが起こってくる、祭壇に飾られた左右の提灯が最初左側が一瞬消え、そしてしばらくして右側が一瞬消えた・・・この提灯は電気で灯されていて、他の蛍光灯とかはこうしたことが無かったのに、まるで誰かが祭壇の前を横切ったように消えて点いたのである。
そしてこの事を他の親族に話すのだが、誰もこの場面を見た者はいなかった。
やがて葬儀も終わり火葬も終わって、その遺骨は家の座敷、床の間に組まれた祭壇で49日間安置されることに決まっていたのだが、この葬儀が終わった夜から彼女は全く眠れなくなった。

彼女は夫と当時3歳の子供と3人で、この座敷から渡り廊下を挟んだ部屋で寝ていたのだが、座敷から凄い音が聞こえてくるのだった・・・そしてそれは紛れも無く義母で彼女は状況が分からず苦悩し、嘆き座敷を歩き回っている光景で、女性は眠っていない、目を覚ました状態で布団に横になって自室と座敷の光景を同時に見ていた。
義母の顔の表情、その気持ちまでがまるで手に取るように分かったと言う・・・「お義母さん・・」彼女は何度も何度も義母に声をかけるが、どうも義母には声は聞こえていても、その声がどこから来ているのか分からない様子だった。

この話は勿論義母の息子である夫にも話したが、夫は全くそんな音など聞いていなかったし、毎晩憎らしいくらいにすやすや眠っていたが、葬儀から3日目の夜、やはりいつものように横になって目を開けたままにしていると、夜中義母が座敷から自分たちの寝ている部屋の手前のドアのところまで来ているのが見えた・・・だが義母はそこでこちらの様子を伺いながらそれ以上こちらへは来ようとしない・・・もう2メートルもすれば手が届くほどの距離でありながら、それ以上は来ないのである。
彼女は朝方まで続くこうした義母の気配に殆ど睡眠が取れなかったが、このとき死者と生きている者の距離とは、例え物理的どれほど近くにいても絶対越えられない距離があることを知ったと言う。

一週間後・・・義母はどうやら状況が分かってきたらしく、とても静かになったが、そんな夜、いつものように横になった彼女の眼前には外の景色、それも家やそれに続く道が見え、大きな月が出ていて、そこを歩いてくる2人の男性の姿が見えた。
一人はかんかん帽のような帽子をかぶり、一人は黒ぶちのメガネをかけていたが、黒っぽいスーツ姿のこの2人、やがて家の前まで来ると家に対して帽子を取り、挨拶と言うか「入ってもいいですか」と言うような許可を求めるのである。

その表情は終始和やかで、なぜか声には出していないが、家も喜んで彼らを迎え入れる・・・そして彼らは座敷で寝ている義母を起こすと、嬉しそうに雑談を始め、義母も嬉しそうに笑っていた。
やがて義母は立ち上がり、それに付き添うように2人の男性も立ち上がり、玄関を出てまた家に向かって3人でお礼を言い、深く頭を下げた3人に対して家が抱いた感情は「祝福」だったと彼女は言う・・・月夜の道を3人はどんどん離れて行く、彼女は思わず「お義母さん」とつぶやいた。
義母はちょっとだけこちらを振り向いて微笑んだ・・・彼女は仰向けに寝た姿勢で目を開けたまま全てが嬉しくて泣いていた。

翌日家族にこの話をしたところ・・・彼女の父親(当時60歳)も同じ光景を夢で見ていたと言うことだ・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 魂の救済の儀式かも知れない~~♪

    自分にはこれに似た経験は今まで有りませんが、これから有るかも、ちょっと期待(!?)・・とは思う物の、実際はない気がする。

    誰でも亡くなった人を、繰り返し思うし、場合によっては数百年~千年以上前の我らが父祖が、夢枕に立って、「啓示」を与えてくれる幸運な人もあるらしい~~♪

    父の23回忌法要の年であるが・・その義理の兄弟、自分にとってはオジサンだが姻族なので分かりやすく言えば、伯母さんの夫で、従兄弟の父なのだが、その人は自分が中学生の時に亡くなった。当時としてもかなり早かった。
    未だそんなに自動車が普及していない頃で、父がその方を荼毘に付すために、翌日車で火葬場に連れて行く予定であったが、その二台に未だ空き缶が積んであり、前夜風もないのに、その缶を叩く音がして、母は、それを聞いて「よせろ(下ろせ)」と言うことで催促している、と思って怖れを感じたが、父も実は聞こえていたらしいが、聞こえない振りをしたらしい~~♪
    この従兄弟のお父さんは、我が郷里で言う、あちこちに『たましに出た(魂で現れた→幽霊で出た)らしい、勿論距離もその家を知って居るかどうかは全く関係ない。臨終の前後に、話し掛けられた人が沢山有ったらしい。もう半世紀も前のことだ。
    今は携帯やらネットやら普及しているが、人と人との通信は実際は減っているのかも知れない。直に体験しないで、ボンヤリした先入観に基づいて、それと比較して疑似体験をしているだけで、人の心は薄まって居るのかも知れない。

    都会では勿論、田舎でも、例え家族でも(笑い)、隣は何する人ぞ、引き籠もっているだけなのに(笑い)、居るのも気付かれていない、駅から少し離れたところで、道を聞かれても、何事もなかったように、一顧だにせず、通り過ぎた人を、何人も見ている~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      死は生の延長線上にある事を思います。
      昔は法要など坊主の金儲けでしかないとも思っていましたが、死は生きていた人間のものであり、それゆえ生きていた時の流れの先なのだなと言う事を思います。
      またここで興味深かったのは、迎えに来た人たちが「家」に対して敬意を払っていることであり、ここから家制度、封建制度と言うものは人ではなく、「場」なのだなと言う、当たり前の事を再認識させてもらった気がします。
      そしてこうした事を考えるなら不動産と言うものの本当の価値、本当の意味をもっと考えなければならない事を思います。
      金だけではない、そこを基準に人間が生きて死んで行く「場」と言うものである事を思うなら家はまた墓であり、ゆりかごであり、故郷であり、人と人が交差して血管のように広がっていく最初の点である事を思うのです。
      振り返って今の輪島市の状態、空き家だらけの状態は政策とか経済対策の誤りでそうなったのではない、経済対策や政治は元々誤りだらけのものであり、こうなったのはやはり「場」の盛衰で有ったことを思わずにはいられません。
      ですからここであたふたとした事を思うのではなく、日が沈み、また昇ってくる、その姿を私たちは見ているのかも知れません。
      どんな時もそれを慶び、有り難く思ってみていなければならないのかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

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