「自分を救えなかった預言者」

1940年11月、ちょうど世界が第2次世界大戦と言う深い暗雲に覆われていた時期だが、この年に起こったルーマニアのブカレスト大地震・・・大変な被害をもたらしたが、実はこの地震はあらかじめ予言されていた。
今夜は地震を予言し、そのために命を落とした世紀の預言者プラカータと言う青年の足跡を追ってみようか・・・。

プラカータはコンスタンタの海辺に住む占星術師だったが、彼は星の奏でる音楽を聴くことができると言われ、それを楽譜に書き留めることまでしていたとされているが、その音符は当時のどんな音楽家も理解し得ない神秘的なものだったらしい。
また彼はこうした天の音を聴く為には、絶対ピューリタンな生活を送らなければならないとして、独身を守り、いかなる女性も近づけない生活を送っていたが、それは親族にさえも変わらなかった。
そしてその信条は「自分の神は宇宙を運行する星である」として、いかなる宗教もこれを拒否、異端的な状態に固執するをはばかることもなく、こうした側面から周囲の人とコミニュケーションがとれず、相当な「変わり者」と言われていた。

この占星術師プラカータが天体から不思議な予知を受けたのは、1940年8月のことだったが、星の音符を聞き取ろうとして精神統一をはかったが、何度やっても楽譜として表現できない乱れたものになり、ディモニッシュな不快音にしかならない・・・これは何かある、それもとても大きな災いだ・・・と感じた。
そこでプラカータは「近い将来、我がルーマニアに大きな天変地異が降りかかるだろう」と予言を発したが、何せ世界大戦のさなかのことである、たちまち官憲の耳に入ることとなり、取調べを受ける・・・が特に政治的な意図がなく、どれだけ追求してもなにも出てこない、相変わらず自説を曲げないプラカータは狂人として扱われ、そのことが幸いし、この時は特にお咎めを受けることもなく終わる。

しかし大地震の起こる2週間前・・・プラカータの目には天体の星が平常とは違った妖しい色を帯びて見え、昼間の太陽は紫色に輝いて見えると言い出し、ここで始めて「近日中に大地震が起こる」と唱えるのである。
さすがに官憲も、またしても訳の分からないことを言うプラカータを捨て置くことはできず、彼を拉致、そして厳しい取調べが行われ、でたらめを流布して国家の治安を乱したとして、起訴されることになったが、この起訴する書類を作成中に予言は的中・・・首都ブカレストは未曾有の大地震に襲われたのである。

この大地震では14階の高層建築カールトンビルが大音響とともに崩壊し、ビル内の人員を押し潰し、当時の近代建築の粋を誇るカールトンビルが一挙に崩壊するくらいだから、他の建築物は推して知る結果となった。一瞬にしてブカレストは死の街と化したのである。
直ちに戒厳令が布告、一切の報道に対して管制が敷かれたが、そのため情報がない各国の報道機関は、ブカレストの大油田地帯に大爆発が起こったのでは・・・などと報道していた。

この地震では、地震が起こる1日前から、占星術師プラカータが言うように太陽が紫色に輝き、空も暗紫色となってただならぬ妖気が漂っていたとされている・・・また大地震が起こる前には空中に花火のような電光が走り、地震発生の直後にも恐ろしい発光現象が現れ、ブルガリアのルスチュクからもこの発光現象は確認されたと記録されている。

占星術師プラカータはこのとき、ブカレスト警察の留置場にいて、倒壊した建物の下敷きになって圧死した・・・何とも皮肉なことだが、彼は自分が予言した大地震であっても、自分を救うことができなかったのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. そりゃしょうがない~~♪
    多分、地球の運命は個人の運命を含むだろうけれど、個人の運命は又、別の機序で動いているだろうから、如何ともし難い。けれども、自分の運命を予見出来無かった事は彼にとっては、来る自己の週末に対する不安や無力に苛まれなくて、良かったようにも思う。
    古い死に神が、自分の死の間際に、後継を指名して・・と言う話の中で、人の寿命は、洞窟の様な所に自分が担当の人々のロウソクが灯っていて、その長さで寿命を示すのであるが、或る時自分の家族のロウソクが全てとても短くなっていて、それを消さないために、風が当たらないようにだったか、なんだか出来る範囲内で遣るのだけれど、詳細は忘れたが、結局回避できなかったが、死んだときには、遺体は損傷無く、眠るようにそこに横たわっていた、その死因は、落雷で家が全焼して、感電で死んだような事が暗示されていた。因みにその死に神の服装は、昔のヨーロッパの修道士が来ている長いボッチが付いている黒い貫筒衣のような物で、得物は三日月型の長い刃が付いた、大きな草刈り鎌のようでありました~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      昔から預言者の末路とは悲惨なケースが多いのですが、それは常に誰かの都合は悪くする事、現状の変化ですかから聖書の記述に始まって、預言者はその予言から逃れる事もできなければ、予言の責務を負わねばならないとなっているかも知れません。
      ただ近頃の地震予知などを見ていると、随分小役人化したものだなと言う気がします。
      震度1なら毎日、3くらいでも4日に1回、3ヶ月に1度は5クラスの地震が発生している中で、その因果をどれに求めても当たった事になるでしょうし、ましてや1週間以内、あるいは半年以内と言えば、外す事が困難です。その上に無理やり科学的な解説をつけてそれらしくし、注意してくださいと言いながら、自分は当てていると騒ぐおおたわけぶりです。一種のサイエンスカルト症候群と言えるかも知れません。当たるも外れるも八卦、その先は常に変化する。だからこそ未来な訳で、この変化を読まねばならないところを自説に固執して見誤り、世間を騒がして喜んでいるようでは、自らを犠牲にする尊い預言者にはなれない(笑)

  2. 某NHKに偶々発見した、面白い番組があって、どちらも1回終了したようですが、再放送している様です~「オトナの一休さん」26話と「ヨーコさんの言葉」50話、どちらも5分番組。
    そのヨーコさんの中で、その手が、何かに出会う、という話が最近有って、○○さんは、普通のキャベツ炒めが、彼女に手に掛かるとたった3分で途轍もなく、どうしてかは解らないが、『不味くなる』というのが有って、これは笑えたし、考えさせられた。
    人は何かに出会って~何にも出会わなくても、自分の人生を生きて行くしかないが、極端な話では、ダライラマ14世は、チベットでチベット密教+世俗の指導者として発見されて、修行を積んで名実ともにダライラマ14世となった。
    身体を使って、乃至は特に手を使って、生きて行く道に出会えれば、それが運命の第一歩だったかも知れないが、或る時にハタと気付いたら、口のムニャムニャで生きて行く道に入っていた、最後の方は身体でお金を稼ぐ(特殊の意味は有りません~笑い)時給よりはちょっと良い職業でしたが・・そもそも、傾斜は有るにしても、身体と心は勿論不可分で、近代人は、身体は比較的、良いか悪いかは兎も角寿命に近いところまで生存するようになって来たが、心がそれに追いついていなくて、「不幸」が増大しているようにも思う。
    ホモ・サピエンスの脳容積が、現代人並になって、数百万年立って、初めて言葉が話せるように成ったように、生物は、それを獲得してから、使えるようになるまでは、それ相応な時間と準備が必要なのに、それを理解していなくて、問題が大発生しているのかも知れない~~♪

    1. 大局は先を示していて、それはまるで水が流れるか石が転がるかのようなもの、そこを見れば当然なるべき未来の姿が現れてくる。そして大局とは小さな事の積み重ねであり、あらゆる事象を正確に見る事をしてしか得ることが出来ない。
      日々の暮らしを穏やかにし、季節の移り変わりや動植物の在り様を見れば「異変」は必ず浮かび上がって見えてくる。また夜は女と酒を呑むも善しですが、たまには夜空も眺めておくと、そこにもやはり「常」と「変事」は存在する。風には風の、雨には雨の、晴天には晴天の「常」が存在し、「変」が存在する。それを感じるられるのは自身が「常」知っていることであり、常は変が有るから、変は常が有るから見る事が出来る。
      たまにはこうしたスケールの大局を語る者がいると嬉しいのですが・・・。

      コメント、有り難うございました。

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