「大日本帝国憲法」

1889年明治22年、2月11日に発布された大日本帝国憲法が効力を有した期間は、1947年昭和22年、5月3日までの58年間である。
この半世紀に日本は国際社会への台頭と敗戦と言う、1つの大きな生き物が生まれて死んでいくような歴史を辿った。
この大きな生き物こそが大日本帝国憲法とも言え、昭和天皇裕仁の治世はあたかも終焉に苦しみもだえる、この大きな生き物の末期の姿に重なるのである。

大日本帝国憲法は3人の天皇を迎えたが、明治天皇は封建社会の宮廷に生まれ、若年で天皇となったため、明治時代の日本が近代化への道を歩みながらもなお旧時代の名残りをとどめていたのと同じように、明治天皇の周囲も依然として旧時代的な要素が多く残っていた。
大正天皇はきわめて英邁な人であったが、不幸にも病弱であり、その天皇在位期間も短かったが、裕仁昭和天皇は大日本帝国が確固とした時代に生まれ、先の2人の天皇に比べて十分な学校教育、また家庭教師による近代的な教育を受けた。

王または皇帝がその位に相応しい徳を身につけるのは、1つはその置かれた環境と立場、そしてもう1つは側近の進言によって自分で会得するものなのだが、裕仁天皇は、帝王学と言う君主の為の特別な教育を受けた最初の天皇だった。
それゆえに裕仁天皇に関して伝えられる話は、天皇が篤実で、自制心に富む性格だったと言うエピソードが多く、こうした性格と周囲の教育により、天皇は国際社会と平和に対する鋭敏な感覚を持ち、生物学の研究から合理的科学を学び、しかも克己と無私の処世に徹する君主として成長した。

大日本帝国は裕仁天皇をして、近代国家にふさわしい近代的天皇を迎えたのである。
だが、こうした天皇を迎えた大日本帝国は、およそ天皇がその才気を発揮するには程遠い環境だった。
その原因が「大日本帝国憲法」に内包されている・・・、大日本帝国憲法は天皇の親政を強調してはいるが、実際は天皇を政治的に責任の無い立場に置き、天皇の権限は輔弼者の決議によって行使される方式になっている。

これは大日本帝国憲法の利点でもあり、欠点でもあったのだが、天皇を被害が及ばない地位に置くという点では良くても、天皇の名前を使って輔弼者が権限を行使できるという体制は、権力者、輔弼者である臣下もまた、最終責任を負わなくても良い立場にあると言うことだ。
これは明確に欠陥と言われるべきものだが、昭和前半の大日本帝国の歩みは、まさにこの大日本帝国憲法の欠陥が利用される形で進んでいった。

裕仁天皇が即位してからの政界、財界、軍部の動きを辿れば、一方で天皇を神格化しながら、現実には天皇を小バカにしていたような印象が拭い去れない。
こうした意味では大日本帝国憲法下の天皇も日本国憲法下の天皇もあまり変わらない立場だったように思えるが、国民の胸中には天皇の真面目で律儀な姿がその目に焼きついていた。
「天ちゃん・・・・」とは戦時中にも影で言われていた天皇の俗称だが、この呼び方には天皇を軽視すると言うよりは、欲が無く、率直な天皇の人柄に対する国民の信頼感が伺われるように思う。

敗戦により大日本帝国が崩壊していくとき、しきりに叫ばれるのが「国体の護持」だが、この解釈についてはいろんな定義があるだろう・・・しかし乱暴な言い方で申し訳ないが、結局「国体の護持」は「天皇の護持」だったとここでは言わせて貰う。
個人でも国家でもその体制を維持する為には規律の根本となるものが求められる・・・・、国家の場合はそれが政治的イデオロギーであったり、宗教であったりするのだが、日本では個人主義に基づく民主主義の発展は遅れ、大日本帝国時代ではそれに逆行するような形だった。

宗教も国民全体が対象になるものはなく、国教とされた神道でさえ実際には宗教と言うより、一つの精神論だったとしか言えないもので、仏教、キリスト教もそれぞれに分立した形でしか存在しなかった。
唯一継続して安定した存在が「天皇」だけなのである。
だから国民の合意、誰もが何とか納得できる方法を求めるには、政治体制、宗教でもそれを満たすには至らない・・・結局は全て天皇に帰結する以外ない。
調子の良いときは利用し、まずいことが起こるとすがりつく・・・大日本帝国時代に裕仁天皇に示したそうした政治の姿勢は、そっくりそのまま大日本帝国憲法の持つ運命的自滅プログラムによるもの・・・とも言えるのである。

だが、この構図は現代でも変わっていないようにように思う。
おそらく今でも政府が瓦解したとき、国民はやはり天皇を頼るに違いない、またこの国家が未曾有の危機に直面したとき、日本国民は暗黙のうちに天皇と言うものを頼って、その統一性を維持しようとするに違いない。天皇とはそう言う立場なのである。

大日本帝国憲法は権力とその責任の間に隙間があった・・・だからみんな散々好きなことをやって、誰も責任を取ろうとせずに最後の責任を天皇に押し付けたし、天皇はその立場にあったが、こうした構造は今の日本国憲法にも同じものがある。
平和憲法をうたいながら、その実それを担保しているものが無い・・・今迄は何とかごまかしながらアメリカがその役割を果たしてきたが、こうした状態を長く続けていると、またいつか何か大変なことが起こりそうな気がするのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 敗戦後、翌年から陛下は行幸を始めて、国民を励ました。諸外国では考えられない、無警護に近い状態で国を巡行。国民から熱烈な歓迎を受けた。GHQに何回か中止させられたが・・・どこでも熱烈な歓迎は止まることがなかった。我らが本家のお爺さん~~♪

    京都御所に、堀もなく警備も殆どなされていないが、不思議に思わないのは、国民だけで、諸外国人は信じられない事であろうと思う。今でも皇居には、全国から奉仕団が来て、整備活動の一翼を名誉を以て行っているようだ。

    共産主義者と立憲民主党は天皇の存在に反対しているが、その代わりになるものを、提示できない。原案・現行に反対して、現実的な提案を伴わないのは、無責任の誹りは免れない。
    自分がしていた、ちょっとした貿易の仕事でも、自分の思い付きを言って、採用されないと、不満げな人もいたが、特に公官庁からの「専門家」に多かったか・・幸い、我々の会議は、多数決で決める事は無く(笑い)、いろんな意見は拝聴するが、最終的にはプロマネが勝手に決める~~♪

    我らが最後の拠り所は、少なくとも1300年、多分1600年以上の伝統を以て陰に日向に日本を日本足らしめた、天皇家であろうと。
    イギリスのウィンザー王朝もそれなりに凄いが、もとはドイツから借りてきた(笑い)、途中で具合が悪いので、イギリス風に名前を改めたけれど、長いと言っても数百年、但し、ヨーロッパ中の王家と親類というのはそれなりに重要な事であるかも知れない~~♪

    現行平和憲法をマジに読むと目眩がしますが、その内、もう少しまともにする機運ができることを期待しています。元寇で、時宗及びそれに付き従う者たちが出たように。
    日本はアメリカと熱い戦争をしないで、200年後には対等以上になっていると思います~~♪

    昨夕は近所の森で、ヒグラシ(その日~は付かない・笑い)、今日は、その近所で、ツクツクホウシの自分にとって今季初鳴き現認。
    元ゴルフ場の野芝と樹木の中にある四阿で、酷暑の中では、やや涼しい風に吹かれて~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      三島由紀夫が何故割腹自殺までしなければならなかったか、その意味が今の時代ほど良く理解できるかと思います。
      現行の日本国憲法より大日本国憲法の方がいくらかマシな気がしますが、現実の日本は立憲君主種国家なのですが、そこに半民主主義制度が乗って、思想的には民主主義という複雑な事になっているのが、今の日本の立場を難しくしているだろうと思います。
      基本的にはいつかの時点でアメリカから独立し、自国軍を持って小国ながらも生きていかねばならないでしょう。
      でもそれは今ではなく、勿論近衛文麿の再来とも言える安倍総理がやって良いことでは無い。
      日本はこれから未曾有の混乱と災害を迎える事になり、この一番沈み込んだ時がチャンスになるだろうと思います。乞食の振りをして中に金を溜め込む、貧乏を理由にあらゆる制約から解き放たれるようにしていく、したたかさが必要なのですが、その意識が政府にも国民にもない。
      この状態で憲法の改正など片腹痛い話で、それはどん底の困窮を極めた時からきっと始まるでしょう。
      関東大震災が発生した時、多くの文壇の作家たちが思った事と、私は同じ気持ちかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

  2. 三島由紀夫が死んだときには、高2でリアルタイム、当時は全然理解が出来なくて、今でもある意味理解はできないのですが・・
    ああいう極端な行動をとったのは、主義に殉じた、と言うか、美学に従った、動機には大きく個人的問題も孕んでいるように思う、又、改憲がなされるとは実際は、思っていなかったのでしょう。
    後日、市ヶ谷のその建物見ました。

    安倍首相に厳しいですね、いつもの事ながら~~♪
    それから、とても悲観的~~♪
    自分は心配性で、少し貧乏臭いかも(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この国の実情は、もはや笑うしかないと言うのが本当のところだと思います。
      そして以前オッサン様からも悲観的だと指摘を受けたのですが、私に取っては悲観から始まる次が希望なのかも知れません。見方を変えれば混乱を好む人間なのかも知れ無い訳です(笑)
      安倍総理は現在の立憲民主党の枝野と同じです。言葉に意味が無く誠意を持たない。
      ある意味日本人らしい総理と言えるかも知れませんが(笑)

      暑さはどうやら翳りを見せてきたでしょうか・・・。

      コメント、有り難うございました。

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