「私、嬉しい」

人間には生まれながらに強弱がついていて、これは決して生命力のことではなくて、腕力のことでもないが、その関係に措いて2人きりになった時、どちらか片方が必ず主導権を握り、そうかと思えば3人になったときは、2人では主導権を握れなかった者が主導的になったりする・・・そう男女、年齢に関係の無い「人間力」のような差がある。

私はどうもこの「人間力」が弱いのか、友人と同じように街を歩いていても、キャッチセールスに声をかけられるのは必ず自分だったし、宗教の勧誘でもそうだった・・・、また電話の保険セールス、新聞勧誘などがなかなか断れない、セールストークだと分かっていても、言葉でがんじがらめにされて、結局読みもしない新聞を3社も購読していたり、宗教勧誘の人の話を長々と聞いていたりするものだから、家族からは「勧誘が来たら出てはいけない」とまで言われているが、確かに妻や母などが一言でビシッと断っているのを見ると、凄いな・・・と思っていた。

かなり以前のことになるが、妻の母親が老人性のうつ病になってしまったことがあって、遠く離れた大学病院へ診察を受けに行ったときのことだ・・・、こうした病院へは余り来たことが無い私は、妻と妻の母と一緒にその精神科のフロアで診察の順番を待っていたが、こうした診察科目だから、どことなくみんな元気がないか、反対になぜか用事もないのにうろうろしている初老の男性とかがいて、やはり普通の感じではなかった。

歴史がある古い大学病院と言うものは何となく作りが学校に似ていて、診察室やレントゲン室が横にずーっと並んでいて、その前に広い廊下があり、そこに硬いベンチが並んでいるのだが、その待合所のベンチに3人で座っていたら、突然遠くから何やら賑やかな声が聞こえてきた。

「わたし、嬉しい・・・」「わたし、嬉しい・・・」と言う言葉だけを繰り返しながら、両親らしい50代の夫婦に付き添われ、走るように廊下兼待合所を歩いてきたのは、多分20代前半ぐらいの女性だったが、誰が見ても一目で精神障害であることが分かった・・・白いワンピースを着ているのだが、裾をめくって足を手で掻いてみたり、両親が何度もスリッパを履かそうとしてもすぐ脱いでしまったりで、「わたし、嬉しい」しか言わない、顔は笑ったようににこやかなまま、目は完全に焦点が合っていなかった。

恐らくこの女性は病院へは何度も訪れているのだろう、近くにいた女性看護士さんは「○○ちゃん、元気だっだ・・・」と声をかけたが、その返事も「わたし、嬉しい・・」だった・・・が、それよりもっとびっくりしたのは、その女性が次の瞬間看護士さんの腰を抱いて、お尻を撫で回し始めたことだった。
いくら女性同士とは言え、この光景にはこの場にいた17、8人の人、その内半分ぐらいは付き添いの親族だったろうが、思わずギョっとなったに違いない、わたしも思わず目を伏せたが、「あら・・○○ちゃん、えっち・・」とくだんの看護士は笑っているのである。
そしてカルテらしきものを持って診察室へ入ろうと、「暫く待っててね」と女性に言うと立ち去ったが、女性は今度は廊下を行ったり来たりし始め、父親らしき人や母親らしき人が座っている所から、わたしたちが座っているところを、何度も何度もスキップを踏みながら往復し始めたのである。

何となく、そうなるんじゃないか・・・って気がしてた・・・。
そうこの場面では、みんながこの女性を恐れていたし、みんな自分のところへは来ないでくれと思っていた、私もそう思っていたし、だから女性が自分の前に来るたびに下を向いて、目を合わさないようにしていたのだが、看護士さんのあの対応を見れば明らかで、彼女がさっきみたいなことをするのは、そう珍しい事ではないのだ。

やがてその女性は私の前でスキップを止めた・・・そして下を向いているわたしに近づいてくるのが分かった・・・そして次の瞬間、ひざまずいたかと思うと、下から私に勢いよく抱きついた。
彼女はわたしの頬に頬を摺り寄せるようにして「わたし・嬉しい・・・わたし・嬉しい・・・」といい続け、対応に困った私は周囲を見回したが、みんな見て見ぬふり・・・「あーあやっぱりな・・」と言う感じで、隣にいた妻でさえ下を向いて顔を上げようとはしなかった。
少し離れたところにいる看護士さんに視線で助けを求めたが、その看護士さんの目は「暫く我慢してね・・・」と言っていた。

万策尽きた・・・、わたしは覚悟を決めて女性の肩に手をかけたが、わたしが引き離そうとすると思ったのか、女性は更に私にしがみついてきた・・・ああ・・この感触には記憶がある・・・そうだ淋しさと不安だ・・・。
人間は淋しさと不安がつのると、人にこう言うしがみつき方をする・・・、「わたし、嬉しい・・・」としか言わないが、この女性は不安なんだと気づいた私は、体の力を抜いて彼女の思うとおりにさせることにしたが、彼女は更に強くしがみついてきた。

時間にしてどのくらいだろう・・・恐らく1分も経過していまい、だが私には10分以上にも感じたが、そのうちさっき診察室に入って行った看護士さんが、診察室から出てきた・・・「あーら、○○ちゃん、良かったね・・・」と言って私に近づくと、女性の脇を抱えて私から離すと、手を繋いで今度は一緒に診察室へと入っていった。
その後から彼女の両親が、私の前を通って診察室へ入っていったが、その通りがけ、2人は私に「すみません、ありがとうございました」と頭を下げていった。

両親が気の毒だった・・・恐らくこの両親が死んでしまえば、彼女は1人で生きなければならないだろう、それを思うと私は胸が締め付けられる思いがした。
生物は進化のメカニズムとして、必ずその種族に3% 程の奇形を起こさせる。
その奇形の程度は軽いものもあるが重いものもある・・・、そしてこうした奇形は自然現象だろうが、人為的だろうが、あらゆる手段で同じ比率を持っていて、非常に不安定な存在で、生命力も弱い場合があるが、実はこの奇形の不安定さが自然環境が変わっていくとき、柔軟に対応し、次の次くらいの世代で完璧に変化した環境に順応した生命体となっていくのであり、地上の全ての生物は、こうして自身のうちから不安定なものを敢えて作り出し、それが次の進化の原動力になっている。

だから奇形がなければ生物の進化もないのだが、この奇形はあらゆる形で出てくるため、全てが可能性であり、こうした意味では遺伝だろうが、突然だろうが、障害を持つ人は未来の希望のために生まれた人達でもある。
だから、私たちは彼等に感謝しなければならないのだが、現代社会は表面上の優しさや美しさがあっても、それが現実になると目をそむけ、見ないようにしてしまう。

この大学病院で出会った女性が私に示していたものは性的な衝動だっただろう・・・だが彼女はそれをどうして良いのかが分からなかったし・・・これから先も彼女にその機会があるのかは疑問で、こうしたことは男性の障害者でも同じだろう。
障害者施設で働く職員は、恐らく日々こうした先の見えない問題に直面しながら、働いているはずである・・・が、こうした問題の解決策は無い・・・障害を持つ人にとっては、生き物の基本的な欲望を切り捨てられた状態での生活が余儀なくされている。 私たちは、このことを理解しておかねばならないだろう。

妻の母の診察も終わり、帰途に着いたとき、車の中で妻から、「若い女性によく、おモテになりますのね・・・」といやみを言われた私は、「あららら・・、下を向いて知らん顔してたのは誰だっけ・・」と返し、妻の母はそれを聞いていて笑った・・・妻の母の暫くぶりの笑い声だった・・・。

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T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

10件のコメント

  1. 女にもてることは良いことです~裏山~~♪

    昔、偶に民宿~これに毛の生えた程度の旅館・ホテルの女将さんには、親切にされたことが何回もあります~同宿の人から、親切にされたり、どこかで子供がたくさんいて、胡坐に子供が来て座ったり(笑い)~~♪
    成人の女には警戒されもせずで、近づいても来なかったけれど、人畜無害~安全パイのオーラが出ているらしい、見知らぬ空港やタクシー乗り場だと、凶悪犯に見られている可能性あり、余り寄ってもこなかった~~♪

    せめて、明らかに困難に直面しているご老体とか障害・不調がありそうな方、言葉や地理で困惑している方には、やや離れて声を掛けるようにしてはいますが、なんかこちらが煮詰まっていて、通り過ぎることも多いですが、深呼吸を一回して、ちょいと戻りたいものだと思っています~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      これは記事には出来ない部分なのですが、あらゆる生物にはいい加減な部分が多く含まれ、例えば遺伝子などは70%ほどが無意味なものが含まれ、この無意味な部分が多いほど高等生命体とされています。
      地震でも多くの野鳥は避難しますが、7%ほどはそこに残り、こうした関係式は犯罪者なども似たような傾向を示すかも知れません。人間の世に善は必要ですが、その中には必ず悪が混じってきます。そして我々はこの悪を嫌いますが、実はこうした悪に拠って法は変わって行き、善のありようも変化して行く事になります。

  2. 普通の事に普通の対応、定義は兎も角、それが困難な昨今ですが、やや異常状態であるけれど、それは表に出ていなくて、確率として出てきたときには、対応したいものだと考えています。
    よく言われているようですが、通常は才能はないけれど、教えられれば、できることは沢山あります。盲目の人への声の掛け方がわからない、と言われたら、自分で考えろとか突っぱねないで、
    そばに行って、優しく、何かお手伝いしましょうか、と言えば良いし、断られたら、優しく離れてればよい。盲人の方は、学校や社会教育では、そういう事を、しっかりしているとなれば宜しいが。少なくとも、人がたくさんいるホームで、盲目の方が、ホームから転落する、ってその社会の欠陥のように思える、手すりの問題じゃない。
    途上国で、町の路線バス乗って見ると、聖職者、ご老人、子供などには、日本以上に親切な光景にも頻繁に巡り合う。

    遠くで自分を見ている・・自己意識過剰かも知れないが~そういう事を感じることがあります、と言うか、後日あれがと思ったこともあります。10年後に同じサイトに行って、親しげに話しかけてくれる方は、そういう方が多く、身を慎まなければ成らないと偶に思います(笑い)、通常は特に勢いが有るときは、それはそれで有難い事であろうけれど、それが長引けば大抵は、本来の自分より遥かに大きい自分を感じて、ろくでなしになり易い~北のデブや北米の金髪、日本の成り行きで敵陣に攻め込んだ成金の議員~~♪

    1. この意味では悪もまた必要なものである可能性があり、人間の社会はこれを嫌いますが、生物学的、社会システム上ではある種の原則的絶対性が在るのかも知れません。
      そしてこうした事を考えるなら、今現存する全ての存在は何らかの意味を持っていて、これを完全に否定する事は出来ないのだろうと思われ、その意味の究極的な部分は「無意味」と言う複雑な事になるのかも知れません。
      この社会には障害を持って生まれてくる者、奇形も必ず発生してきます。そして人類は優生保護法などでこうした障害や奇形の発生を避ける方向に有りますが、こうした形と言うのは生物進化の上ではとても重要な部分と言え、これらを避けると人類は刻々変化する自然環境に対応できなくなるかも知れません。
      無菌室で育った人間は、外気に触れればあっと言う間に死んでしまい、ウィルスや細菌を排除して行けば、最終的には一番弱いウィルスや菌に拠って人類は滅びます。

  3. 非日常的なことに平常心を以て対応する~常在戦場もあれば、異常な状況には、常識的対応をしては、いつまでもすれ違いで解決の糸口を塞ぐことにもあり拗らせて、解決~共存在を遠くに押しのけてしまう事になるのだろう。この加減は、経験もあるが天与のものが大きく作用しているようで、或る意味、盲目の方に色を説明しようとしたり、低い分解能に高位の物を説明しようとしとしたりするもので、ほぼ困難であろう。大多数の日常的な、少数の普段か隠れているが、存在するものが現出した時への対応の知識は重要であろうと。
    偶に、犬を保護~新飼い主の斡旋をしているところに、学習障害か性格が極端に歪になっているが、外見はそれなりに良い犬がいて(人じゃないよ~笑い)それを私の愛情と世話で、立派に立ち直らせて見せます、だから引き取りたい、という勘違い人間が出没するらしいです。世の中に出来ないことも多い、更生できなことも負いだろう、熱意に絆されると、双方にとって結果は悪い。
    確率で出てくるのが、可能性の実験であろうけれど、他の実験と同じで、個性として、乗り切れないものには、援助が必要だろうけれど、自己満足で苦しめない方が良いとも思う~~♪

    1. ただ近年の精神医学界は少しナイーブに過ぎるだろうと言う気がします。
      本来は健常者のマインドが少し下がったくらいのものまで精神疾患とする場合が多く見られ、PTSDなどもそうですが、何らかのアクシデントに見舞われた時シヨックを受けるのは生物の正常な反応であり、1990年代以降に出てきた病名の大半はこうした傾向を持つだろうと思います。
      そしてこうした病名でマインドコントロールを受けた人が患者になって行く傾向の少なくない気がします。
      この記事の話は今から20年以上も前の話ですが、未だに障害者に接するのは苦手で、どう対応してよいか解らず、戸惑います。
      でもこれは自分の範囲で理解しようと考えるから難しくなるのかも知れません。
      きっと答えはその当場々々の現実の中に在るのだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

  4. PTSDについては、アメリカにあれは全部創作だ(笑い)と言う論文が有るようで、勿論例外は有るだろうけれど、結構正しいかもしれない。
    不死身のランボーは、ベトナム戦争で頭がやられて、タイの寺院で勤労奉仕しているところを元の上司に依頼されて、PTSDが治ったかどうかは不明だがアフガンに行って大活躍、アフガン入りするとき、降り立った空港はパキスタンのペシャワール国際空港。車寄せに立ってビルの表示が見えるように建物を映した、SVが来たとき記念写真に使った景色~~♪
    そこからアフガンの最寄りの国境は、アレキサンダー大王が通ったハイバーパスで約50Kmの距離(カイバル峠、ここにも2回ばかり行った事が有る)。あそこらの民族はパシュトーンと言って、アフガニスタンではアフガンと言い、パキスタンではパターンと言っている、顔だちが日本人に似ている人も多い。
    丁度その映画を見たのは、そこから出発して、帰国の機内で、結構時宜に適い笑えた~~♪

    大きな地震の後に、避難所で派遣されたおばさんが小学生に、「地震の後に、小さな地震でもとても怖くて、眠れなくなることが有ります、それをPTSDと言います」と言って、洗脳している光景が有る(笑い)
    普通のおばさんなら「はじめは怖いけれど、その内慣れて、なんでもなくなります。大人になれば大きな地震の時も、この経験が役立って落ち着いて行動が出来て、たくさんの人を助ける事が出来る立派な人になりますから、心配は要りません、安心してください」と言えば済む気がする~~♪

    ついでに、SNSで多数に人と繋がっていても孤独を感じる・・とかTVでやっていたが、単に羨ましいとか、自画像と他人の評価が違うだけで、どうという事も無い。
    それで孤独を感じて、派手なパフェとか変わった丼を食って、インスタに投稿しても解決にはならない。
    各種施設へ行って、障害のある子供や老人の易しい世話から始めたり、街中の清掃や公園の各種行事に作業奉仕で加わわったりすれば、自分がバカだったことがすぐ分かる。
    人を手助けして励まして、ちょっとおこがましいけれど与える側として動けばよいものを、自分が小お姫様として遇されたいという話~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      軽度の精神疾患の大半は創られた疾患ではないか、そんな事を私も思います。
      今では発達障害と言われる感じの子供は昔からクラスに1人や2人いて、それでも彼らは障害という概念ではなかった。これを考えるなら昔の在り様の方が、その個人の尊厳を重要に扱っていたと言えるかと思います。また社会適合障害などは、私が将にそうであり、こんなものは日本に山ほどいて、障害ではなくむしろ性格の一部にしか過ぎない。
      ただ、不安のさなかに有る人にこれを言えば、アット言う間に洗脳され、自分は病気だと思った瞬間から、その病気に捉われて行く図式が出てくる。
      そして大量の薬が処方され、やがて完全に精神疾患が出来上がっていくだろうと思います。
      一般社会の中にも少しおかしい人は山ほどいて、すぐに切れる老人、暴言を吐く女、自分の言葉を覚えていない政治家、自己顕示欲が強すぎて統合失調症寸前の者など、言えばこの世は精神疾患の世の中になります。
      そしてこの原因の大半は親子の関係に始まりが有り、その親の原因は社会やそれが持つ道徳観に起因している。
      病気を減らす最も効果的な方法は、経済的な安定と言う事になるのかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

  5. チンパンジーには、ダウン症がないという、偽報告~矯めにする妄想(?)が有るが、世界で多分最も研究が盛んな日本の霊長類研究の報告には、その存在と研究報告が有る。他国でもあるようだ。
    ゴリラには、群れの未成熟オス間に、同性愛的所作が見られるらしい、また幼児は群れの中に居て家族に育てられることに強く依存していて、孤児になると、人の手で、チンパンジーのように養育するのは、相当困難なようだ、詰まり孤児にも成れない。
    ボノボは、非闘争的でチンパンジーとは違うが、とても融和的だが、性的な動作接触が、日常的挨拶行動に相当現れるようだ。

    ヒトは、今大繁殖しているが(笑い)、社会制度との関連も濃密であろうけれど、近年特に精神的には相当病んでいる者の出現率が高い。
    野生のヒト科の類人猿は、ある一定以上の障害が有れば、成人になる前に死亡するので、事情はヒトとは違うが、ヒトの発病する可能性そのものは、進化の内で獲得したものが、社会によって保護されて、増加しているかも知れない。
    社会と遺伝と注意深く研究して行くべきかもしれないが、大抵の偉い人間は(笑い)、選民思想~無理な自己愛に取りつかれていて、エテ公と同列に扱われることがお嫌いだろうし、直接的に経済発展には結び付かない予算は余りつかないだろうから、重要な研究が蔑ろにされて、いくつか在るだろう機会を逸して、ハタと気づいた時には、滅びへの急降下の飛行経路に嵌まっているかも知れない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      人間の本能は劣勢に向かう傾向に有り、例えばがん細胞などは古くは増殖の一形態だったかも知れない。
      しかしこれ自体は変化しなくても、その後発生して来た生物には有害に働くと言う場合があり、太古の地球は酸素呼吸の生物がおらず、急速に増加する酸素はそれまでの生物を駆逐し、変化に対応した酸素形態生物が今日に至っています。
      こうして考えてみると、過去には有用だったものでも、環境による変化に拠って有害になって行く場合も有り、人間の本能の半分は生後環境が加わって完成される。
      戦国時代には敵将の首を飾って皆で酒を呑んでいた訳ですが、これを今にやれば間違いなく猟奇殺人です。
      誕生前に獲得されている本能は緩やかに流れますが、生後環境、つまり社会は早く流れ、しかも地域差が出る。この中で適合していく事ができない場合、或いはレトロ獲得本能が出てしまうと、殺人に快感を覚えてしまう者も出てくる。しかしこれにしても過去には有用なものだった可能性があり、また未来に措ける有用性は分からない。これらを今の時代のみで考えるなら、永久に精神構造は分からない。
      オウムなども簡単に考えていると、後に大変な事が再来するかも知れませんね。

      コメント、有り難うございました。

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