「世論調査と言うもの」

最近の選挙におけるテレビの開票速報では、出口調査による当確報道の競争が熾烈になっているが、これは投票日当日、投票所の出口で実際に投票を済ませてきた有権者にどの候補者を投票したか、どの政党に投票したかを聞き取る調査方法で、対象となる投票所を適切に選定すればかなり高い精度で候補者の当落が予想できる・・・としているが、この場合は全ての人が回答してくれる訳ではなく、現在でも科学的に理論として確定していない調査方法である・・・。

つまり、外れても責任は持ちませんよ・・・と言うことであり、その表現が「当社が行った出口調査では・・・」となっていることから、一応公的な「お墨付き」のある調査では無い、としているのだが、視聴者がこうした報道から受ける印象では、テレビに当確が出れば「当選した」と錯誤するのは、避けられないことである。
例えばここに1993年7月の衆議院総選挙のデータがあるが、投票日の18日のテレビ各局は当確早打ち競争を競いあい、そのため当確の打ち間違えも相次いぎ、NHK2件、TBS2件、日本テレビ4件、フジテレビ3件、テレビ朝日6件、テレビ東京2件・・・と、東京のキー局は軒並み当確発表のミスを発生させていた。

また週刊誌、新聞、最近ではインターネットでもそうだが、選挙が近づくとその予想調査を実施して、当落予想を報道するのが恒例となっているが、この調査方法の根底は不明瞭なうえ、特に新聞、テレビの予想などは調査方法さえ明確になっていないにも拘らず、報道により「勝ち馬に乗ろう」とする有権者意識がはたらき、これが投票日当日の有権者の投票行動に対して影響しているのではないか・・・とする意見もあり、こうした現象を「アナウンス効果」とも言う。

確かにこうして当落情報に近い情報がマスメディアによって報道されると、有権者の意識の中に予断、つまり決定事項ではないが、そのように錯誤してしまう現象が起こる可能性は否定できず、自民党はかねてより選挙予測報道に対して規制を加えようとして、野党の反対にあって実現しない状況だ。
だが候補者がマーケティング・リサーチ方式で選挙区の人々の関心やその方向性、相手候補の支持基盤などを調べることは、いまや当然と言えば当然のことであり、各種調査方法を駆使しての選挙は、候補者を始め、これらの候補者の運動を報道するマスメディアにも広がっている。

またテレビの「世論調査」だが・・、事件発生とともに世論の動向を迅速に調査し、発表することを狙いとしていて、電話調査で行われるのが一般的だが、1992年に発生した東京佐川急便問題の頃から頻繁に行われるようになり、テレビの情報番組や報道番組などで活用されている・・・が、調査対象者が1000人からせいぜいが3000人、その内平均の回答率は60%台から80%台・・・時には600人の意見が国民全体の意見として発表されている場合もあるので、見る側はこうしたからくりがあることを認識しながら、その信憑性を判断する必要があるだろう。

更にこれはインターネットもそうだが、近代の情報はそのスピードに重点が置かれていて、「質」はおざなりの状態になっている。
このことは非常に危険なことなのだが、例えば間違って誰か特定の人が何らかの事件の容疑者にされてしまった場合、よしんば翌日に無実が判明したとしても、既に何らかの被害が発生してまうことであり、こうした事態では選挙においても実際には有力な候補を、投票日前日、間違って不利だと報道した場合、その候補者は報道によって本来当選すべきところを落選する可能性もあり得るのである。

近年報道関係・・・特に新聞、テレビなどのマスメディアはそのスポンサー契約をインターネット業界に奪われつつあり、経営が苦しくなってきていて、地方であれば行政と共同事業を起こしていたり、行政を利用した形での事業収入に依存している傾向があり、こうした関係から特定の候補者が恣意的に貶められたり、反対に本来不利な候補者が、有利と報道される可能性が否定できない状態となっている。

また一部地方新聞の中には、映画などの製作企画を行政に持ち込み、「地域おこし」として映画を製作・・・そのチケットを行政が売っていたり、商工会議所が協賛して懐の苦しい中小企業に10枚単位でチケットを買い取らせたり、と言うことが行われているとも聞く。
こうした傾向はおそらく中央紙でも同じことが起こってくるだろうが、それより深刻なのは現場記者の不足であり、経営の苦しさから現場を取材する記者の数は年々減らされていて、そのため現地の本当の声は届かず、上辺だけの軽率な状況が報道され、真実が報道されなくなることである。

このことが地方における政治的腐敗を容認し、地方経済が堕落していく要因の1つになり、また報道機関が報道の自由を、弱く攻撃し易い者に向け巨悪に目を瞑るなら、国民はそれによって希望を失うだろう。

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T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

6件のコメント

  1. 日本人の、文化の悪い癖の一つ~~♪
    シリーズの新しいPCゲームが発売されると二日も前から道路に並んで買って、誰よりも早く遣りたい(自分は最初の50人ぐらいはサクラじゃないかと今でも思っているが~笑い)、もちろん大部分の者は、そんなものには興味がなく全く健全なのだが、中間人は、遣っていないと疎外感~時代遅れと誤解して、要らぬものを買う、経済活性化とも言うが、その余剰金が弱者に回る事は無く、貧乏人が増えるだけ、それに人によっては買える経済力がなく、貧乏なうえに不満が募り心まで病むという安直さ、そういう事を仕掛けているのは、頭の良い経済人だろうけれど、当方から見れば詐欺師と何ら変わることがない。
    初夏の食べ物であるイチゴを年末に食ったり、近海のカツオを遠洋まで獲りに行ったりと言う狂騒曲、土用のウナギなんて、平賀源内に未だに騙されていて、バレンタインのチョコは今や東南アジアでも猖獗~~♪

    RDDとか言っているけれど、これも信じていないが、日中アンナ選択肢が偏向した調査に真面目に応えている人は、そもそもそういう傾向の人だろうし、差別発言になりそうだけれど(笑い)、オレオレ詐欺被害者予備軍が、相当数いるとしたか思えない。
    選挙の投票率だって30~50%で、不同意という選択肢も無いし、残りの70~50%は来ないからそっちが悪い、とか言いそうだけれど、じゃオーストラリアのように、選挙を義務にするかと言うと、被選挙人は今の方が良いので、選挙制度を批判はするが変革するつもりは無しの、インチキ話。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      人間は1人でいる時に考えられた事を、多くの人の前でやれるかと言うと難しい。
      簡単に言うなら立ち小便は誰もいないから出来るのであって、スクランブル交差点の真ん中でやっていたら、公前猥褻物陳列罪と言う罪に問われる。
      しかし、小便自体は人間誰しもやっている、やらなければ死んでしまう生物学的重要案件でもある。
      非公開匿名は、ある意味1人しかいない状態で出来る事を問うているに等しく、この状態で考えられた事が現実に実行できるかと言うと、それは難しい。
      公の場でタバコのポイ捨てをしているのは良くない、しかしそれをやっている者が屈強でいかつい顔の男だったら黙っている。
      一方、それがいかにもひ弱そうな男だったら、「おいこら、何をやっている」と高圧的な態度で注意できる。
      つまり相手に拠って、自身の意見や考えは実行されたりされなかったりと言う不安定さを持っている。
      人間は言いたい事を常に言えるわけではなく、言葉にした事を必ず実行できるとも限っていない。これがまず一点。

  2. 報道では、被害者やその家族などは個人の詳細情報が、いかにも同情的に暴露されて、二次被害が何十倍にも拡大されるが、容疑者~被告は個人情報保護法で、かなり保護されている、自分としては、名前とか顔とか住所とかは全く興味がないが、奇天烈な事件の重要参考人(笑い)の親の顔が見たい、ついでにその親の顔も見たいし、経済がどうなっているか理解できるように取り計らってもらいたい。今春だったと思うが、新潟の親子が山で行方不明・遭難したが・・最初はかなり報道していたが、何か特別な事情が露見したらしく、死後に発見されたが、その事情については、口をつぐんでいた、何か報道側に都合が悪いことが有りそうだ。

    1. 次にあらゆる密度は不均衡の平均値であり、全国から3000人と言う在り様をして世論と言うのはいささか乱暴としか言いようがない。
      例えば中国古典で世論は「天意」と言うものであり、この場合確かに多くの人が望む事は天意だが、ここで出てくる世の中の人の望みとは、食うことに関すること、家族が平和に暮らせるか否か、社会に正義や心が有るか、そうしたことが問われるのであって、くだらない事を天意として扱うはそもそもの誤り。その上に、匿名で自身の氏名などが後悔されない場合は、出来もしない考えを言う事になる。
      結果世論はこう動いていると言いながら、その世論は個人が出来もしない夢を集めたとんでもない方向を指し示す事になる。憲法改正に賛成ですか、反対ですかと尋ねれば、私でも賛成かも知れない。しかしそれは今の時代ではなく、今の国際情勢の中では無い、周りを韓国人と中国人で囲まれた状態なら、憲法改正反対になっている。
      そう言う意見を集めて世論とするその考え方がどうかしている。

  3. 大学の教師は常識がなくても(実際半分は、一般地方人としては相当風変りらしいが)それほど気にしない、なんでも実験して、まあ、100に一つ有用だったら良いけれど、高校以下の教師、幼稚園・保育園も含めて、教師は、学卒成りたて+それぞれの年代で、各種経験がある人を採用して、調和の取れた常識~社会を反映したものにすべきでしょう、勿論報道も議員も純粋培養された2~3代目がいても良いが、各種経験・知識が有るものが十分な比率で存在しないと国を誤る。
    貿易の会議でも、まったくの素人の意見はそれなりに教訓的で、良いことも多いし、知識のない人々がそんな思考回路で、当該案件を理解しているかということも参考になるのだけれど、インフラも考えか方も気候も勿論歴史も言語も全く違う所で、一つの事をする困難は、大抵、自分の常識と相手の常識が実は全く違っている事に由来するのだろうけれど、そう言う発想がそもそもない事が有って、会議は意味を持っている。結構重要なのは、中々解らないが、当該国の実際の意思決定機序、外見上ではなく、それに名誉への感覚。
    日本の国会だって5:1の意見配分のように(議員数から見れば)見えるが、妥協は5:5なんていうのはざら、自分の意見を通したいなら、少数派が良いという逆説になっていて、笑えない~~♪

    1. 更に少数意見がどちらかと言えば正しいような風潮は、貧しいから清いと言う幻想に同じで、貧しさは貧しさなりの醜さや卑劣さを持つ。
      これは豊かな者の傲慢さ不遜とそう大きく変わるものではなく、こうした者が多数意見になって支配を始めると「恐怖」が訪れる事になる。
      昔の人は上手い事を言ったもので、「天の利」「地の利」「時の利」、これは今眼前に起こっている現実を「主」とせよと言う事であり、私もこれに賛成です。

      コメント、有り難うございました。

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