「何だ、これは・・・」

1960年1月2日、イギリスの商船「コリンシック」号は、ピトケルン島から一路ニュージーランドに向かっていたが、波はそれほど大きくなく、天気も良かったし、順調な旅を続けていた・・・が、甲板で作業をしていた乗員は、乾いている甲板のあちこちで、不規則な形の濡れたシミのような跡を見つける。
そして不思議に思ってあたりを見回すと、それと同じようなシミは甲板全体にあって、しかも水よりは粘液性の高い液体のようだった。

「何だ・・・これは」乗員は思わず上を見あげ、その余りに奇怪な光景に言葉を失った・・・、なんと空から直径1メートルほどのゼリー状・・・いや絹のように滑らかでやわらかそうな塊が降ってきていて、それが船の甲板に落下する前に細かく壊れていた・・・、甲板のシミはこの塊が壊れた破片が液体化していたものだったのである。

唖然とする・・・と言うのはこうしたことを言うのだろう・・・、その大きな塊は乳白色に少しハチミツが混じったような明るい色で、泡の塊のように軽くて、しかも表面はゼリーのような滑らかさ・・それが不思議なことにこの船の航路のちょうど片側だけ、広範囲にあちこちで降っていたのである。

航路の反対側にはその塊は全く降っていなかった・・・、乗員は慌てて船長を呼び、他の乗員たちも口々に「何だ・・・なんだ・・・」とこの光景を見守っていたが、船がニュージーランド沖合い250キロメートルの地点に至るまで、実に1500キロメートルにわたり、特定の幅を持ってこの塊は降っていたのだった。
乳白色にハチミツが混じったようなその塊は、見た目に甘そうな感じがし、しかもふわふわと漂うように降り続けていたのである。

「コリンシック」号の乗組員たちは船長以下、暫く呆然とこの光景を眺めていたが、このままでは予定の時刻に港に着けない恐れが出てきたため、少し船の速度を上げて18ノット以上の速さにした・・・そのとたんこの謎の塊は採取が不可能になってしまったが、それでも空をあちこち同じような1メートルほどの塊が漂い続けていた。

この現象に関して、船長だったA・C・ジェームス氏は面白いことを話している。
彼がまだ見習い士官だった1928年、南海諸島を襲った激しい地震の直後、空中を漂う似たような謎の塊が、たくさん降ってきたことがあることを思い出したからだが、その時降ってきたものと今回の塊は、全く違うもののように思える・・・と言う話だ。

船がニュージーランドに着くと、すぐに専門家が乗船してきて船長は意見を聞かれたが、普通こうした正体不明の現象や、解決が付かないような事件では専門家・・・と言ってもその名前は伏せられることが多いのだが、この現象ではそのときの専門家の名前と資格が残っている・・・、とすればこの現象の解明に自身があった・・・と言うことかも知れないが、彼等はこう見解している。

ドミニオン博物館、生物学者J・C・ヤルドーイン博士、地質学協会の地質学者G・L・シャウ博士は船長から話を聞くと「その塊は海底火山の爆発で発生した一種の軽石のようなものだろう」と話した。
確かにそうかも知れない・・・が、1928年の話はそれでも良いだろう、しかし柔らかそうな乳白色にハチミツが混じった色の軽石・・・しかもそれは空中を漂っていたのだが・・・ジェームズ船長はこの2人の専門家の意見に、ただ沈黙していたらしい・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. これの原因は兎も角、自然現象っぽいし、実害はなさそうなので、その内情報が蓄積されて、理由が解るかもしれませんが、めったに起きなくて不明のままかもしれません、彗星から降ってきたのかも~~♪

    社会事象や人間の行動で、視点としては行動経済学と+行動心理学、その他の知見を駆使しなくても、一歩引いて考えると、直ぐ解る事が殆どなのに、現代人は内なるものから湧き上がる(これも枯れてきている人がめちゃくちゃ多いということは有るだろうが)、感情ですぐわかる事も、何かしら風変わりに見える事象には、特別な理由が有るのじゃないかと、検討~思考(?)なんぞして、自ら目を曇らせている。
    某狂信的カルト集団の、本邦における三審制度で確定した刑を実行しただけなのに、一見その事件を糾弾しているように見える、煮詰まった感じの江川某と言うオバサン評論家が、「衝撃を受けた~最も罪が重いのは教主であり、それに比べたら、本件は云々と」談話を発表した。初めから怪しいと思っていたが、途中から「隠れシンパ」と言うことは分かったが、巧妙に隠蔽されていて、未だに不明・蒙昧から脱していない。
    鵺のようで、世渡りの上手い人らしいが、最も嫌いな類型で自分がどんな悪影響を与えているかご存じない。
    ゲームが終わってから、ルールを変えて良い事は無いし、子供と将棋をやってんじゃないから。
    重大な罪を犯さなくてもよい機会は常にあったのに、それをしなかった個人的な救済を求めた加害者の情状より、無辜の市井の決して物心両面の被害を回復できない被害者に思いが及ばない連中が多すぎ、ついでにその被告の元弁護団も抗議を申し述べていたが、論理的一貫性に欠ける。全くろくでなしが多い。事件当時の筑紫某のしたり顔と言うか馬〇面を思い出すと、今も腹が立つ~~♪

    昔の武家諸法度は成文ではあるが、基本理念は偏りの少ない常識と当事者が或る程度受け入れて社会が安定することが優先的な裁定・決定理由だったらしい、時代が進んで、人はバカが進んだ~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この事件を記録している者は、今の時代では私一人かも知れません。
      しかしこれと同じ現象は3年前に同じ地域で発生した事がAP伝に拠って配信されました。この際始めての珍事と表現されていましたから、APにしても過去の事件は忘れらている事が分かった訳です。
      記録しておくの大切さを思いましたね・・・。
      世界初の珍事ではなく、過去の少なくとも例が存在していた事は大きいと思います。
      更に私としても、この話が半信半疑だったのですが、こうしたことが現実に起こる事が立証された訳です。
      3年前APの配信を読んで、一瞬間が目頭が熱くなるものを感じました。
      やはり怪しい話の大家はやめられないと思います(笑)

      コメント、有り難うございました。

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