「仏の顔」

「おい、どうした、でかい図体して・・・かかってこんかいや」そのハイビスカスか何か分からないが、黄色地に赤のアロハシャツを着た、身なりも貧相なら喋る言葉も貧相な若い男は腰を少しかがめ、両手でボクシングのポーズを取りながら凄んだが、こんな男・・・その当時まだ若かった私は元高飛びの選手だったし、この時点でも後方宙返りを4回ぐらいは連続させることができたから、おそらく殴りかかってきても1発だって当てさせない自信があったので、上から見下すような視線を送ってやったが、男はどうやら私ではなく、隣の私の連れの男性に向かって凄んでいるようだった。

20代の前半・・・と言っても限りなく20歳に近い頃だが、青年団の団長にさせられてしまった私は、地元の祭りで使う法被(はっぴ)が古くなっていたので、新調してくれると言う区長に付き従って、少し都会の町へ出てきていたのだが、この区長の男性がせっかく都会へ出てきたのだから、どこかで美味い酒でも飲みに行こうと言いだし、繁華街をうろついていたら、前方からいかにもチンピラ・・・と言う感じの自分と余り歳が違わない若者2人が歩いてきて、運の悪いことに区長と少し腕が触れてしまったのだった。

それで、「おい、何とか言うたらどうや・・・、俺等を誰や思うとるんや」と言うことになったのだ・・・・が、この区長、年齢は50近くになっていたとは言うものの、体重96キロ、身長186センチ、しかも元柔道日本選手権の入賞者、水田に散布する肥料の袋(約30kg)を片手に持って散布し、10トントラックのバッタリ(トラックの横の分厚い金属の押し上げ枠)を1人で押し上げるほどの、腕に自信の人だったのである。
まともに喧嘩してもまずかれらに勝ち目が無いことは私が知っていたし、それでなくても手を出せば、殴ったその手が骨折するかも知れないような人だった。
「おい、お前、耳が聞こえないのか」区長が黙っているのを良いことに、ますます増長するチンピラたち・・・、だが相変わらず区長は黙って無表情に突っ立ったままだった。

「デカい図体して、度胸の無い奴やの・・・ええわい、土下座したら許してやろうやないか」チンピラの1人がそう言うのを聞いていた私は、てっきり次の瞬間その男が殴り飛ばされている光景を想像し、一瞬目をつむった。
だが、その瞬間区長の取った行動に私は思わず自分の目を疑った・・・、なんと区長はアスファルトに座り、通行人が見ている中で手をついて土下座したのである。

出鼻をくじかれた形になったチンピラ達は、少し気まずい感じになったものの「ごめんなさいはどうした」とまで言い、区長はその通り「ごめんなさい」と謝ったのだった・・・、せっかく喧嘩が見られると思っていた通行人たちは「なんだ、本当に大したことがないな・・・」などと言ってまた歩き出し、チンピラたちも散々罵りながらも、去って行ったが、この行動に猛烈に抗議したのは私だった。

あんなもの、自分ひとりだって勝てるようなもの、何で謝るんだ・・・悔しくて悔しくて仕方がなかった私は区長に詰め寄ったが、区長は一言・・・誰もけがをせんで済んだんだから良いじゃないか・・・と笑っていた。
それから適当な店を見つけた私たちは、区長のおごりで綺麗なおねえさんのいる店で一杯やり、最終電車に乗り込んだのだった。

あれからもう20年以上たったが・・・、昨年偶然出会った時、元区長は今年から米作りは止めたんだ・・・と私に告げ、また少し笑った。
理由は聞かなかった・・・、なぜなら元区長は片足を引きずるようにして歩いていたからだ・・・、米を収穫するときは30kgの米の袋が持てなければ、乾燥も出荷もできない・・・、そればかりか歩くのでさえ不自由では、そもそも機械の操作だって無理なのだ。

あんなに元気で強くて優しくて、そして一生懸命働いていた人でも歳はとってしまう・・・、生き物には寿命があることは知っていても、それが現実としては捉えられなかったが、こうして決定的な事実を見せられると、なんとも言えない侘しさを感じる・・・。
元区長は私に、自分の田を耕作してくれないか・・・と尋ねたが、既に私は自分の力でできる精一杯の範囲まで耕作面積を拡大していることから、お断りするしかなかった。
元区長はあの時もそうだったが、今はそれにも増して透明なほどの笑顔になっていた。
時々車を運転していると、夫婦で仲良くわずかばかりの家庭菜園に精を出している姿を見かけるが、そのときもやはり微笑んでいる。

働いて、働いて、夜も寝ないで働いて、体が動かなくなり、そして誰も恨まず、何も求めず、あるがままの現実を全て受け入れる・・・、もし現世に仏がいるとしたら、きっと彼のような顔をしているに違いない。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 人も物もどこからかこの世に来りて、どこかへ去ってゆく、これは変えられないが、そこで美しく生きることもできるし、そこでその逆に生きることもできる。美しく生きる事に努力する人も有れば、逆に生きることに努力するする人もあるが、その人たちには、その醜さが見えないが、仕方がない~~♪

    現今のマスコミや国会の有様を見ているようです。
    チンピラは結局、社会のダニで、ダニには、言葉を借用して、誠に申し訳ない。ダニは自分の在るべき(笑い)地位を見出す時は延期された。

    自然界では均衡へ向かうが、うねりながら働くことが多いが、時々こちらも失敗したり、別の要因で、滅びたりする。
    結局、今を生きるしかない。

    諸行無常なり(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      最近本物の男や女が少なくなりましたね・・・。
      強くて優しい人がおらず、弱くて険悪な者がめっきり多くなってしまいました。
      昔は涙が出るほど男、女と言う人間が多かったのですが、まことに淋しい限りです。
      今月で朝日新聞も辞めようかと思います。
      何も読むところは無く、自費出版のコマーシャルばかり、新聞を取っていながら殆ど読んでいないかも知れません。
      記事も稚拙で浅い。
      人間やはり経験と言う事は大切で、この経験が言葉や表現を広くするのだろうと思います。
      その意味では波乱万丈、艱難辛苦の連続でしたが、自分のこれまでは有り難かったなと、つい最近思えるようになった気がします。

      ツバメのいなくなった納屋に差す、少し長くなった陽の光、何となく夏の終わりを感じさせ、一抹の淋しさを感じます。

      コメント、有り難うございました。

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