「女の確執」

ある雪の日、部屋を閉め切って物語りをしていると、一条天皇のお后の一人、定子は清少納言にこう言う・・・。
「少納言よ、香炉峯(こうろほう)の雪はいかならん」
これを聞いた清少納言は、さっと戸を開け、御簾(みす)をくるくると巻き上げ、雪景色を定子にご覧にいれる・・・、と言っても今の時代では何のことだか・・・と言う人も多いだろうが、これは「白楽天」と言う中国の詩人が作った漢詩の中の一文・・・、「香炉峯の雪は簾を撥て見る」(こうろほうの雪はすだれをかかげてみる)と言う一節を覚えていた清少納言が、さっと気転を利かせて、簾を上げて見せたのである。

なんとも頭の回転が速く粋な所作だが、こうした少納言を周囲の女性たちは感心して見ている・・・、自分たちもその漢詩は知らない訳ではなかったが、とっさの状況にそこまでは思いつかなかった・・・と。
「枕草子」にはこうした少納言の自慢話が随所に出てくるが、確かに彼女は物知りで、中国古典詩などは男性はともかく、女性が知っていることなど皆無の時代に、しっかりそうした知識を持ち、その範囲は広く、未翻訳の書籍も相当読み込んでいる形跡が伺える・・・、まごう事なき才女である。

だが、この少納言をちまちまとこき下ろしている女、こちらも才女だが・・・それが紫式部だ。
彼女の博学ぶりはつとに有名で、子供の頃父が兄に漢学を教えているそばで聞いていた式部は、兄よりも物覚えがよく、「この子が男だったら・・・」と父が嘆いたと言われるほどだ・・・、きっと少納言と比べても何ら遜色の無いものだっただろう。

だが、清少納言と紫式部・・・同じ宮廷才女と呼ばれながら、両者の性格は全く正反対、例えて言うなら少納言は「雑学王」的な面があり、そつがなくて利発、多少芝居がかっていても平気でそれらしい行動の取れる女、自己主張の強い女だったが、式部はどちらかと言うと、深い理解に重きを置いているようなところがある。
合衆国大統領の名前は誰・・・と聞かれてすぐにその名前が言えるのが少納言なら、合衆国が日本に及ぼす影響は・・・と聞かれて、これにじっくり回答できるのが式部であり、式部は薄っぺらな物知りを軽蔑していた。

だから少納言のような少し背伸びをしてでも・・・の物知りが大嫌いだったらしく、「紫式部日記」では少納言をこのようにこき下ろしている。
「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける(はべりける)ひと。さばかりさかしだち、真字書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬことおほかり」
(清少納言は高慢ちきで、はなもちならない女だ、偉そうに利口ぶって漢字などを書き散らしてはいるが、よく見れば、その理解の程は話しにならない程度だ・・・)とかなり辛辣だ。

紫式部の少納言批判は延々続き「なんでも自分こそが人と違うのだと思って自慢している人は後々見劣りするものだ」やら「やたら風流を気取っている者は将来絶対にろくな目に合わない」など言いたい放題だ。
まあ、そう言われてみれば少納言には確かにそうした感じはつきまとう・・・、「枕草子」を読むと、自分がいかに博学かを自慢するような話、彼女の気の利いた行動に対して貴族たちが驚嘆したと言う話が、随所に出てきて偉そうではある。

だが一子を亡くし、夫とも死別していた紫式部は性格上、どうしてもこうした見え見えの行動ができず、一条天皇のもう1人のお后、彰子(しょうし)に使えていたが、言ってみれば彰子の家庭教師のようなもので、そうした立場にありながらも普段は何の知識も無い女を装い、誰もいないところでそっと彰子に必要なことを教えていたようだ。
このように奥ゆかしい式部・・・彼女にとって一番許せない女が、お茶目な清少納言だったのかも知れない。

また少納言の漢文の理解度だが、あの程度か・・・と言う式部の意見もあながち間違ってはいない・・・、「香炉峯の雪は」で真っ先に簾を巻き上げる気転は、所詮そこまでの感があり、式部の漢文に対する理解度は更に深いところにある。
「源氏物語」・・・この不朽の名作の根底には式部の漢文や仏教哲学の大変な知識が横たわっていて、ちょっとした言葉の言い回わしの中にも、そうした知識が散りばめられているが、式部の場合それですらもほんの余興程度のことであり、本質としての深さがある。

「源氏」の底辺を流れるものは「無常観」であるに違いない・・・、華やかな王朝絵巻ではありながら、そこに出てくる人物たち一人一人の心はみな陰鬱であり、決して華々しいハッピーエンドなど有り得ないのである。
どうしてこうも・・・と思うのは私だけだろうか・・・、何故だろう・・・、理由は式部にある、この世には永遠の幸せや繁栄など絶対に存在しない、式部の根底に流れるこうした「無常観」が「源氏」そのものだからである。

この時代の貴族社会では、さまざまな外国文化が取り入れられていったが、こうした中でも仏教の真理を追究することによって見えてくる「無常観」、これが当時とても流行していた・・・、そして紫式部は女性でありながらそれを理解し、そこから「源氏物語」を書き上げたのだろう。

こうして考えてみると、確かに清少納言より紫式部の方が、作品としての完成度は高い・・・が、どうだろう紫式部にはどこかに湿度が感じられ、文中にもあるような手厳しい少納言批判である。
今ひとつ男の目からは「嫌な女」のような気がしないでもないし、結果として式部が少納言にいだいていたものは「女の嫉妬」だったようにも思えるのだ・・・、謙虚に振舞いながらも、人は批判する・・・もし私がどちらかを彼女にしなければならない、と言う状況だったら、多少はなもちならない女でも清少納言を選ぶような気がするが、こんな思い上がりも甚だしい男には、少納言、式部のどちらからも肘てつを食らうことになるか・・・。

この2人の作品の優劣は難しい・・・例えて言うなら紫式部が「絵画」、清少納言が「アニメ」の作品であり、この2つを同列基準で判断すること自体が、そもそもの間違いかも知れない。
そして女の戦いに男が口を出すと、ろくなことが無い・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「源氏物語」のスポンサーは、道長で有るらしく、紙が高価貴重であったが、必要に応じてそれを与えた風だし、話が出来れば一番に読んで、筆写もさせた様だ、それで、現代にも残っている。西洋でも小説が出来たのは、せいぜい200年程度前からであり、1000年前に日本では、世界の古典と言うべき「源氏」がそれも女性の手で書かれていた。
    この一条天皇の時代が、日本の文化・政治その他、良き日本的なものの絶頂期で有り、それ以降は、殆ど下り坂で有り、遺産を使い切って、今は借金生活(笑い)。
    道長と一条天皇は「対立」はしているが、現代の与野党の不毛の国民の居ない対立とは、様相を異にしている。二者とも、ま、いわば親類で有り適当なところで手を打つ。
    一条の四納言、行成の贔屓だし、も存分に活躍したし、「賢人右府」と呼ばれた実資も活躍していたし、それはあたかも幕末明治に英傑が綺羅星のごとく現れて活躍した如しだが、平安時代の方が、物語としては格段に面白い~~♪

     バ〇は、民主主義的じゃなかったとか、女性の名前が、十分に伝わって居ないのは、男尊女卑だとか、言うだろうが、こういう輩には、古今東西付ける薬は無いから打っちゃっておけばよい。

     究極の選択でどちらを選ぶか・・才気煥発~目から鼻は選ばない気がする~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      式部も少納言もまごう事なき才女ですが、例えば紫式部、彼女の漢詩、漢文の造詣は相当深い。
      しかし一方で郊外に出かけたとき、田んぼで農民が並んで後ろへ下がっている光景を目にし、あれは何かの踊りかへ・・・と周囲に尋ねる。
      何のことは無い、田植えを知らなかっただけであり、この点では少納言はそんな場面を見かける場へすら出かけない・・・。
      どうでしょうか、今とそんなに変わらないのではないでしょうか。華々しい事、外の高尚なものには目が行っても、自分の国の人が、経済の根幹をなす田植えをしている事すら知らない。
      こんな者たちが朝廷の側近として学術を為している訳ですから、現代の諮問機関のことは言えないだろうと思います。
      ただ、確実に時代を追うごとに劣化してきている事は確かで、今の時代の方が質も程度も平安期よりは劣るだろうと思います。
      また私はどうしても源氏物語は好きになれない。ただの不倫小説、背徳小説にしか過ぎないような気がして・・・。
      更にSF小説も日本が最古だろうと思います。竹取物語では月の人々が出てきて、成長したかぐや姫が帰って行く訳ですから、これは本当に凄いと思ったりします。

      コメント、有り難うございました。

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