「生物絶滅の歴史」

太陽が生まれて間もない頃、その明るさは今の太陽より暗かったのでは・・・と考えられているが、そう今の太陽の70%くらいの明るさだったようで、その後地質時代を通じて少しずつ明るさを増していったと推測され、こうしたことから温室効果がある二酸化炭素の量が、もし現在の地球に存在する量と同じなら、確実に海は凍結していることになる。
太陽光が地球に与える影響は大きく、数%減少しただけで海は全凍結してしまう。
しかし地質学的検証ではこの38億年の間に海が完全凍結した事実が殆どなく、太陽が暗い太陽から明るい太陽へと変化してきた経緯を考えると、海が完全凍結しなかったと言うのは不自然であり、このことを「暗い太陽パラドックス」と言う。

ではこのパラドックス(矛盾)をどう考えたらいいのか・・・、二酸化炭素の量が現在より大幅に多く、それによって地球に温室効果があり、太陽光が少なくても海が完全凍結しなかったのでは・・・と考えられたが、こうした説も現在では地球の初期大気成分がメタンであり、温室効果がメタンガスによって得られていたとされるようになってきている。
この理論からすれば、メタンから二酸化炭素に切り替わったとされる時期が出てくる訳で、約23億年前、多分地球は陸も海も1回完全凍結していたことになる。
そしてこの時地球に発生していた生命は細菌類だったと思われるが、この状況を細菌類は生き抜いて現在の生態系に至っているのか、絶滅して新しい生命の進化が始まったのか、それとも細菌類はそのまま生き抜いて、凍結期間が終わったら別進化系の生物が発生したのかはわかっていない。

また原始の地球大気が入れ替わってきた時期、それまであった二酸化炭素を吸収して光合成を行うラン藻類などは光合成により酸素を放出するようになる。
これにより少しずつだが確実に大気や海の酸素濃度は高まり、結果として二酸化炭素を吸収して生命を維持していた生物にとっては緩やかな絶滅があったと考えられる。
地球大気の変化は、二酸化炭素呼吸の生物から酸素呼吸の生物への入れ替わりになり、空気中の酸素はオゾン層を形成、太陽の紫外線を除去した環境が生まれ、ここから時間をかけて水中生物から陸上生物の時代が始まっていった。

カンブリア紀、今から5億7000万年前だが、脊椎を獲得した生物と脊椎がない無脊椎動植物の区分けがこの辺から始まり、それまで海草やクラゲのような生物しかいなかった海に、魚類や三葉虫などの生物が発生してくるが、この3000万年前からそのまた2億年前、つまり今から8億年から6億年前には大規模な地球の寒冷化があり、この時にもそれまでの生物は大量絶滅しているはずである。

さらに今から2億6000万年前、地質的な年代区分では二畳紀(ペルム紀)の後期と言うことになるが、このときは地球上の全生物の70%が失われたとされていて、ここから1000万年後の2億5000万年前には実に全生物の90%が、その後 二畳紀と三畳紀の間、2億2500万年前にも全生物の90%が死滅したことが、調査によって明らかになってきている。
これらの期間は2段階、3段階で生物の絶滅が進んでいて、その原因はおそらく地球規模で始まった大規模火山活動によるものと推測されている。

中国南部、コロンビア、シベリア、アフリカ、ブラジルなど広く分布する火成岩の年代が、これらの生物絶滅の時期と重なることから、こうした考えが唱えられるようになったのだが、火山活動によって海水の酸素が急激に失われる現象が起こったようで、「海洋超酸素欠乏現象」と言う名前で仮説が立てられているが、宇宙からやってきた天体との衝突を唱える者も一部には存在し、オーストラリア北西部の海底に2億5000万年前の衝突構造が発見されたことから、一時議論になったが、天体の衝突説には疑問も残っている。

このときの生物絶滅期をP/T境界と言い、二畳紀と三畳紀の境界を指しているが、この生物絶滅期に三葉虫やフズリナなど、カンブリア紀に発生した生物は絶滅した。
シダ類などの陸上植物、肺魚、昆虫や爬虫類なども3000万年の間に3段階で大部分が死滅していったのである。
そして中生代白亜紀と新生代第三紀の境界にあたる今から6500万年前、このときも地球の生物の90%が死滅している。
恐竜や2億5000万年前の絶滅を生き抜いたアンモナイトまでがこの時期絶滅し、哺乳類の多くも死滅した。

このときの原因は小惑星や彗星の衝突であったとされているが、イタリアのアルパレッツ達が白亜紀と第三紀の境界の地質を調べた結果、この地質に通常より高い濃度でイリジウムが含まれていたことから小惑星衝突説は有力視され、ユカタン半島に直径100Kmの衝突構造を形成した小惑星の衝突が、この時期に一致していることから、生物絶滅の要因とされてきた。
しかし近年生物絶滅とこのユカタン半島の小惑星衝突は、30万年のずれがあることが分かってきている。

ユカタン半島の小惑星衝突は、生物絶滅の30万年後のことだった。
また恐竜の絶滅に関しては、この時期の少し前から植物が裸子植物から被子植物への変化を示していて、これは簡略に言うと「木」から「草花」への移行であり、これによってそれまで大型の草食恐竜達の食物だった「木」がなくなり、草花では高さが低く、食べることができずに草食恐竜が死滅、それを捕食していた肉食恐竜も死滅したのではないか・・・と言う説もある。
これによると、植物は裸子植物では恐竜に食べられてしまい、子孫を残せないことから、自身を草や花のような被子植物へと変化させた、つまり種の存亡を賭けて恐竜達に抵抗したことがきっかけで恐竜が滅んだことになるが、何とも生命の機微を感じる説である。

かろうじて人類の祖先が発生してきた頃、今から400万年前から今日まで、たったこれだけの期間でも氷河期が5回以上あって、そのたびに少しずつ生物は変遷をとげている・・・、またこれまでに地球で確認されている衝突構造、つまり小惑星の衝突痕は150個以上・・・つまり150回は小惑星が地球にぶつかっていて、その内何回かは地球生物の殆どが死滅したこともあっただろう。

だが、こうして見ると大量絶滅がある度に、次は破格の多様性を持って生物は繁栄を極めている。
生物にとって大きな試練はまた大きな繁栄ももたらしている・・・、だから滅びることは何も恐いことではなく、次に興る生物の為の道筋ともなっているのであり、私たちもまた連続する生命の流れの一端なのであり、これをして生物は永遠の生命を持っているとも言えるのである。

だから個々の生物はどんなことがあっても生きることを諦めてはいけない。
どんなに辛くても苦しくても、生きよ、生きよ・・・、この地球に生命が生まれてから38億年、今この地上に存在する全ての生物は、幾多の絶滅の危機をくぐり抜けてきた誇り高き「生命」の末裔なのだから・・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 今、自分の妄想と現実が少しばかり違うからと言って、小学校~中学校の夏休みが終わるころから憂鬱になり、不登校になると、立派なカウンセラーや、親世代(親じゃない所が肝心~笑い)や相当くたびれた教育評論家が、「自分の気持ちを大切に」「「人生は長いから、少し休んだからと言って、大きな負債にはならない」「社会はもっと多様性を認めるべきだ」とかなんとか、御託を言って、怪しい教唆をまことしやかに宣って、結果が悪くとも、別の理由を引っ張りだして、理屈に合わない事を、平気で(ここが肝心~笑い)ますます事態を悪化させる~~♪
    大抵、遣るべき時に出来なかったことは、時が過ぎたら、ますます出来ない事が多い~~♪

    今解決すべき問題を先送りして、当然、学力不足で、就職もままならず、作られた社会不適合となり、引きこもりに成って、親子ともに家庭内で老齢化して、貧困へまっしぐらぁ~~♪

    実験はし難いけれど、各地方で、各100人程選び出して、一方は「子供の希望通り」にして、方や「いろんな手段で登校させて」5年後~10年後~15年後の結果を比べてほしい(笑い)~~♪

    適当な勘でいえば、単純に怠惰で宿題をやって居ない、貧乏で家族旅行に行って居ないので肩身が狭い、モテない・・これについては、少年が思っているモテ基準と実際のモテ基準は大いに違っている気がする。少年は格好の良さとかゲームが上手いとか今の自分と引き合わせて考えるだろうが、実は、動物と同じで、体が丈夫であるとか、健康に見える~ひいては将来お金が稼げる、優しくしてもらえる、とか、深層心理で判断している気がする。世の中、事実を把握することは重要だが、看過してはいけない事を、それに合う理屈を探し出して、他人を不幸にする連中多過ぎ~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      こうして見ると、生物種の滅亡はある意味次のチャンスとも言える訳で、長い目で見るなら連続性が在り、基本的に人間もその種の連続で歴史が形成されている事から原理は同じ、拡大して考えると人間でなくても生物が生きてさへいてくれれば、我々が存在した事も全く無意味ではなかったと言う事になるのだろうと思います。
      命とは厄介なものでもあり、それに執着する事で全体が担保される。しかしそのおかげで社会や地球のシステムが壊されて行く現実もあり、これを総合的に考えるなら、やはり全ては滅亡や崩壊に繋がっていくものなのだろうと言う気がします。
      その上でウィルスなどの存在を考えるなら、生物を放棄して半生物となった経緯はとても興味深いものがあり、或いは行き着く限界まで行ってしまった生物種の存在を予想させるものが有ります。
      最近思う事は、自分はどこまで生きたら良いのかなと言う事であり、何をまだせねばならないのかと言う事でもあります。
      でもそれを含めて先は全て天の采配、何が起きてもそれを味わい、楽しもうと、そんな事を思います。

  2. 生命は、一回でも滅んだら、再生することはない。地球の生命の歴史で、幾多の大絶滅が繰り返されても、一度も滅びていない生命の末裔が、今の生命であって、将来滅びるかも知れないが、すべては内なる力で生きる戦いをしているのであろうから、誠に尊いものである。マグロやマンボウに聞くまでも無く、その一回の数億と言う産卵数から成魚に成って産卵まで至るのは、ほんの数個体で有り、ヒトも似たようなもの。
    宗教も教育もあまり自覚は無く、どちらかと言えば、地質学者や生物学者が生命の継続の困難さを自覚しているが、圧倒されてか、啓蒙活動はしている風ではない。

    そんな中で弘法大師空海は、それを信じて、多分、56億7千万年後に、他の菩薩と共に汝ら衆生を救済・済度に来るから、それまで待っててチョンマゲ(笑い)、と遺言したらしいから、なんと仏教の深遠なる事よ~~♪

    1. 日本も世界も何かがおかしい。
      病院でも職場でも暇さへあれば皆、スマホ画面でゲームか、或いはどうでも良い通信をしていますが、これらは生産にはならない。
      つまり遊んでいると言う事になるのですが、世界中がこうして遊んでいて経済が沈降するのは当たり前で、介護も公務員も基本的には生産ではなく、この意味では「職員」な訳です。
      こうしたものまで経済に組み入れて計算すると、食べてしまったアイスクリームまで財産だったと換算されてしまう。
      全てがごまかしの世の中はまことに虚しく、力が入らない・・・。
      私はもしかしたらどこかで大きな混乱を望んでいるかも知れません(笑)

      コメント、有り難うございました。

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