「北海道胆振地方地震に付いて」・2

北海道胆振地方地震で震源付近の厚真町(あつまちょう)で発生した広範囲、大規模な土砂崩れに関して、役に立つかどうかは解らないが、今後の参考までに地震に拠って引き起こされる奇妙な現象に付いて、幾つか事例を上げておく。

昭和51年(1976年)6月16日に発生した山梨県東部を震源とする地震では、三島、河口湖、東京で震度4を観測したものの、この地震に拠る被害は皆無に思われた。

しかし神奈川県津久井町青根と言うところで2軒の民家の屋根瓦が全て落ちてしまう現象が発生し、ここでは住民が大したゆれを感じなかったにも関わらず、屋根瓦が全て落ちてしまったのである。

だが、この2軒の家の隣の家では僅かにふすまが揺れた程度で、被害が起こっておらず、この村に通じる道では一定方向の雑木が根から抜けたようになって倒れていた。

ちなみにこの地震の2ヶ月前、4月6日頃から10日以上、神奈川県丹沢の奥地では毎晩キーン、キーンと言う音が定期的に2時間、5秒間隔で続き、その音源の発生源がどこなのかすら、特定できなかった。

専門家はトラツグミの鳴き声と評したが、現実に録音された音は金属的な音であり、朝日テレビのアフタヌーンショーでも取り上げられたこの現象音を聴く限り、トラツグミでは済まされないものが有った。(日本地震予知クラブ記録資料より参照)

また昭和53年(1978年)1月14日に発生した伊豆大島近海地震はM7・0の大地震だが、ここでも各地で山崩れが発生し、河津町見高入谷(かわずちょう・みたかいりや)では高さ200m、幅80mに渡って山が崩落し、反対側の山へ土砂が10mの高さまで乗り上げていたが、不思議な事に、この山の手前には小川が流れていながら、その小川には土砂が入っていなかったのである。

同様の事例は明治24年に発生した濃尾地震(M8・4)の記録資料にも残っており、愛知県西春井郡西枇杷町下小田井と言うところでは幅20m、高さ40mほどの竹薮が、向かって右側を流れている川を飛び越えて、ごっそりと30m近く横に飛ばされていたのである。(市原信治著・濃尾地震と根尾谷断層より参照)

このように海域地震ではない内陸地震や陸地地震では震動が伝わる過程で方向性が有り、その方向に並列する場合と、直角に対面する場合では、同じ地域でも被害に大きな差が出てくる事が知られていて、此度の北海道南部地震でも、厚真町の山崩れには一定の方向が大きく崩れているようにも見える。

内陸地震では相対する両方向からの圧力である場合が多い為、震動の方向性は一定方向のみとは限らない。

直後に反対側からの震動が伝わった場合、家屋などの比較的面積の狭い状態は「点」となるが、山脈や山などは「面」としての性質も持つ事から、意外な震動を受けるケースが考えられる。

山肌をむしり取って、向かいの山に貼り付けるような力の加わり方も記録されているのだから、同じ方向の土砂が大規模に崩れる事も充分有り得る。

決して不思議な事ではなく、過去にも事例が有りながら、忘れられているだけと言う可能性がある。

またエネルギーの一元化は経済的効率には望ましいが、統一的一元化エネルギーはその統一こそが一瞬にして全てを崩壊させる原因となる。

この事はエコキュートなるものが出現して来た当初から警告されてきた事だが、電気のみに頼るエネルギーの一元化政策よりも、エネルギーも多様性を持っていた方が、危機に関しては有効となる。

今後の再建には是非ともこうした考え方も取り入れて貰いたいと切望する。

北海道と近畿で電気が来ない地域の方々の不安と不都合は察するに余りあるものがあり、どうか暗闇では一人にならないように、家族、近所、仲間たちと一緒に過ごして、朝を迎えるようにして頂きたいと、それを心から願う・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。