およそ1つの宗教はそれのみが突然に発生してきたものでは有り得ない。 仏教を見てもその前にバラモン教があり、キリスト教、ユダヤ教に至ってもそれ以前にバビロン、メソポタミアの宗教観の中から一つはそれを取り入れ、一つはそれに反発する形で自身の宗教を創造して行ったに過ぎない。 だから宗教と言うものの本質はその流れにあり、いつの時代も普遍な価値観を与えるものではなく、時代によってそれは変化し、また個々の人間においてもその概念は決して安定してはいない。 ガウタマ・シッダールダが興した仏教、しかしインドは決して安定した勢力が統一を果たすと言うことがなく、仏陀の死後マガダ国が仏教とジャイナ教を保護したこともあって、仏教はこのマガダ国を中心にして幾つかの教団に分かれて活動したが、紀元前3世紀、マウルヤ朝のアショカ王が仏教を強力に保護し始めると、飛躍的に発展していったが、このアショカ王が仏教を保護し始めたのは理由があった。 そしてこのチャンドラグプタが起こしたマウルヤ朝が勢力を弱めると、今度は南インドにアーンドラ朝が興り、その自由な空気の中でナーガールジュナたちの「大乗仏教運動」がおこったが、大乗の思想自体は紀元前からあったもので、新仏教と呼ばれる性質のものだが、利他主義の立場から人間一切の成仏を説き、戒律にとらわれず菩薩信仰を中心に、広く衆生の救済をはかろう・・・と言うものだった。 仏教教団は、シャカの死後多数の学派に分かれて論争をしていたが、この大乗の精神はそうした中から改革運動で起ってきたものであり、それまで仏教としての個人は厳しい戒律を守り、苦行してその悟りを開こうとするものだったが、こうした古典形式の仏教を、大乗仏教側は小乗仏教と呼び、区別した。 紀元前6世紀から紀元後3世紀ほどまでのインドは正確には小国の乱立状態で、その中の勢力の強いものがインドの大部分を征した形で、その入れ替わりは激しく、それぞれの為政者が仏教を保護した為、仏教は栄えたが、こうした為政者がイスラム勢力の干渉を受けるに従って仏教の衰退が始まった、この背景には宗教的復興精神が新興宗教の仏教では無く、古典宗教であるバラモン教に及んだ点にある。 だがこうした傾向は現在も同じで、およそ人間とはこうした思考形態の動物である・・・と考えたほうがいいだろう。 一つ前の時代に流行っていた仏教よりは、その前のバラモン教により大きな価値を見出す動機はここにあるように思えるが、インドの地理上の位置からしても、異文化の侵食を受け易い土地柄から、その地域の独自性と言う観点でも、より古典的な思想が尊重され易い下地を持っていたと見るべきだろう。 仏教は紀元後3世紀にはバラモン教の復刻版とも言える、ヒンドゥー教に押され少しずつ衰退していったが、チャンドラグプタ2世のグプタ朝、その後紀元6世紀の北インドで興ったヴァルダナ朝まではインドでその信者の活動を見ることができるが、その後7世紀には諸国王が乱立して争い、数世紀にわたる暗黒時代を迎えることになり、やがてイスラム勢力の支配を受けるに至って、インドでの仏教は消滅した。 しかしアショカ王の時代、王は仏教を統治の根本精神と定め、広く布教に努め、仏教は非常に発達した、また王は諸外国にも仏教の布教に努めたが、ことにセイロン島の布教が大成功を収め、このルートから東南アジアへの仏教伝来が始まった。 大乗仏教の経典の多くはこのカニシカ王の時代に編纂されたものであり、こうした伝播ルートから大乗仏教を北伝仏教、一方東南アジアルートは南伝仏教とも呼ばれ、大乗仏教の原典はサンスクリット語で書かれ、チベット訳、漢訳の大蔵経があり、小乗仏教の原典はパーリ語で、南伝大蔵(邦訳)などがある。 仏教結集とはシャカの没後、仏教経典の整理統一を行ったもので、彼が生前語った法話が失われるのを防ぎ、また異説が生じないように弟子たちが集まり、各自の記憶するところを述べて、同異を正し修正したのが始まりで、4回の結集があり、第1回はシャカ入滅直後、紀元前5世紀半ば頃、マガダ国の首都ラージャグリハ付近の洞窟に、約500人の弟子たちが集まって開かれた。 またクシャーナ朝の首都プルシャプラを中心とするガンダーラ地方にはヘレニズム文化の影響を受けた仏像彫刻がおこり、ギリシャ式仏教美術が栄え、その栄えた地域にちなんで、これをガンダーラ美術と言うが、インドでは始め信仰の対象を人間の像で表すのは恐れ多いと考えて、仏像は作られていなかった。 宗教は唯見ていると皆がそれぞれに違っているように見えるが、実はその根底を流れるものはそう相反したものではなく、むしろ同じような側面を持っている。 ネアンデルタール人たちはその生活の中で「死生観」を持っていた・・・、その後クロマニョン人は音楽を楽しんでいたようだ・・・、現在互いに争い、憎しみ合っている宗教は元々兄弟の関係にあるものだ、もしかしたらすべての宗教を辿っていくと、本当は1つの観念から始まっているかも知れない・・・・。 シャカは晩年老いたわが身を引きずり、故郷の丘に立った・・・、しかしそこは戦争と混乱で幾多の亡者が積み重なり、男も女も乞食のように身をやつし、生き地獄の有様だった。 |