「自分が歩いてくる」

1967年6月、ニューメキシコの砂漠地帯を走る道路・・・、長い運転に疲れた夫に代わって、今しがた車の運転を始めたクリスティーナは照りつける太陽の下、快適なドライブを楽しんでいた。
ラジオからはポップな音楽が流れ、このまま次のガソリンスタンドまでは70km・・・、しかしガソリンはさっきのスタンドで満タンにしたばっかりだったし、ふと隣を見れば夫はもう軽い寝息を立てていた。

まっすぐな道路で、走っている車は自分が運転している車しかいないし、たまにすれ違う車があってもそれは大したことはなかった・・・、ただ気を付けなければいけないのは眠気との闘いだが、それもさっきまで休んでいたし、特に眠気も感じてはいなかった。
だがふと道路の遠くに目をやったクリスティーナは「あらっ」と目を凝らした・・・、こんな砂漠の道路を誰かが歩いている、しかもそれはショートパンツのシルエットから「女」であることは間違いなかったが、ちょっと瞬きしたとたん、その姿はかき消されたようになってしまった。

「いやだわ、疲れているのかしら・・・」クリスティーナは幻を見たのだと思い、そのままアクセルを踏んだ・・・、とその時だった、さっきの「女」が車の目の前をこちらに向かって歩いていて、ブレーキを踏んだがもう間に合う距離ではなかった・・・、そしてその顔は誰だったと思うだろうか、なんとにこやかに笑って車に向かってくるその「女」は、クリスティーナ自身だったのだ。
「きゃー」と言う絶叫とともに車は急停止した・・・が、間違いなく人を撥ねてしまったはずなのに、何の衝撃もなく、恐る恐る目を開けたクリスティーナを、びっくりしたような顔をした夫が覗き込んだ。
「どうしたの・・・」夫の不思議そうな顔にクリスティーナは「自分を撥ねてしまった・・・自分を撥ねてしまった」と震えるばかりだった。

さっそく車を降りて、誰か撥ねたのか確かめようと2人は付近を捜したが、死体はおろか付近に人影など全くない・・・、また車もぶつかった形跡も何もなかった。

またこれはあるセールスマンの話だが、同じ道路を会社の会議で遅くなったので、かなりのスピードで走っていたところ、月夜であたりはほのかに明るく、行き交う車も殆どなかったが、疲れていたのか一瞬眠ってしまい、目を醒ました瞬間だった。
目の前に大きな事務所の建物がそびえたっていて、道路を遮るようになっていた・・・・、しかも窓やキラキラするガラスに映る金文字さえ見えたのである。
「ダメだ・・・、これは間に合わない・・・」セールスマンはとっさにハンドルを切ってブレーキをかけたが、いつまでたってもぶつかった衝撃がなかった。

良かった・・・間に合ったか・・・、セールスマンはホッと一息ついて顔を上げた・・・、が、あれっ・・・そこには何もない、そびえたつ事務所はおろか、薄明るい月夜の道が続いているだけだった。

他にもある。
これはある牧畜業者の体験だが、夜道を飛ばしていたこの牧畜業の男性が、やはりこの道路にさしかかったところで、突然道路を塞ぐように巨大なスタジアムが出現したのだった。
良い天気で、風にはためく沢山の旗が見え、観客のどよめきまで聞こえてくる、そしてなぜかそこだけ昼間なのである。
この男性も突然目の前に現れたこのスタジアムを避けることは不可能な距離だった、「もうダメだ・・・」と思ってブレーキを踏んでいるが、やはり顔を上げてみると、そこには暗闇が続いていて、コオロギの声が聞こえるだけだったのである。

更にやはりクリスティーナのように、自分が目の前を歩いてくるのを撥ねた・・・と思った新聞記者の男性の体験は、なんと衝突する瞬間、煙のようにそのもう1人の自分が消えてしまうと言うものだった。

この道路は年間1000件以上の怪しげな事件が起こり、数百人の命が失われ、アメリカのドライバーからは「魔の道路」と恐れられているが、こうした現象に心理学者の1人は、直線で単調な道路では眠くなることが多く、心に思ったことが幻のように目の前に現れるのではないか・・・と言っているが、普通もう1人自分がいる・・・などとそんなに頻繁に考えるだろうか・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。