「ここから出して・・・」

埼玉県飯能の仏子駅近くにある山林・・・、ここへ2人の男がメジロを獲えようとやってきた・・・、2人とも秋田県仙北郡仙南村の出身で、出稼ぎに来ていた農業、塚本吉春さん(35歳・仮名)と、同じく武田仁さん(42歳・仮名)だったが、メジロは保護鳥だったものの、売ればまずまずの値がつくことを聞いたことから、2人とも上京して以来競輪に足を突っ込んでいて金がなく、競輪をする金欲しさからメジロ獲りを思いついたのだった。

しかし馴れないメジロ獲りは思うようにいかず、1時間ばかり山林の中をさまよったが、そのうち一服しようと言うことになり、2人は適当な切り株に腰をおろし、煙草に火をつけた・・・、が、武田さんが山林の中にある草むらで何か変わったものを見つけた。
はじめアベックでもいるのではないかと思ったが、どうも動く様子がない、先に立ち上がった塚本さんが近寄っていくが、そこから妙な臭気がしていて歩みを止めた、そこで後ろから来ていた武田さんが塚本さんを追い越して前へ出てみると、それは布団(ふとん)に何かが包まれた状態のものだった。

しかもご丁寧に丸められた布団はしっかりと女帯で広がらないように縛り付けてある・・・、「この臭いは、死体でもつつんであるんじゃないか・・・」及び腰の塚本さんが言うと、武田さんはギョッとした様子で後ずさりした。
「おい、あれは何だ」塚本さんが布団包みから3メール程離れた所を指差したが、そこには雨露に濡れた封筒のようなものが落ちていて、武田さんは布団包みを大きく遠回りしてそれを拾い、ぺしゃんこになった封筒をはがして中味を取り出してみた。
「これは謄本らしいな・・・」そう呟いて武田さんがぴっちり張り付いている謄本をそっとめくるように開いてみると、なんとそこには秋田県仙北郡仙北村、吉田重雄・長女・信子(仮名)とあった。

不思議なことにその謄本の住所には2人の村の隣村で雑貨を営んでいる、彼らも知っている家のことが記されていたのだった。
この謄本と布団包みが何かしらの関係があるとすれば、布団包みの中はおそらく吉田信子と言うことになり、すでに死んでいるだろうことは2人とも容易に想像がついた。
こうしたことにはからっきし度胸がない塚本さんは、もうすでに逃げ腰だったが、武田さんはそれでも思い直したように、草むらの布団包みに近寄っていった。

その様子を背後から塚本さんが見守る・・・、「何かわかったか・・・」塚本さんが武田さんに声をかけるが、一向に返事がない、やがて慌てふためいて走ってくる武田さんは声もあげずに走り続けて、それを追うように塚本さんも走り出した。
武田さんの顔色は青くなっていて、目が泳いでいた、「ううう・・・」武田さんは言葉にならない声を上げながら走り続け、やがて県道が見えるところまで来ると立ち止まった。

「どうしたんだ・・・」塚本さんはハアハア言いながらも武田さんに尋ねたが、「よくは分らないんだが、女の髪の毛みたいなものが布団の中から見えた・・・」…武田さんはそこまで言うと地面に腰をおろして、右手を目の前で左右に振って、何かを振り払おうとしていた。
「それじゃ女の死体か」
「はっきりとしたことは言えないが、間違いない、あの臭いは死体だ、とにかくこんなところにいて関わり合いになったらめんどうだ・・・」
2人は急いで山を下りて仏子駅から飯能まで戻ると、ゲンが悪いと言うので近くの食堂で焼酎を2,3杯あおると、勤め先の建設会社の飯場へ帰って寝てしまった。

ところがその翌日未明のことだった。
武田さんは恐ろしい夢を見た・・・・、昼間のあの山林の場面が目の前に現れたかと思うと、くだんの丸められた布団包みが隣にあって、それがムクムクと動き始め、やがてその布団の中から大福餅をひねるとアンコが出てくるように、中から押し出されるように女の髪の毛がはみ出してきたのだ。
夢の中の武田さんは動けなくなって、そのままその様子を見守るしかなかったのだが、その次に目の前に現れた光景は絶叫ものだった・・・。

なんと今度は丸まった布団から女の顔が出てきたかと思うと、布団の生地で顔がこすれ、皮や肉がずるずると崩れていくのだった・・・、それはもう凄い光景で、ただ右の眉の上に古い切り傷があるのは見えたのだが、とにかくその若い女が「外へ出してくれ・・・出してくれ」と武田さんに頼むのだ。
武田さんは必死で逃げようと思うが、これがまた一向に逃げられない・・・、夢の中で必死になって叫んでいた。

隣で寝ていた塚本さんは未明、聞いているだけでも恐ろしくなるような武田さんの唸り声で目を醒まし、慌てて武田さんを起こした。
「ああ・・・、助かった夢だったのか」武田さんは塚本さんの顔を見ると、心底安心したように額の汗を拭ったが、怖かった夢の話をしながら煙草を取り出そうと、枕もとに置いてあった上着のポケットを探った武田さんの顔色がまた一瞬にして変わった・・・、その手が掴んだものは何か封筒のようなものだったのだ。
「うわー・・・」武田さんは慌ててその掴んだ封筒のようなものを放り投げたが、それは何と昨日の謄本だった。

もちろん昨日それはあの山林に置いてきたもので、到底武田さんのポケットに入っているような代物ではなかったのである。
ここに到って2人はある覚悟を決めた・・・、それは塚本さんも武田さんも故郷を出て3年、真面目に仕送りをしようと思いながらも競輪に手をそめてしまい、すっかり実家には連絡もとらなくなり、勿論仕送りもしていなかった・・・、このままでは格好もつかず、おまけに職場も転々としていて、簡単に言えば音信不通、行方不明状態だったのだが、ここまでのことがあっては黙ってはいられない、警察へ届けようと言うことになった。

2人の通報を受けた飯能署ではさっそく捜査を始めたが、吉田信子さんは確かに秋田県仙北郡の出身で、この10ヶ月前に好きになった青年との失恋がもとで急に上京し、2、3の仕事を転々とした後、4ヶ月前には船橋にいたことがわかり、その船橋の病院関係者から話を聞いたが、2ヶ月ほど前に突然いなくなったとのことだった。
飯能署は病院で誰か患者との関係がなかったかも調べたが、その中で1度だけ彼女にデートを申し込んで、一緒にお茶を飲んだことがあると言う男性患者に話を聞くことができたが、これも特にその後の関係はないことが分かった。

ただこの男性患者の証言から、信子さんの右の眉の上あたりに古い切り傷があったことは確認され、これは秋田の両親の証言とも一致していた。
そこで飯能署は山林にあった布団の包みは、行方不明になっている吉田信子さん(22歳)と関係があるものとして、狭山署と協力して大規模な山狩り調査を行ったが、仏子駅から西南3キロメートルほど入った天王山南斜面の雑木林の中に、赤紫の掛け布団と敷布団が30平方メートルにわたって散らばり、信子さんのものと思われるハンドバッグ、自著名入りの手帳やその紙片が散乱しているのを発見した。

だが、奇妙なことに信子さんの死体はどこにもなかったのである。
そしてこの事件はそれから後も解決せず、信子さんの行方も分からないままになってしまったが、奇しくも同じ村の出身者で、行方不明になっていた2人の男性が故郷に戻ることになったのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「ここから出して・・・」

    男二人が、我が郷里出身で、西武戦の飯能、仏子と言えば西武池袋線で、何十回も通った駅で有り、近くのJRの金子は一時勤めていた工場が有って、2年ぐらいだか通ったし、友達のお姉様のお宅も有って、大分昔数回ご馳走になりまして、地元の話のような感じ(笑い)。
    埼玉の飯能は実は東京の青梅と背中合わせで有り、鉄路で見れば、遠いが、車で行けば直ぐ傍、長野の志賀高原と群馬の草津温泉のような感じかも知れません。

    ついでに言えば、数歳上の従兄が、今は郷里に暮らしていますが、大昔2~3年この二人組と似たような半行方不明(笑い)だったと、聞いています、決してチョウエキでは有りません~~♪

    西武線は、昔新宿線沿線に長い間住んで居たと言う事も有り、休みの日には、頻繁に出かけて里山や渓流に行ったものでした。
    当時JR新宿を24:32だかに出て、乗換駅で西武線に乗れば、自分が住んで居る最寄り駅までの終電に間に合って、一頃よく利用した。当時はどんなに疲れていても、大抵は一晩寝れば、平気だったが(笑い)、今は気力体力財力(!?)、どれをとっても、全く及ばず、昔日の感あり。

    不思議な事件も、実は或る点から見ると、とても近い何かしら縁があるような錯覚を覚えることもあろうかと思います。
    シェパードの錯視は、人間が進化で必要だったから、多分、獲得した視覚から来るのでしょうが、色んな物事は、何かしら、赤い糸やら、青い糸(ストーカー?~笑い)やらで結ばれていて、その意味が分かれば、ハタと合点が行く事も有ろうし、気づかなければ、傍でも、永遠に不明な事も有ろうかと。
    この女性はお気の毒でしたが、メジロが導いて、供養には繋がったかも知れません。春先になると近所にメジロが目立ちます。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      これは今から50年程前の週刊誌の記事を元にしているものですが、悲惨で怖い中にもどこかで人間のぬくもりが感じられ、そこはかとない「情」が有って、若い頃からこうした話を沢山集めてきています。
      この事件も全貌がわかれば「何だそんな事だったのか」と言う事なのかも知れない。
      でもそれが繋がるときも有れば、繋がらねばこうして迷宮入り事件になってしまう。それが世の中の良いところなのだろうと思います。全てが繋がらない時は、それが繋がらない方が良い何かの理由、或いは天の采配かも知れない、そんなものが有るのだろうと思います。
      そして出てくる人間がどこかでは皆真剣です。女性もそうなら結果として2人の男性もまた死んだ女性を無視できなかった。それをそうさせたものは「同郷」と言う「土地」のつながりでした。実はこうした事の原点が「ナショナリズム」と言うものです。
      この女性、或いは死んでいないかも知れない。どこかで今も静かに暮らしている可能性も残されている訳です。そしてこの記事を偶然読んで、少しにやっと笑って外などを眺めていてくれたら、結構私は嬉しいのですが・・・。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「今一歩に手が届く」

    モデルの写真も一枚変更になって、作品も大分追加が有って、何か思いが、形になった様な感慨を催しました~~♪

    「弘法は筆を選ばず」を、字義通り取って教訓にしているバ〇も居るし、「弱きもの汝の名は女なり」をだから保護して慈しめ、と理解するフェミニスト(笑い)も居るし、「情けは人の為ならず」、苦しんでいる奴は、打っちゃって置け(笑い)。ついでながら、我が郷里の菩提寺は、歴史は有りませんが、真言宗でもありませんが、弘法町(こうぼうまち)と言う所にあります~~♪

    古典も漢字も教えないし、外国語は、グルメと夜の遊びのための物しか教えないようで、ヒトはバ〇に成って、自立行動が取れる安物のAI人形の様に飼い馴らされて来ているようで、50~100年後が楽しみだ(笑い)、じゃなくて恐ろしい。

    道具が悪いのに、工夫してその場を何とか、切り抜けるのは、仕方が無い面もあるが、その経験を道具に反映させないで、個人の技に留め置くのは馬〇でしょう。道具~手引きは、最善をなすものではなく、最低を担保するものでしょうが、誤解が多い様で、特に手引きは、例えばお客さん対応などでも、とても言い尽くせるものでは無いし、言い尽くしたとすれば、複雑すぎて、大部分の人には覚えきれるものでも無いし、運用できるはずも無い事を理解して、或る意味相互に妥協して、程度は高くすべきであるが、多くを求めず、受忍する度量も訓練されるべきであろうと~~♪

    自分が中学生ぐらいの時に村の鍛冶屋は廃業して、その人の手に合った、鎌でも鍬でも、作ろうとする手段は失われて、何処か遠くの大量生産品で事をなすようになって、偶にはある程度、手に合うものも入手できる僥倖も有るだろうが、それが寿命を迎えれば、次は無い。今は一部は贅沢になって、高金額で、誂えて、単価の高い客を満足させる人も有るだろうが、江戸時代に、単筒が、鉄砲と言うより装飾品として発達したように、道から外れて(笑い)いざと言う時には役立たない、非正規雇用の労働者の時給は、貧困を全うするにはちょうど良いが、子供を育てて、持ち家を作るのは不可能なのに、生活の道具に、法外とも思える金を払える人も一方に居て、細かい戦術は正しいが、国家の戦略は、迷走している、と言うより考えられても居ない、かも知れない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      BASEの製品はまだ少し迷いが残っているかも知れません。
      おそらくこうした技法が完成するにはまだ時間がかかるだろうと思いますが、先は見えて来た気がします。
      本当はクリスマスに向けて色んな事を考えられるのですが、現実の仕事はそこまでははかどらない。受注した仕事をこなしながら、家も維持するのは、全てを追えば必ず何かが犠牲になってしまうでしょう。
      これでも朝7時から夜の8時前後までやっているのですが、その間食事の支度や家事で2時間は取られてしまう。ある意味全力で仕事が出来るの葉幸福な事と言え、それが出来ない者としてはもどかしい気がしてくる訳です。
      私の住んでいる仁行、保勘平も随分人間が少なくなって来ました。もはや葬儀などの「ゆい」も後数年で維持できなくなるでしょう。思う事は「こうしたものだったんだな」と言う事であり、こればかりは経験してみなければ解らない事では有りました。
      少しずつ寒くなってきましたし、最近なんだか局地的な地震や空気振動が多い。流星群の影響か、それとも・・・。

      コメント、有り難うございました。

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