「天の怒り」・3

「それはどこか熟し切った杏(あんず)の匂いに近いものだった。彼は焼け跡を歩きながら、かすかにこの匂いを感じ、炎天に腐った死骸の匂いも存外悪くないと思ったりした。が、死骸の重なり重なった池の前に立ってみると、「酸鼻」と云う言葉も感覚的に決して誇張ではことを発見した。殊に彼の心を動かしたのは十二、三歳の子供の死骸だった。彼はこの死骸を眺め、何か羨ましさに近いものを感じた。「神々に愛せらるるものは夭折す」・・・・こう云う言葉なども思い出した」(芥川龍之介、或阿呆の一生より)

また「杉村楚人冠」(すぎむら・そじんかん)は「余震」の中でこんなことを書いている。
「地震で東京が焼けて一面の野原になってしまったのを見たとき、あわれなと言うよりも、そうれ見ろと言ってみたいような気が腹のどこやらでした。それが私ばかりかと思ったら、大分同じ思いをした人があるらしい。けしからぬことかも知れぬが、実際そんな気がしたのだから仕方がない」

「誰も彼も玄米を食い、誰も彼もてくてくと歩かなければならなかった当時は、苦しい中にも、自分の世界になったようで、うれしかった。誰彼の別がないというところに言うべからざる興味を覚えた。だんだん復興しかかってきた今日でも、なおいたるところにこの平等無差別の態が味わわれる。
(中略)わればかり人と違ったような顔をしなくてもよい世の中はまったく身も心ものびゆくを覚える」

そしてこれは「竹久夢二」だが・・・、
「私自身が命を助かっているのだから、そう言っては申し訳ない気がするが、しかしお気の毒とか、可哀そうだとか言っただけでは、どうにも心持に添わないものが残る。もっと何かしら心の踊上がるような、喜びでも、悲しみでもない、この大きな感動を、さて何と言ったらよかろう」
「それは近代の商業主義に対する、一ロマンチストの反感に過ぎないものだろうか。唯物的な文化に対する、唯心的な感覚の反発だろうか」

「何しろ、何の知らせもなしに、ひょいと自然が小指一本動かすと、轟然として、さしも殷賑を極めた彼らのいわゆる文化の都が一瞬にして、ただ一色の朱に、次に灰色になった。幾百万の人間が、たった一つの意識でつながったという事実は、挙国一致の戦争よりも、もっと気があっていたと思う、いや全く人間と、すべての社会生活を忘れて、個々別々にたった一人の人間になったと言った方が本当かも知れない・・・・」と「変災雑記」に記している。

同じことは「田山花袋」が婦人公論の大正12年10月号でも語っていて、こちらは「なんと言って好いか私にはわからない。好い見せしめだ!などと単純に言ってしまうことはできない」としながらも、物質上の平等や精神上の平等が震災によって考えられた、また人間の心の中に、微妙に自他の平等という種子が蒔かれて来はしないかと考える…としている。

これが「生田長江」になるとさらに過激なことになるが、震災のその瞬間「とうとう来やがったな」と思い、「神はついにその懲らしめの手を挙げたもうた・・・」と思ったと言う。
そしてこの大帝都を焦土に化し行く、もの凄い火焔を望見しながら、私自身をも込めた日本人及び日本の社会へ呼びかけた、「どうだ、少しは思い知ったか?これでもまだ目覚めないというのか」…と心の中で叫んだと言うのだ。

また渋沢子爵はこの大震災を一つの「天譴」(てんけん)であるとしたことを、生田氏は高く評価し、その論評もしているが、不思議なことにかなりの人間が、この大震災の襲来を自身も被災しながら「そうれ見たことか、ざまー見ろ」と思っていたことである。

生田氏は婦人公論の中でこうも語っている。
すなわち、明治維新以来、日本は順調続きで、いつも神風が吹くものと思っていて、「国民的成金」根性になりきっている・・・、日本人は個人的にも社会的にも全く救うべからざるデカダンだった。
言い訳とごまかしの妥協的改革論や、野次馬気分と売名行為のための革命主義などには全く絶望しか感じない。
日本人の間違った「自足」と「のほほん」加減、虫のよさと浅薄さ、不真面目さは何か大きな天変地異でもないと絶対一掃されないと思っていた。

そしてこうした思いつめた社会観が蔓延していて、今年あたりはそのピークだった、もうそろそろ何かが起こると思っていた…というのだが、この続きが冒頭の「とうとう来やがった」に繋がるのである。
だが、こうした気持は私にもどこかで分かる部分がある・・・、いやおそらく日本人のほとんどが、もしかしたらこうした気持の中にあるのかも知れない。

先が見えない、経済は混乱、政治は言わずもがの状態、世界的に見ても日本の地位や信頼は失われる一方、どこかで聞いたような安直な話がもてはやされ、行政は言い訳やごまかしで民衆を騙せると思っているし、貧富の差は拡大する一方・・・食料も不安なら油も不安、ついでに隣国は火車の状態だ、どうして未来に希望が持てようか・・・。
いっそ何かとんでもないことが起こってリセットになってくれた方が、どれだけすっきりすることか・・・などと思うことはないだろうか。

そしてこの大正12年の例を見ても分かるように、こんな社会はまっぴらだ、何か大きな天変地異でも起こってくれて、社会をリセットでもしてくれないだろうか・・・と言うようなことを心の片隅にでも思う人間が多くなってくると、そこへ誘われるようにして、大きな天変地異がやってきていることを、我々は忘れてはならないだろう・・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「天の怒り」・3

    各人の感慨が、何となく日本人の或る意味、良し悪しの問題を越えて、慎ましやかと言うか、矜持を以てというか、地味な性格が出ているようにも、思います。

    戦後70年ぐらい、寿命が延びたので、つまりは2世代位経っても、何か自己評価が低いというか無暗に謙虚と言うか、そう言う感じに成って居るようにも思える。
    日本は、隣国と国境を接していないので、他国の知識や経験は少数の者が、来たって伝えるとか、極少数の邦人が出かけた経験から判断する事が多い様で、現代の「国際化」と言ったって、たかが知れているようにも思う。

    最近、支那と半島の「標準」が我が邦とかなり違う事象に頻繁に遭いながら、未だよく自覚していない様にも思えるが、徐々に学んでゆくでしょう。

    多くの人は、多分、化石は、動物でも植物でもそこで死んで、その上に、特に理由も無く土が堆積して(笑い)出来たと思って居るようですが・・多分、火山噴火とか暴風雨とか来て、大量に死んで、雨~河川に運ばれて、どっかに集中して、そして化石なったような事の様です。
    小学生の頃、一大化石ブームの時、先生が、我々が持ち込んだ魚の化石を見て、死んだのが長い間、川底に居て、その内土砂に埋まって、化石になった、って、を長い間信じていたが、ちょっと違うみたい。何十年も騙されていた~~♪
    八百万の神々が合議して色々な事を決めている本邦でも、天体気象は、管轄外で、誰の影響も受けないで、勝手に遣っている中で、我々は生きているのじゃなかろうかと、思っています(笑い)。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      例えば1973年封切りされた小松左京原作「日本沈没」を観覧した当時の日本人は現在の我々のような心境で観ていたでしょうか・・・。
      全く異なります。当時「そら見たことか」と思う者は圧倒的に少なかったはずです。自然に対する畏敬を忘れて流れていく人類文明、巨大資本、巨大経済に対する警戒と、反動に拠る自重心を持っただろうと思います。
      しかし現在の日本人は大正末期の日本人と同じ感覚を持つのは何故か、それは何かに破滅している人が多いからだろうと思います。経済、精神、道徳や人としての道が見えない、いい加減な社会は大正末期の日本と全く同じ状況と言え、その中で貧しい者や、心が破綻した者達は更なる破綻に拠って均衡と言う精神的な安堵感を持つ事が「そら見た事か・・・」の背景に有ります。
      おそらく現代の日本人で、高齢者と言われる人口以外の人口分布は必ず何かに破綻しているか、その寸前です。
      彼らが抱える理不尽は人では解決が付かない。だとしたら巨大災害こそ救いの道になる。そしてそれに応える様に災害は起こってくる、そんな感じがする訳です。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「マニエリスム」

    実は方向音痴は、素晴らしい効用が有って、普通の人が発見できない物を、移動の度に違う所を通る故を以て、新奇な知見や発想を生むのでありまして、大事にした方が宜しかろうと思います(笑い)、現代ではナビと言うものが歩行~運転でも実用化されていて、日常生活に安全と便宜を供与しているので、いきなり崖から転落するという名誉~危険に遭遇する機会は激減しています(笑い)

    試行錯誤して、新技術~新技法を見つけて普及させるのは、秀才で有って、いわば凡人。インドのシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの様に、数学の新しい考え方が、自然に頭に浮かんでくるのが天才、エジソンの様な人は、動機がお金なので、人類に色々貢献はしましたが、俗物、勿論悪いと、言っている訳では有りません。

    西遊記に出てくる、お坊さんは、努力型の秀才、ブタは俗物の代弁者、カッパは努力型だけれども、いつも失敗する道化師、サルは経験も知識も無いのに、遣ることがぴったり問題を解決する天才、と言う事で見ると、16世紀ごろ成立したと思われる、呉承恩の百回本の西遊記は、理解が容易になるようだし、面白みも増すように思える。

    天才は、実は失敗なく問題を解決するので劇的な事が少なく、記録に残りにくいであろうから、実は現在現代人が知っているより、歴史上にはもっと多くの天才が居て、社会を進めたであろうけれど、過去の記録に残った事績を研究するばかりでは、真実に到達することは少なく、真に理解するのは至難と思われる~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      レオナルド・ダヴィンチが発明したと言われる戦車や飛行機の図面は、それより50年前に既に出回っていたものでしたが、誰も記録したり保管しなかった為に消え去り、たまさかその図面を手に入れたダヴィンチが記録した為に、彼の名声に拠ってそれがダヴィンチの業績に加えられてしまった。
      更にダヴィンチは絵の才能は有ったものの、社会的な常識や道義に対してはモラルを持っていない。純粋にそれを取り入れていくから、他者のアイディアを流用したとい概念を持たない。ここに天才に向かってあらゆるものが流れていく構図が生まれる訳です。
      またダヴィンチより50年も前にそれが考えられても、ダヴィンチが出して社会が「夢のような話だ」と語られる。当然のそれより50年も前に出ていても社会が価値を理解できない事になります。
      天才の能力はそれを理解できない者たちに拠ってしか社会的に評価される事が無い。
      それゆえ天才と言う盲目的な一点に縋って、それ以前のあらゆる天才たちの能力が世に出て行く形になるのだろうと思います。
      考えてみれば天才も英雄も今の社会が自分たちの都合の良いように創って行くのかも知れませんね。

      コメント、有り難うございました。

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