「始皇帝の歴史的意義」

中国の古代王朝としてはまず殷、周が存在しているが、伝統的な歴史観、つまり伝説としては太古の世に三皇、五帝と呼ばれる聖天使が現れ、いろんな発明をして人々の生活を豊かにし、世の中を太平に治めたとされている。
この内、五帝の最初が「黄帝」であり、この帝は世にはびこる悪を滅ぼし、黄河流域に初めて国を建てたとされているが、後世漢民族の始祖として尊敬され、五帝の最後が「舜」(しゅん)になっているが、その「舜」に帝位を譲ったのが「堯」(ぎょう)と言われ、こうした帝位を譲る形の皇位継承のあり方を「禅譲」(ぜんじょう)と言い、古来より中国の中ではもっとも平和的で理想的な皇位継承と考えられてきた。

この「舜」が黄河の治水に功績のあった「禹」(う)に帝位を譲り成立したのが「夏」王朝であるが、何分この夏王朝の話は後の「周」王朝の文献に記されるのみで、実際にあった王朝なのか、伝説上の王朝なのかが明確になっていない。
よってここでは中国最古の王朝を「殷」として話を進めるが、この「殷」も「周」もその国家規模は河南地方を中心とする華北の地に限られたもので、その支配体制も封建制とは言え、それは各地方に自治を許し、その上に成り立っている、緩やかな統制にすぎないものであった。

もっと判りやすく言えば、今日われわれが知る契約による封建制ではなく、本家や分家のつながりで構成されている社会であり、従って秦の始皇帝がこうした亜封建制諸国をことごとく滅ぼして全国に郡県制を布き、中央集権的官僚支配体制を確立したことは、中国の歴史上画期的な事件であり、これを成し遂げた始皇帝こそは、まさに中国最初の偉大な皇帝と言うべきものだ。

それにもかかわらず、始皇帝は歴史上ローマの皇帝ネロと並び評される暴君とされているが、その原因とされているのが極端な思想弾圧政策である。
がんらい理想化され、伝説となっていた周の政治体制に憧れを持つ儒学者たちの中には、秦の政治を法による強制的な統治として非難するものが少なくなかった。
始皇帝は異論をなくする為、民間にある詩経、書経、諸子百家の書物を没収して焼き捨て、儒教の説や政治批判を唱えるものを死刑にすると厳命を下したが、これが「焚書坑儒」として後世の学者たちから非難され、永く暴君の汚名をを冠せられる原因になったのである。

しかし「焚書」については医学、薬学、卜占(うらない)、農業の書物は除外していただけではなく、朝廷や博士が所蔵する古典類の書物はそのまま保存されていたので、始皇帝は儒学書、儒教学問を全面的に否定したわけではなかった。
また「坑儒」に関しても、実はその前に国家統一を完成させた始皇帝が、もはや手に入らぬものは「不老不死」のみであり、何とかこれを手にしたいと思い始め、この話を聞いた諸生たちが、「不老不死の妙薬を探してまいります」と言って始皇帝を謀り、大金を貪った詐欺事件があり、始皇帝はこの事件に連座した諸生、430余人を捕縛して坑殺したのである。

諸生、儒生とは言うが、その中には儒者は殆ど含まれておらず、この事件に連座した者たちは神仙道を説く、方士と言う修行者たちだったのである。
始皇帝が民間の政治批判を禁じ、思想統一をはかったことは事実であるが、ではそれまで学者たちが理想としていた「周」の社会はどうだろう、狭い範囲の国家、親戚縁者による支配であれば、それは「徳」と言う理想でも治められたかも知れない。

しかしその外の幾多の小さな社会を治めるとき、相互信頼による理想主義的思想の支配は、実際のところ全く通用しなかったのではないか・・・、だからこそ中国はこの時期春秋戦国時代と言う、500年にも及ぶ混乱の時代を迎えることになったのではないか、つまりそれまでの親戚縁者による国家形態から、より広い国家への成長に従って、相互信頼や理想主義的相互理解と言う形なき形態から、契約や法、罰則と言った、理想や信頼を担保する制度の必要が現れたのではないだろうか。

春秋戦国時代には諸子百家と言って、多くの思想家が世に現れ、その中で次第に道徳や信頼と言ったものが、実は統一された価値観があって始めて成立すること、またそれを形として示す方法が、あらゆる次元で考えられたに違いない。
孔子は道徳をあらわすのに「形式」を選択した、韓非子は「限りない疑い」を、そして実際に中国統一を成し遂げるために、始皇帝が選んだ道は法と罰則による支配だった。

つまり、形のない「徳」や「信頼」に法と言う紐をつけ、その先に「懲罰」と言う錘をつないで「心」を担保させる仕組みを作ったのであり、こうした有り様はおよそ、その後アジアの支配形態のみならず、世界的にも支配形態として大きな影響を及ぼし、その意味で始皇帝は宗教や主観的理想論などの方法に頼らず、この世界を人の世とした上で、人が治めるとしたら、どうあるべきかを世界で始めて示したとも言えるのであり、それは漢以後の学者たちが非難するほど暴虐なものだったとは決して言えない。

中国に最初の統一をもたらし、外敵 を退け、中国民族としての国境を確定させ、中央集権的官僚支配を打ち立てた始皇帝・・・、彼は偉大な帝王だったと言うべきだろう。

始皇帝の「秦」は15年で滅んだ・・・、しかしこの秦帝国の国威は外国にも及び、外国人が中国を「シナ」と呼ぶ名称も、秦(Tsin)がその語源とされている、すなわちヨーロッパ、イギリスでは(China)、フランスでも(China)、ドイツでは(Cina)、インドのサンスクリット語では (Cinasthana)チナスターナと称され、日本でも江戸時代から用いられている「支那」の語源は、やはりこの「秦」から来ているのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

6件のコメント

  1. 「始皇帝の歴史的意義」

    始皇帝の呂不韋が父親だったか、どうかは兎も角、中国に住んで居た/居る民族はすべて中国民族、と言う事に関しては、それで良いと思っているが、秦以前の古代の伝説の国々やその皇帝たちを、それぞれ一時代~一地域を一本の歴史の様に書いたのだろうけれど、それぞれ違う小国で、お互いに接触が無かったという事は無いが、それほど深い関係は無いように思える。未だ確定したわけでは無いが、等身大の兵馬俑は、始皇帝陵以前にも以後にも無いし、そう言うものを作るとすれば、そういう写実と彫刻の文化の有った、遠い西方を起源とする民族だった可能性もある。ペルシャ~ギリシャ系の民族集団だったかもしれない。肥沃な支那は民族攻防の地であり、後年の元はモンゴル族、清は女真族で、古代も色々有っただろう。今の漢民族と言っても、客家は多分違う系統だろうし。現代中国語の様々な地方語の人々は起源を同じくして居ないだろうし、中国文と言うか漢字文には殆ど文法と言うものが無し、時制屈折、他も無いのは、表意文字である漢字で粗い・荒い意味が違う民族間で通じれば良い、と言う事だろうと思われる、そういう事も秦は実施した、詰まり他言語~他文字を禁止した(焚書)のだろう。ついでに反対者も抹殺(坑儒)~~♪
     そういう意味では、支那を最初に統一的国家にしたと言う事だろうと。

    中原の歴代王朝も、長くて300年で支配者が変わった。腐敗しちゃう~~♪
    支那の語源は秦で有ろうと思う。今どういう訳か、中国と言えと言う変な、偏った(笑い)知識の人が多くいて、勉強していないとしか思えない。日本も(豊)葦原中国(あしはらのなかつくに)、で中国は概ね自国の美称であり、その時の国名を指すのは別として、地域名としては、支那が、本来的であろうと思う、そういう意味では、Japanは、日の元~日本~リーベン~ジープン、という事で日本は、それなりに正しいだろう~~♪

    5~6年前に、上野の博物館で、兵馬俑展が有って、気が振れた人が(?)1個壊した(?)、最終日に近い時に、そこらを探検して居て、午後ちょっと遅く上野に辿り着いて、入場するつもりだったのだが、足が棒で、ゆっくり見られないという事もあり、又、高価でもあったので行かなかったが、今にして思えば、今生の機会を逃した、勿論、支那へ行って、遺跡を見る金力気力体力すべてに不足~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      秦の始皇帝と言う人は大変卑屈で猜疑心の強い人だったとは思います。
      その出生から始まって不透明で、一番大切な時期には母親が男をこしらえて子供まで作ってしまう。そして反乱を未然に防ぐも、呂氏は父親かそれとも・・・で、ついには最後殺してしまう。
      これほどの思いをして、上り詰めないと皇帝にはなれない訳です。
      唯北方民族の関係を安定させ、尚且つ文字や通貨の統一と言う「国家」の新しい概念を作り上げた実績は評価に値し、「法」の支配と言う形も以後の世界観に大きな影響を与えたと思います。
      あの兵馬俑や大宮殿を思うにつけ、良くこんなものを作ったものだと感じるわけです。
      そしてこうして今の時代の中国と比べると、指導者の小ささを思います。
      必要以上に肥え太り、それを誰かから言われないかと気にしてネット操作しているようではおしまいです。
      清盛も最後は禿を使って自分の悪口を封鎖しようとして家臣から不審を買います。
      こうした事を気にしている時間が在ったら自分の評価を高める事業を考えるべきでした。同様の事は安倍総理にも言えますが・・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

  2. 「銀河が舞い降りて来た」

    一応(笑い)数IIbと数IIIを高校で習ったのですが~~♪
    よく覚えていないけれど、虚数や複素数だったかを経由しないと、或る種の実数計算が出来ない、と言う話になって、「そうか」とは思ったし、直線は実数と虚数とその他(笑い)で出来ているまで来ると、何言ってんだか、そりゃ考えすぎ~~♪

    一方、これは科学と言うより、哲学に近い、と思って、実は少し力が抜けた、きっと科学っぽい、物理も地学もこの数学無くして説明しにくい物だろう、とも思った。それはそれで意味が有るという事は理解したが、十代後半の多分ある意味多忙な連中が根を詰めて遣る事でもない気もした。
    頭抜けた連中は、そんなことを教室で勉強しなくても、「自然」に疑問に思って、ピタゴラス~ユークリッドの様になる、のじゃなかろうかと漠然と考えた。
    一方、大部分の連中には、もっと切実な事を教えればいいと考えても居た。当時は未だ今ほど、色んな進路が有ったわけじゃなく、特に田舎では選択の余地は余り無くても、そんな自覚も無かったけれど・・
    それでも、一般的な素養~職業教育などはすべきと思ってはいたが、勿論後でそう思ったのだが、漠然と当時は疑問が有っただけだが、家を建てるにはどれほど費用が掛かるか、生活費は?子弟の義務教育までは?病気の費用は?そういう可能性は?など、も課程の中に有って然るべきだ、と言う思いも有った。

    農家は、9~17で働いている訳ではなく、季節変動も大きかったが、時間は長かったから、勉強時間がその割には短すぎ(笑い)
    可成り端折って、加減算と住宅ローン計算(借金の返済計算)が必須(笑い)芸術その他は中学までで十分~~♪

    人が何を考えようと、考えまいと、宇宙は厳然と存在し、多分永遠に+the day(笑い)存在し、デッカちゃんが、しかつめ顔で、cogito, ergo sum と言おうと言うまいが、その存在は微動だにしない、卑近に考えれば、仮想通貨~ネット空間で何が起きていていようが、現実はびくともしない。
    河合隼雄が言った様に、地球にやさしく、と言うのは人類の思い上がりで、核戦争や自然破壊やその他で人類が何回滅びても地球はビクともしないで自転と公転を続け、季節は巡るけれど、数十億年後に、太陽が巨星爆発を迎えるか、燃え尽きるか、直径500km程度の隕石が秒速20㎞/秒で、地球に衝突すれば、宇宙の何処かで毎日起きていることが起きるだけで、「カミ」は、人類の事なんぞ、これっぽっちも考えていない(笑い)、という事だろう~~♪

    とは言うものの、恋せよ乙女、はした金を遣り繰りして、いつ死んでも良いが、今日でなくても良いので、生きる(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      オイラーの法則はどこかで感動的なので記事を書いてみましたが、この自然界には何故存在するのかは解らない数列や法則が多く存在します。
      フィボナッチ列数、自然対数の底、第一、第二ファイゲンバウム、松ぽっくりやひまわりの種の有り様がフィボナッチ、金利の限界計算に出てくるのが自然対数の底、ファイゲンバウムいたっては壊れて行く時の速度とも言えますし、余震発生傾向の計算にも使える場合があります。
      そして私は数学は美しいと思う。
      下手な絵画よりも円周率の数列をずっと並べたものを見ていると美しさを感じる。
      その昔ピタゴラスの定理などは感覚で人間が身に付けていたものだったかも知れないし、円の概念などはとても感覚的なものから出てきているような気もします。
      今の時代数学に対する美意識などと言うなら、笑われるかも知れませんが、私は数学を美的感覚で見ているのかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

  3. 「一本の畦道」

    最近流行りの煽り運転、実際に7年ぐらい前に見た事が有って、当時携帯を所持していなかったので、チクりませんでしたが、乗っていたバスの運転手の応対は適切で、感心しましたので、礼を言って降りました。コピーキャットも頻出して居るようですが、覆面パトカーに仕掛けたり、怖い系の方に仕掛けたりして、ボコボコと言うネタのような人も居るそうです。田圃に落ちて居たり、土手に乗り上げて立ち往生したりしているのは、全能感に囚われて未熟な技術で、且つ身の程知らずの人の夢遊病者が煽って自爆したか~~♪

    散歩で大抵は道幅が2~3m程度は有るし、園路の場合は、5m以上あるが、50~100m程度で、怪しい集団や、犬の多頭連れを発見した場合は、相手に心の負担を掛けない等と全然思って居ないが、先方に気づかれないうちに、道順を変えるが、被害妄想の方は、実は目ざとく発見していて、行動力のある人は、ねじ込んでくるかも~~♪
    中には、何時もの道で、剪定~伐採の立ち入り禁止が有っても、雨上がりの水たまりが有っても、毎日の足の踏み跡を歩く人や、折り返しの場所の踏み跡が、全く同じと言う人も居ると聞いたことが有るが、まあ、他人だし、勝手にしてくれ~~♪

    機材納入の場合は、書類上欠品が無くとも、それを支持する積極的理由がない場合は、その機材の機能を施主が予想通り使えるように、恩着せすることなく、追加供給して引き渡し書類に追記する、予備費から出すが、10年後に、その近隣の現場で仕事をする機会に恵まれて、訪問して、途上国は結構古い人が残っていることが多いでしょうが、昨日の続きの様に、話が出来るように。
    ついでに言えば、自分の比較相対で安価な道具でも、そこで売れば、何某かの費用は捻出出来るがが、表にして必要とする部署~担当に供与すれば、大事に管理~運用することが多い~~♪

    可成りの人は、機材の眼前の出費を惜しみ、直ぐは現れない、人件費~経費などがその何倍にも何十倍にもなる・・失業給付の1人?1件?¥1400を支払うのに、事務経費~ロクデナシの歳費の出費が多分100倍ぐらいを惜しみなく使い某国の国会もある(笑い)~~♪

    利(益)が有ることは重要だ。なくとも為すべきと考えた時に実行することも重要だ。それは命を大事にすることは重要だけれども、時には翻然と死地に飛び込むことが重要であるようなものだろう。維新の英傑も、「ビルゲーツ」も時間が来ればみな寿命は果てるが、大富豪は富の温存を図って、子々孫々がfor ever - the day(笑い)使えて、という事で安心して、退場するのかも知れないが、本人は輪廻転生してもダンゴムシかも知れないし、その富で、奴隷にされるかも知れない、生きている内に、少しは人類とか地球とかに使った方が良い気もする~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      今流行の「あおり運転」ですが、如何にも余裕の無い自身を露呈している事になる訳ですが、国民皆がチンピラ化して来ている感じですね。
      小さい人間ほど許容範囲が狭く、自分を知らないだけに暴走する。現実には車には負担がかかり、ブレーキパッドは早く減ってしまうし、ろくな事が無いにも関わらず我を忘れてと言うか、本当の自分が現れたと言うかの事になってしまうのでしょうね。
      また「利」は楽如でも解説したように大変難しいものでして、利から全く離れて、或いは純粋に利のみにて人間は動けない。
      どこからどこまでが解らない所に良い部分が在り、人の世の希望が存在するのかも知れません。
      しかしこの40年で本当に日本は変わりましたね。これが良い悪いはともかく、信じられないほどの変貌で、生きていると言う事はこうした移り変わりを見ている事なのかも知れないと思う時が有ります。
      小さな自我を膨らませて精一杯の虚勢を張って生きている人の多い事には失望しますが、全ての人がそうではなく、善良な人もいれば、義や情に篤い人もいる。
      そしてこうして人の義や情を求めるなら、自身に偽りの無い事、必死である事をして人のそれを引き出すものなのかも知れません。その意味では自分は自分の欲するものを引き寄せている。だから自身がよろしくなければ、やはり宜しく無い者を集めてしまう。
      少なくともそうした事態は避けたいものだと思います。

      コメント、有り難うございました。

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