「主と精霊の御名の措いて」

1937年12月中国、日本軍による南京大虐殺が始まった頃のことだ。
中国・南京市のカソリック教区司祭マイケル・ストロング神父はある男を追っていたが、もはや日本軍の侵攻で占領状態となっていた同市、周囲の者はみな彼に避難する事を進めたが、神父は「だめだ、あれを逃すとこの世に地獄が訪れる・・」と告げ、やがて消息が分からなくなった。

ストロング神父が追っていた男とは、トーマス・ウと言う男で、この男に洗礼を施したのは誰あろうストロング神父なのだが、トーマスは5人の女と2人の男を残虐な方法で殺し、その肉は生のまま引き裂いて食べたことが分かっていた。
南京市南部管区警察署はこの凶悪な殺人犯の捜索を一週間も続けていたが、そこへ消息が分からなくなっていたストロング神父から、伝言を頼まれたと言う10歳くらい男の子が警察署に現れた。

だが男の子からメモを渡された署員は首を傾げた・・・、そのメモの内容とは「トーマス・ウは発見した、だが時間が欲しい、今から悪魔ばらいを行う」と書いてあったのだ。
どう考えても理解に苦しむ話だったが、容疑者のトーマスが発見されたとなれば、捨て置くわけには行かない、警察はメモに書いてあった場所へ急行したが、そこは南京市郊外の廃屋となっていた納屋で、到着したときには、既に日本軍の南京爆撃が始まっていて、南京の空は照明弾で赤々とした光に照らされ、周囲ではしきりに爆弾が炸裂している状況だった。

何人か見物人がいたが、それをかき分け、捜査隊が納屋に入ってみると、そこにはストロング神父の後ろ姿があり、その数メートル離れた真向かいには、真っ裸になった若い男がナイフを持って立っていた。
不敵な笑みを浮かべ、見る角度によっては大変な老人のようにも、また若い女のようにも見えるその男の顔は、かなりの変貌ぶりだが、間違いなくトーマス・ウだった。
そしてその目は周囲の炎が映ってそう見えるのか瞳が赤く輝き、ストロング神父をあざ笑うように、上から見下すように眺めていた。

しかし捜査隊がそれより驚いたのは、その納屋の棚に乗っているものだった。
女の足が7,8本束にして縛って置いてあるかと思えば、その隣にはまるで薪でも積むように切断された腕が何本も積み上げられ、男女何体もの胴体や頭が切断され、無造作に積み上げられていたのである。
どうやらトーマスが殺した人間はこれを見ても、5人や10人ではなかったのである。

「我が名を知りたいかストロング」、男は神父に向かって笑い声のような声を発したが、その声はかん高く、トーマスの声とは別のものだった。
「イエズスの御名において命ずる、トーマス・ウを解き放て」ストロング神父はトーマスの言葉を無視し、祈りを続ける・・・、しかしストロング神父がもう一度命令を繰り返そうとしたそのとき、「この男はもはや我が一部だ、いいか、この男と俺の力は死の力と同じだ・・・、最高の力なのだ、そしてこの男は俺についてくると決めたのだ」・・・とトーマスの声が遮った。

そしてこれを無視してまたも神父の祈りが続く、「お前の名を告げよ・・・イエズスの・・」ストロング神父がここまで言ったときだった、突然納屋が燃え出し、全体を覆った大きな火炎の音で、神父の最後の言葉がかき消されてしまった。
日本軍の焼夷弾かも知れない、あるいは近くに落ちた爆弾のせいだったかもしれないが、納屋はアッと言う間に燃え盛る炎に包まれてしまったのである。

捜査隊は慌ててストロング神父に移った炎をたたいて消すと、数人がかりで彼を納屋から引きずり出したが、このときすでに神父の意識はなかった。
逃げる際捜査隊の何人かがトーマスの様子を目撃した・・・、が、そこで見たものはこの世のものではなかった。
トーマスは燃え盛る炎の中でニタニタと不気味な笑いを浮かべ、その顔が急に物凄い速さで次から次へと別の顔に変わっていった・・・、日本人、ロシア人、黒人、朝鮮人、イギリス人、老人、若者、男、女とまるで特殊撮影を見ているように、それらが現れては消えていき、そのどの顔もニタニタ笑っていたのだ。

そして最後に現れた顔は憎しみに満ちた表情で、運ばれるストロング神父を睨み付けていた。

納屋から引きずり出されて暫くすると、神父は意識を回復したが、開口一番「しまった・・・あれは失敗だった・・・」と言うと、突然胸に鋭い痛みを感じたのか、発作のように胸を押さえて苦しみだし、これを見た捜査隊によってすぐに病院に運び込まれたが、重体で次の日の夜まで精神錯乱が続いた。

このことがあってから2日後、南京は日本軍によって陥落、日本は約5万人の兵力を投入して南京を侵略したのである。
南京市はまさに地獄と化してしまった・・・、日本兵によって引きずり出された中国人家族は、殴られ蹴られたうえに土下座の格好をさせられ、それを日本兵が足で踏みつけ、おもむろに首を刎ねた・・・、多くの人が銃剣と機関銃の練習用の的にされ、虫けらのように殺されていった。

またこれは日本国内の教科書では決して書かれることはないだろうが、一列に並ばせた子供たちの首を、次々刀で刎ねる将校もいた、女はみな暴行されてから殺され、妊婦は腹を裂かれ、体内の胎児を取り出されて母子ともども殺された。
まさに血の池地獄がこの世に現出したかのような光景が、繰り広げられてしまったのである。

1948年・・・・、ストロング神父はアイルランドの療養所でひっそり暮らしていた。
誰が来ても何も話さない、この10年誰かに見張られているようで、夜もうつらうつらとしか眠れず、それほどの年齢でもないのに髪は真っ白、まるで老人のような姿になり、その瞳は虚空を見つめる、抜け殻のような人になっていた。
「とても暗い・・・、それに刺(とげ)がある・・・・」
1937年、あの南京の納屋で何があったのか、その全貌は神父が持ち去ってしまったが、これがストロング神父、最後の言葉だった。1948年、10月のことだ・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「主と精霊の御名の措いて」

    怪奇事件の方は、怪奇事件ですから、そう言う事で~~♪
    何十年か前に、ルワンダだったか、大混乱が発生した時にお偉いさんの冷蔵庫に食糧としての人間の部品が発見された、とか言う報道も有ったように記憶している。水滸伝ではしょっちゅう食べていて、真偽は勿論不明だが、その中では、異常事として描かれていなかった~~♪

    南京攻略については、蛻の殻の様で、本格的な戦闘は軽微で有ったようだし、支那の喧伝とは相当違うように思うが、チベット~ウイグル侵略でも、事実とは相当違う報道が頻繁に発信されている。
    解き明かされつつある信ずべき歴史的事実を誤解させるような感じにも思える。
    荒尾精の信奉者でもある軍規厳正なる松井石根大将とその将兵の名誉のために、自分と本件では見方が、相違する気がする~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      南京大虐殺に関しては、どの記録が正確なのかは解らないかと思います。
      有ったとも言えるし、無かったとも言えるのですが、本当のところはどちらも現実なのかも知れません。戦争ですから残虐な事は1つも無かったと言うのはおかしいし、逆に虐殺残忍の連続だったとするのもおかしいと思います。ただどちらかに偏って考える、或いはどちらかを決定的にしてしまう事はできないだろうと思います。
      この話ではどちらにせよ虐殺は悪魔がやらせたものだったとする、関連性を持たせるように書いたものですが、実にミステリアスな事件であり、その後の展開も不可思議な事になって行きます。
      またこの事件を書いた記録も、おそらくこのブログ以外に後一件しか残っていないはずで、その意味ではとても貴重な記録なのですが、戦争の経験を人類は生かせなくても、こうした不可思議な出来事は、もしかしたら何らかの役に立つかも知れない。
      私としては戦争よりももっと大きなスケールで考えるべきものが有るように思った訳ですが、映画などで作ってみると結構面白いかも知れません。
      中国、韓国の横槍で上映中止になるかも知れませんが(笑)

      コメント、有り難うございました。

  2. 「イチゴショートケーキの混乱」

    記憶は、あてに成らないが(笑い)、イチゴショートケーキは二度しか食べたことが無い。最近自分は、良い所だけ取って、まあ、どうでも良い所をみんなに分け与える~という事を、ショートケーキのイチゴを一人で食べて、と言っている(笑い)
    その和菓子版が、イチゴ大福で、大流行を来したのであるが、これは、一時の大流行期が過ぎてから、1回だけ貰って食べた。団子3兄弟の時も、団子を食べた事は無かった、今まで多分5本ぐらいしか食べたことが無い。比較的一般的な方が(笑い)一生涯分に食べる量を、自分の比較的若い時に食べてしまったものも多いが、その逆のものはもっと多い~~♪
    自分にとって時代が変化して行くことは色んな意味で当然だが、20代の頃、持ち帰りの牛丼は、偶のご馳走だった、今は(小)は勿論ご馳走の地位ではなく、生命を維持する(笑い)安価な熱量補給品。
    色んなものが多様化して混乱しても、それは仕方が無いけれど、新しい役割が新しい人々に見出されてそれなりの意味命脈を保つ物も有るだろう、誰でも或る日、或る年は、1回しか経験が出来ない。
    或る時の愛は、年月とともに消えるが、当人と相手の変化もあり、愛は形を変え、続くことは幾らでもあるが、始まった時の形しか見えないものにとっては、無いと同じ事になる場合も有るだろう、愛は経験も知識も思索も必要で、どれ一つ欠けても脆く崩れ去る~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この話はスケールフリーネットワークの話しでも有るのですが、世の中の多くの仕組みは同じ過程を通って壊れて行きますし、同じ過程を踏んで集中が分散に向かいます。
      つまり秩序と崩壊の関係でも有るのですが、
      これに「アイスクリームの劣化」が加わったものが人間と言うものかも知れません。
      社長が従業員の事を思ってアイスクリームをおごっていたら、やがてそれが毎日になり、いつしか今日はアイスクリームはどうした・・・と言う事になって行く。
      簡略に言えば人間は必ず劣化する事を考えない経済、ケインズ理論は有機体を意識していなかったから今日の矛盾が発生するのですが、理論だけでどんどん消費を先食いしていくと、未来の消費は減っていく。
      つまり私たちの子孫は食べていけなくなる事を思わねばならない。
      安易に傷み止めを服用していくと、やがてその痛み止めは効かなくなり、気付いた時は手遅れと言う事になりかねない。
      そう言う危機をはらんでいる事を自覚する必要が有るだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

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