「エアコンよ永遠に・・・」

現代の私たちの暮らしは、エネルギーや資源を大量に消費することで成立している。
そして世界のエネルギー消費は年々増加し続けていて、その勢いは21世紀に入って中国やインドの躍進に伴い加速をつけてきている。
また他の開発途上国の経済発展も目覚しく、こうした背景から、世界のエネルギー事情は年々ひっ迫してきているのが現状であり、国際経済は原油価格の高騰、それによる物資の調達価格の高騰、景気後退、原油の値下げ、原油価格値下げによる経済回復、そしてまた経済が復興すると原油価格が高騰すると言う、石油価格循環型経済になっている。地球上で採掘可能な化石燃料は、いまだ発見されていないだろう未発見資源も含めて、石油換算で5・9兆バレル、天然ガスが6・3兆バレル、石炭などの固形資源が24・5兆バレルと推定され、全体でも36・7兆バレルだと言われている。(IIAS,1998年)
これに対して、将来のこうした化石燃料の需要と供給の関係は、正確に予測することは困難だが、例えば世界人口が100億人で飽和状態になり、経済の成長により1人あたりの平均エネルギー消費量が、現在の日本人なみになったと仮定し、そのエネルギー需要の90%が化石燃料によって供給されたらどうなるか・・・。

現在は採算性を考えてその利用が大きく抑制されている石炭を使っても、2100年には需要の半分しか供給できず、2200年には3分の1しか需要を満たせなくなる。
石油に至っては現在の段階でも全エネルギーの半分を供給しているに過ぎず、2200年には地球上の全埋蔵量を採掘し尽くしてしまう。
つまり古生代や中生代に1億年以上もかけて蓄えられた、大切な化石燃料は400年もすれば使い果たされることになり、これは石炭を換算した場合で、石油だけをとれば2100年には現在の半分、2200年には採掘終了・・・、あくまでも推定だが190年後には完全になくなってしまうことになる。

こうしたことから世界のエネルギー安定供給のためには、好悪の別ではなく、すでに実用化され実績のある原子力の重要性が高まるだろう・・・、そしてエネルギー技術のような社会的基盤整備には時間がかかるため、対策は危機が発生してからでは遅い、危機回避にはエネルギーに余裕のある現在からそれを実行しておく必要があり、これからの国際社会はすでに自動車を見てもそうだが、安全で環境に優しい「電気」の時代へと移っていくだろう。

だが日本の原始力発電計画は、ウランを燃やして発生したプルトニウムを燃やす形式に重点が置かれ、これをプルサーマル方式と言うが、とても問題が多い。
ウランとプルトニウムでは、核分裂断面積や核分裂時に発生する中性子の数、遅発中性子の割合などが異なるため、ウランを燃やすために設計された軽水炉でプルトニウムを燃やそうとすれば、さまざまな不都合が起こってくる。

さらにプルトニウムはウランの数十万倍の生物毒性があるため、再処理や燃料製造の工程でも安全性が犠牲になる。
日本は現在イギリスとフランスで再処理してもらった分離プルトニウム43トンを保有しているが、分離プルトニウムの保有は核兵器製造の疑惑が避けられないため、日本は使いに道のないプルトニウムを保有しないと国際公約してきたが、実際はその疑惑は深まるばかりの現実に追われている。

日本がこうした現状に追い込まれたのは、ウラン型の原子炉で燃やしたウランの後処理の問題があったからだが、ウランは燃やすとその質量が増えてプルトニウムになり、このプルトニウムはかなり不安定な物質だが、これがウランよりはるかに大きなエネルギーを発生させることから、プルトニウムをウランで薄める再処理をして、これを燃やすことが考えられた訳である。

しかしプルトニウムは高速増殖炉で燃やして初めて資源となるが、日本の高速増殖炉「もんじゅ」は試運転を始めた途端に停止し、以後の高速増殖炉開発の見通しは暗いものになった。
これによって日本は燃料として使い道のないプルトニウムを大量保有していることになり、IAEA(国際原子力委員会)から北朝鮮やイラン以上に危険な国では・・・と言う目で見られ、何が何でもこのプルトニウムを始末する羽目に、つまりプルサーマル方式での原子力発電に追い込まれているのである。

また深刻なのは、原子力の経済性が大きな犠牲になっている点で、青森県六ヶ所村で試運転中の再処理施設は、年間800トンの使用済み燃料を処理しながら、40年間動く計画になっている。
したがって完全に計画通りに稼動すれば、32000トンの使用済み燃料を処理する。
一方電気事業連合会は再処理費用を11兆円と試算していることから、使用済み燃料1トン当たり約4億円かかることになるが、イギリスとフランスに委託してきた再処理費用は1トン当たり2億円、恐ろしい話だが倍の費用だ。

そのうえ、この再処理施設が100%稼動することなど有り得ない、また11兆円と試算された費用も、到底そのような金額では収まらないだろう。
ただでさえ電力自由化の波に洗われ、原子力が重荷になっている電力会社にとって、プルサーマルは、やればやるほど経営が圧迫され、破綻していくのである。
そしてこうしたリスクは地方の電力会社である九州電力や、四国電力が真っ先に負わされようとしている。

また2008年の電気料金の価格制度改定を見れば分かるように、都合が悪ければ制度を改定して、電力会社の経済的破綻を国民が負担するようなことが、ないとは言えない。

ちなみにエネルギー資源は経済的発展地域やその国家、上位10カ国ほどでその全消費の80%が消費され、残りの20%をその他の全世界で分けて使っている。
日本がいつまでもこの上位10ヶ国の中に入っていられるとは限らないのだ。
いつかエアコンは付いていても、電気が使えなくて冷房ができない・・・などと言う時代が来なければ良いのだが・・・。

 

※この記事は2009年8月5日、他サイト掲載用に執筆されたものです。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「エアコンよ永遠に・・・」

    今まで、地球上から消えた生物は、詰まり絶滅した生物は、膨大な数にのぼるが、いずれ現代人類、ホモサピエンスがそのリストに、数千年以内に、加えられそうだが、記録するものが居なくなるだろうから、悠久の輪廻に緩やかに戻って、地球外の比較的知性の有る生物が、偶々地球のそばを通って、もし見てくれが、そんなに変わって居なければ、多分普遍的に生命を感じさせる色をしているだろうから、立ち寄って、水とか、偏在する核燃料を採取して、その幸運に喜ぶかもしれない~~♪

    今まで人類が発見、使用してきた鉱物、その他で、使い果たしたものは、一つも無いようだ。或る臨界点を越えると急速に価格が高騰して、実用に堪えなくなり、新しい技術が発展して、それに代替される可能性が高いようだ。一方生物は自然に、稀に人為で多種が絶滅しているのだが、利用して居て絶滅した生物は少ない、これも獲得するために、得られる利益より、獲得するための出費が大幅に上がって、経済論理から大幅に外れるためらしい。
    自分がそれほど好きでもない、イワシもそうだが、好きなイカ類も高校生ぐらいの時から、「このままでは、イカは絶滅する」とか言われていたが、何回も価格が高騰して消費が低迷し、その内資源量が回復して、消費が増大、と言う事を繰り返してきているようだ、稀にバカな国が、複合的なバカな事をして取返しが付かない事もするがこれは、人類の限界を示すものかも知れない。
    色々切迫してくれば、今のベネズエラの様に、貧困層が大打撃を被って、国外脱出、上級者は、今が好機と権力を強化しようとして、圧政~~♪
    きっと将来、アフリカ~南米は、相対的に、西欧諸国より非力なので、草刈り場となりそう、果たしてその時、ほぼ唯一の、非白人国家の先進強国日本の運命や如何に~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      収束の法、ファイゲンバウム崩壊律の反対側の法則ですね・・・。
      確かにエネルギーは経済が沈降すれば消費は少なくなり、人口が減少すれば少なくなる。人類全滅より資源が完全遺失する方が確実に遅くなるでしょうね。
      ここでは原子力と言うものに付いても触れていますが、原子力、特にプルトニウムと言うものの熱力学第二法則的側面を考えるなら、極めて劣化したエネルギーとしか言いようの無い事をしていますが、この状態は既にコントロール不能に陥っているとも言えるだろうと思います。
      政府が原子力発電を推進しなければならない理由の一番大きなものが、プルトニウムの処理、これをエネルギーとして使わねば大損してしまう事、また日本はプルトニウムの保有量だけ見るなら、恐ろしい量の核兵器製造可能物質を保有している事になり、ある意味北挑戦が持っている原爆くらいの話ではない。
      IAEAが危惧を持つのは当然です。
      そして東北の地震直後の政府の対応、海に核汚染水が垂れ流しになっている状態で、安倍総理は原発の管理はしっかりコントロール出来ていると胸を張った。
      あの様な者が今も管理しているしている訳ですから、国際社会の疑惑は尤もだろうと言う気がします。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「堕落の先に在るもの」

    アリストテレスが、多分、現代風に言えば民主主義政治~哲人政治を十分知っていた風で、前から、そう言う土壌が有ったのだろうと思うが、オリエントとか古代エジプトとかの知見が有ったのだろう、その数百年後に、我が日本は、多分数十万人の地域国家~大きな集落に卑弥呼が居て祭政一致の統治をしていたらしいが、実際は、それより小者たちが、闘争を繰り返していたのだろうけれど、当時としては、婚期を逸した呪術的オバサンが政治を取り仕切っていたなら、なんて呑気で平和だったのだろう、と思える~~♪

    パスカルが「クレオパトラの鼻が、もう少し高かったら、世界の有り様は今とは違っていた」みたいな事を言ったらしいが・・長い間、多少誤解して居たかもしれないが、主旨は、歴史は或る意味生物が進化するように、段階を以て、変化して行く、という事を信奉している人々を、揶揄したものだ、って本を読みました~~♪
    実際結果として、生物は、適者生存みたいに見えるが、どちらかと言えば、サイコロを転がして、出たとこ勝負で、偶々有利なのは残る機会が少し広がった、が実際に近そうな気がする~~♪

    共産主義者は大抵、頭がやら○ているので、自分では考えないが、資本主義社会の科学的分析によって共産主義革命が歴史的必然性だと示そうとしたところも進化論と或る意味似ていて、間違っていたが、最終的に、平等で豊かな社会が出現するという妄想を結論付けた事に未だに気づいていなくて、現実は、途中で虐殺が発生して、最終的に失敗して、始まる前より酷い状態になって居るという事も、認めず強弁して、最上位連中だけが、一時の安楽を享受しているようで、「地獄」が有れば、そっちに確定~~♪

    見ない方が良い事も沢山有りそうだが・・
    昔、よく通った某○○オスカーと言う名画観で見た映画で、奥さんが自宅で浮気をしている現場に、予定より早く帰った亭主が遭遇~これは亭主の優しさを描く映画だったが・・自分より3拍子どころか、全面的にもっと酷い(笑い)どうしようもない(笑い)奴に、美貌の奥さんを盗られる幸せ者~オオボケ(?)が、ひょんなことから現場に遭遇、先方はこちらに気づかす、ッテことなど~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      我々が現在知りえている経済学、政治学などは実は古い時代からすればかなり限定的でチャチなものなのかも知れません。
      民主主義などは非常に原始的な政治形態であり、いわば豪族支配、王政、帝政以前から存在する原則的なものなのですが、これが現在の最先端となっている訳です。
      元々民主主義と共産主義は同じ筒の左右の入り口のようなもので、本質的には明確な区別が付けられないものなのですが、これを人類は思想として唯物的に語っている訳です。
      そして民主主義を標榜している多くの者の民主主義は「自分の民主主義」であり、他者の民主主義は求めようとはしない。
      ここの衆愚政治の始まりが在り、人類はフランス革命から恐怖政治が発生した事を簡単に忘れて規模を小さくして今も繰り返している。
      それに今の日本は政治と呼べる段階に及んでいない。
      現状の打開策は見て見ぬふり、何のビジョンも無く彷徨っている。
      古来から民衆は政治を信用していなかったのですが、それは今も変わらないと言う事なのでしょう。

      コメント、有り難うございました。

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