「聖母マリアの涙」

 

イタリアのテレサ・テスコと言う女性は、数年前に自身が撮影したファテイマにある聖母マリア像の白黒写真を引き伸ばし、自分の部屋にかけておいたのだが、1974年の夏の夜、眠ろうと思い部屋の明かりを消そうとしたそのときだった。
おかしなことに、ふと目が行った聖母マリアの写真の顔の近くで、何かがキラッと光って見えた。

「なんだろう」と思ったテレサは思わず写真の近くまで行って確かめたが、なんとその聖母マリアの写真の目にはは涙がくっついていて、涙ははじめ小さな水滴のように透明だったのだが、次第に赤みを増して膨れ上がると、真っ赤な血の涙となって流れ落ち、聖母の心臓あたりにたまるのだった。
そしてこの血の涙はそれから800日も流れ続け、多くの人がこの不思議な現象を実際に目撃し、その様子はたくさんの写真ににも収められた。

勿論、こうした話だから聖母マリアの写真を入れた額に、何か仕掛けがあるのではないか・・・、と疑うものも多かったが、額には何の仕掛けもないばかりか、実際に涙が流れているにもかかわらず、写真の裏側は完全に乾いた状態だったのである。
だが聖母が血や涙を流すという話は、実はそれほど新しい話ではなくて、その事例は古くから記録されているが、他にもブラジルのポルト・ダス・カイシャスでは、1968年、300年前のキリストの木像から血が流れ出し、血は木像に描かれた傷口から周期的に流れ出し、信者がその血を採って自分の体の傷に塗ったところ、傷は驚くほど早く治ったと言う話まで広まった。

またアメリカ・ペンシルバニア州エディンストーンでは1975年、聖ルカ教会の高さ70センチのキリストの石膏像、この両手から赤い血が流れ出したが、このようにキリスト像の場合、キリストが処刑されたときに受けた額や両手、胸の「傷」から出血し、聖母マリア像では両眼から血や涙を流すのが特徴だった。

1953年、シシリー島シラキュースのマリア像が涙を流し、その涙は8日間止まらなかったが、このときはマリア像の涙が科学者によって成分分析され、その結果聖母マリアの涙の成分は、まさしく人間の涙だったとされている。
また1960年、ニューヨークのアイランド。パークに住む女性が、自宅でマリアの肖像画に祈りを捧げていたところ、普段は祈りのため閉じられているマリアの瞼が開き、大粒の涙がこぼれるのを目撃したが、これは翌日、教会の牧師によっても同じことが目撃され、教会の記録にも残されている。

そしてこれは日本での話しだが、秋田市湯沢台のカトリック修道院にある、高さ1メールほどのマリア像・・・、どこと無く日本的な顔つきのこのマリア像は、1960年代前半に日本人彫刻家が桂の木を彫刻したものだったが、1973年、突然このマリア像は両眼から涙を流し始める。
またなんとそのマリアの右手には十字架の形で血が滲み出したことまであり、さらに不思議なのは、このマリア像を写真撮影すると、なぜか写ったり写らなかったりしたらしい。
秋田大学医学部ではこのマリア像から流れた涙と血について成分を調べた記録が残っているが、涙は人間の涙と成分は同じ、また血についても人間の血液で、その血液型はB型だったと記録されている。

そしてここから面白いところなのだが、その記録の末尾には「聖母マリアがその血と涙で表したかった悲しみとは何なのであろうか、それを人々はどう理解するのだろうか・・・」と締めくくられているのである。

私の幼年時代、社会には終末思想と言うものが流行した。そして現在でも一定年齢以下では確実にこの思想が存在しているとも言われるが、終末思想とは、未来において確実に人類の終わりが来ると信じていることを言い、これが自身の寿命でもいつか終わりが来ることとあいまって、未来にはどんなことがあるかは分からないが、絶対的な存在から与えられる「滅亡」が必ずあり、それを避けるためには・・・行いを正したり、人を愛したり・・・などと言う一種の宗教観に近いものにまで発展していった思想がある。

この傾向はキリスト教「ヨハネの黙示録」から引用されたキリスト教的思想の発展といえば、キリスト教信者から怒られるか、どちらかといえばキリスト教を勝手に膨らませたものが多く、当時の社会に対する警鐘とも、扇動とも判断しかねるものだった。

こうした聖母が涙や血を流す現象は、1960年から1970年末まで、その発生報告がとても多い。
しかし1989年を境にこうした聖母マリアの奇跡はまったくマスコミから姿を消し、その後は忘れられたかのような感じである。
聖母マリアが涙や血を流してでも人間に伝えたかったことと言えば、当時の消費崇拝社会、環境に対する配慮の無さや、人間的「質」の下落であっただろうか・・・、そしてそれに対する神の怒りが、人間に降りかかることに対する悲しみだっただろうか。

だとしたら今の時代こそ、聖母は涙や血を流して人間に警鐘を鳴らさなければならないが、こうした話はここ20年近く聞いたことが無くなった。
これはどう言うことなのだろう・・・、もしかしたら慈愛に満ちた聖母マリアにさえ人類は見捨てられた・・・と言うことなのだろうか。

こう言う最後の書き方こそ、終末思想家の特徴だった・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「聖母マリアの涙」

    このマリア像、それから暫くして、フィリピンの方々にも知れ渡って、80年代前後だったか、当時会社へのフィリピンからの来客の行きたい所、ベストスリーは、千鳥ヶ淵の桜、秋田のマリア像、それに青森のキリストの墓~~♪
    千鳥ヶ淵~武道館~靖国神社の桜を巡った人は、もう夢遊病者のようで、来年も必ず来る、とか言って、実際に来た人も居たし、それぞれサクラに合わせて、来日計画を組む人が続出、ついでに市ヶ谷、外堀の土手の夜桜で、寒い所に座って、怪しい宴会で終電ぐらいまで狂騒曲~~♪
    さすがに秋田までは、連れて行ってあげるわけにはいきませんが、ちゃんと彼らは、時間を作って行く人が沢山居ました。青森の方は少なかった~~♪

    日本人には、基本的に宗教的奇跡には、どちらかと言えば、科学的考察を加えやすいが、フィリピンの方にとっては、ただ有難く、或る意味、見習いたい純情も感じるようなものでした。

    今はインチキ話、詐欺にしろ、限りなく詐欺に近い、銀行~投資会社~土地開発業者の話、信仰に近い健康志向商品には、コロッとやられるのに、法話を聞く人は絶滅寸前、する方は肩身が狭い~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      先の妖精の話の連続で1970年代の傾向と言うか、そう言う時代があった事を記録して置きたくてこの記事を掲載してみました。
      この時代の風潮に間違いなく影響されている私としては、こうした不思議な話に心ときめかせていたものでしたが、確かにこうした奇跡を科学的に何とかしようと言うのは日本人独特かも知れません。
      宗教に関する純粋性と言う点では、日本人は本当は何も信じていないのかも知れないですね。一大旋風を巻き起こした「聖母マリアの涙」、その後も世界各国でこうした奇跡は報告されたのに、ここ20年くらいは全くそう言う話も聞かれなくなり、やはりあれも単なるブーム、金になる話だったと言う事なのかなと言う淋しさを感じてしまいます。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「子供の頃の沈黙」

     充分満たされていれば不要だが・・体調を整え気持ちをゆったり安定させるホルモン、セロトニンが正常に分泌するには、これもアミノ酸で有るので、相応に肉を採る事が推奨されている様だ。
    普通に元気で、活動的な老人は、朝、ご飯、味噌汁、漬物+納豆~目刺しで良いが、昼~夜は肉も食べる回数が多いようだ。元気だから肉を食べ、肉を食べるから元気~~♪

    もう疲れて、最低限の活動で、疲れ切って居たいという希望なら、植物性蛋白で、地味が良いかも知れない~~♪

    インドの雑貨屋(コンビニ風)では、国民に多いベジタリアン~ビーガンの便宜のために、食品にはそれをそれを示す印が付いているらしい、少なくとも監督官庁~財界の馴れ合いと、それを有難がる消費者の合作「特保マーク」よりは誠意が有る様に思える~~♪

    ダライ・ラマ14世も殺生はしないが、ワザワザ登山して目の前に捨ててくれた食物は、野菜~動物なんでも有難く頂く、それは慈悲で有り、観念だけで生きられない、良まれたからには生きる~~♪

    今は廃ったが、10年位前までは、近くのやや大きな町の駅ビルの上層階に中華系の食堂街が有って、見てくれは、従来型の料理の様に見えるが、ベジタリアン用で、肉も実は野菜由来の「そっくりさん」、勿論魚も「そっくりさん」で、それはそれなりに面白かったが、当時未だ無かったが「特保」のようで、消極的に従来の物を食べれば良い気がしていた~~♪
    味は一段落ちたが、経験としては良い物だったかもしれない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      実は私は今以て肉が苦手です。
      決して食べれないわけではないのですが、率先して食べる事は無いかも知れません。
      そして私一人くらい食べないからと言って牛や豚がどれだけも助かりませんが、なぜかギリギリまで控えようとする思いがあります。
      同じ生き物として、食べられる為に飼育されている事の悲しさを思わずにはいられないのですが、もしかしたら近い将来、臓器を取るために作られ飼育された人体と言うものが現れたとき、人はこの私が持っている疑問をどうクリアして行くでしょうか。
      出来ればそう言う生き物が現れる前にこの世を去っていたいものですが、今まで出来てきたものは何でもして来てしまった人類の軌跡を考えるなら、おぞましい事を考えずにはおれず、こうした事が影響して、牛や豚にも同じ事を思うのかも知れません。
      人類はここまでしてでも生きなければならないのか、そこまでして人類と言う種を守らなければならないのか、そう言う疑問を感じてしまいます。

      コメント、有り難うございました。

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