「重複集合社会・オランダ」

2の倍数が集まった集合A群と、3の倍数が集まったB群、そして5の倍数が集まったC群はまったく接点が無いかと言うと、2と3を掛け算すると求められる6から、その6の倍数12、18、24と言う具合にA群、B群は次々と同じ接点を持ち始める。
またこれと同じようにA,B群共通の最も小さい単位6と、C群の5を掛け算して求められた30は、A,B,C群共通の接点であり、この倍数からA,B,C群共通の接点が60、90と言う具合に始まっていく。

2と3、5はそれが個体だとまったく接点がなくなるが、これが倍数で複数の場合は数が多くなるに従って接点は増えていき、大きな数ほど接点、つまり交わる部分が多くなっていくのである。
これは小学校で習う「集合」と言う数学上のものの考え方だが、そもそも数学とは自然の中の関係や、その因果関係を誰でも分かりやすい形にしようとしたものであり、自然や言葉にならないものを、人にもっとも身近な立場から示そうとしたものである。
従って数学の理論は人間の社会を現すものとして、また人間の思想を表す記号としての意味も持っている。

Pillarization:Verzuiling・・・、日本語に訳すと「柱状化社会」とでも呼んだら良いだろうか、オランダの社会は少し前までは、この冒頭に出てきた「集合」の理論そのものの社会形態を持っていた。
多文化社会形成モデルとして知られるこのオランダの社会システムは、宗教と政治的信条によって形成される「集団」(柱)が、それぞれに自由を認められ、平和的な共存を可能にする仕組みのことだが、分かりやすく言うとアメリカ社会にある例えば外国人街・・・、これに自由と自治権利を認める代わりに、アメリカ国民として果たさなければならない責務もまた課していく・・・と言う仕組みだ。

オランダは19世紀にカトリック教徒、プロテスタント各派などにその自由を認め、国民国家の統合を確保してきたが、各集団ごとに政党、労働組合、新聞、学校、病院などが設立され、各集団所属の住民はその集団の中で生きて行くと言う形態があった。
しかし1970年代、オランダは労働力不足に陥り、そこで移民労働者が大量に流入し始めた結果、やがてイスラム教徒が外国人労働者の主流となってしまった。

またこうした19世紀に始まった、言わば狭い社会の重複形式を古典的と考える社会思想から、1960年代を契機にこのオランダの集団(柱状)社会も次第に溶解し始め、現代ではすでに解体してしまったとも言われているが、これはそう日本における古い文化や慣習、しきたりが次第に消滅しつつあるのと原理は同じことである。

しかしオランダでは信教、教育の自由と言った基本原則や仕組みは今も残っていて、そうしたシステムに支えられて、大量に流入してきたイスラム教徒も、独自の集団(柱)を形成するようになっていったものと思われているが、1990年代から移民2世、3世の失業率が増加していった背景から、この弱くなっても残っていた集団(柱状)社会が、イスラム系移民の集団(柱)を宗教上、慣習文化上受け入れられないケースが続出し、こうした移民2世、3世が社会的不適応とされる問題が起こってきた。

これに対してオランダ政府は労働、教育政策などを統合する政策、つまり集団(柱状)社会に逆行する形・・・、の政策を進めていったが、イスラム社会を糾弾していた映画監督テオ・ファン・ゴッホが2004年、移民2世の青年に暗殺される事件などがあってから、現在多文化主義モデルの見直しも進められている。

この柱状社会の考え方は、古代ギリシャのポリスの構想とも似ていないことは無いが、古代ギリシャのポリスはそれぞれの独立性が極めて高いことであり、柱状社会は同じ国土内での重複がある点で、決定的な差があり、またそれぞれの集団と言っても、カトリックとプロテスタントと言った具合に、対立しながらも、共有できる文化同士なら、つまり数の集合でも2の倍数と3の倍数の接点なら最初は6だが、これにイスラム教が入ってくると・・・、つまり5の倍数が加わると、いきなりその最初の接点が30にまで跳ね上がってくると言う問題点がある。

だがこれからの国際社会は情報、経済の観点から他民族、多文化国家の形態にならざるを得ないことから、問題点は多いとしても、このオランダの集団(柱状)社会のモデルは1つの指標となるのではないだろうか。

10年近く前、多分まだ15歳の少女だったと思うが、日系ブラジル人だった彼女は付き合っていた男子大学生の子どもを妊娠していたが、保険もなく、結局自分1人で出産しようとして失敗し、死亡しているのが後で発見された・・・と言う事件があったが、こうしたことは制度上有り得ないことだから・・・と皆が無視し、また付き合っていた大学生もその責任を放棄したことから起こった悲劇だった。

しかし幸せになろうとして日本へ渡ってきて、一見優しそうな大学生の子どもを身ごもり、そしてそのことから棄てられ、たった1人で子どもを出産しようとした15歳の少女は、どんなに不安な思いのまま死んでいったことだろう。
そしてこうしたことは「間違い」「手違い」のようにしか考えない日本社会の形式主義は、同じ悲劇を繰り返すに違いない。

オランダの社会はこうした点から見ると非常に現実に即した社会システムを持っている。
すなわちそこには、有り得ないことは誤差としか考えない社会と、有り得ないことでも実際に起これば、これに対処する社会の違いがあり、こうした考え方の差は、早くから多文化国家としての歴史を持っていたオランダだからこそと言えるだろう。

日本もこれから少子高齢化社会を迎えるに当たり、また活発な経済活動を望むなら、どこかでは異民族多文化国家とならざるを得ないのではないか・・・、そしてこうしたことに対処できる心の準備が必要になってきているに違いない。
まずは緊急に医療保険制度から考える必要があろうか・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「重複集合社会・オランダ」

    日本と数百年前から関わってきた数少ない白人キリスト教国家、国自体は、周辺国から見れば、相対弱小国であったが、その中で、それなりに生き残って来たし、世界は神が創ったが、オランダの国土はオランダ人が創った(笑い)~~♪

    東京裁判において、インドのパール判事は、日本にとっては大恩人であるし、その慧眼・公正性については、それ以降未だ彼に及ぶ人は出ていない様に見えるが、オランダ人のレーリンク判事は、帝国主義的植民地支配をしてきた国家で、自国の植民地の蘭領インドシナを失ないつつあり、懲罰のために日本に乗り込んできたが、日本に来てそこに居る日本人を見て、或る程度、その戦争の事実について理解をした人で、或る程度日本人を理解した1人であろうと思うが、自国の立場からは、勿論逃れられなかったが、帰国後も、東京裁判で、他の判事よりは、日本に厳しくなかった事は、国民に批難されても、曲げなかったようだ~~♪

    現下のオランダは、大不況から、苦しみを分かち合うワークシェアリングをして、再生した様だ。安楽死、売春婦、大麻吸引など、観念論で封殺するのではなく、妥協点を見つけて、管理下に置くという知恵が有るようだ。
    どっかの国みたいに、人は必ず寿命を迎え、この世から去る事にさえも、ない振りをして、着飾って、死に掛かりが街を練り歩くのも悪くはないが、おかしな議論にも延々と突き合わされて、今処置すれば、生き永らえる事が可能な「毒矢」の刺さった人を放置して、誰が遣ったかを議論して、解かるまでは、何もしない(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      オランダやベルギーと言う国は実に現実に優しいと言いますか、ここから逃げない国だなと言う気がします。
      いつだったか売春を仕事にしている女性たちの健康診断を義務付ける法案が、彼女達の要請に拠って成立した事を聞いたときは、何て凄い国なんだと思ったものでした。
      移民の長い歴史がある国家と、経験の無い国家(日本)ではこれだけ意識格差が出るものなんだと言う事を痛感したものです。
      ここに出てくる柱状国家と言うのは極端なケースでは日本の村八部もそうなるかと思いますが、程ほどの付き合い、或いは互いに干渉しない付き合い方とも言えますが、古くはアレキサンダー、チンギスハンなどがやはり同じ方式で大帝国を統治している事に鑑みるなら、日本人が描く国家とは随分スケールが違うものがあります。
      やはり村々で抗争を繰り返していた程度の事では身に付かないものがあり、日本もこれから移民政策で是非とも参考にして欲しい統治形態だと思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「神の形」

    古代ローマ軍の兵士は結婚が禁止されていた。それで凄い戦闘力の有る兵が多く、殆どローマ軍は数では劣っていたが練度・戦術と武器の優秀さで勝って居た。時代が下るにつれて、現代風になり、弱体化したのも、ローマが勢いを失くした一つの要因だったろうと思われる。
    今の国外駐屯の米兵は良く知らないが、日本の占領軍(笑い)は、若年兵は兎も角、大抵は妻帯者~子持ちが多いが、知る範囲だと、彼らは日本のような良い国は、有りえない、とか言って、特に日本人奥さんの方は永住を望むものが多い、古い人の話によれば、徴兵制の頃が志願制の今より、優秀な人が多かったらしい。

    フェミニストは、男女平等とか夫婦別姓とか、個人の自由度が高い事を絶対と思って、進歩的文化人風だが、ちょいと突き詰めれば、子供たちの姓を誰が決めるか、国会議員の男女比が性別比に近い50:50は兎も角、軍隊が自国兵も敵兵も、男女率が50:50を想像できていないし・・嫁は姑の介護をしても、相続権が無いとかも言って居るようだが、実家の相続権が保存されている事も忘れていて、考察が足りない、呑気者と言うべきか~~♪

    今朝のニュースで花柳幻舟の遺体が発見されたという事であったが、その内、彼女への関わり方で、その人と形が出ることが有るかもしれない。

    日本神話の祖神は天照大神~古代国家邪馬台国の祭主・国王は卑弥呼、双方とも女性、一方、各所に女人禁制が有り、神事の相撲では土俵に上げないのが伝統だが、これらは同根であり、神聖であり且つ不浄である、という一物の表裏である事を理解しない者どもが大騒ぎしているだけ、ま、冗談だけれど、これを突き詰めて行けば、女も力士の様に裸で回しだけ、神事を執り行うのかと言う所まで行き着く可能性には、想いが至らない、拒否と保護が同じようなものであるのと一緒~~♪

    最近は、同姓婚希望者も顕在化したらしいが、これは又、似て非なる理由だろうと思われる。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      神の形、記事では女と神道の相性は悪いと書きましたが、これは言いすぎでした(笑)
      神と相性が悪いのは「血」であり、不思議な事にキリスト教でも「血」の話が避けられる現実が在ります。
      特にプロテスタント系の教会では、何故キリスト教では血の話がされないのかと尋ねると、おもむろに「その話はしたくない」と言います。
      でもその話はしたくないと言う事は何かしたくない理由になる事を知っているとも言え、何とかして聞き出そうとしても拒否されます。
      この点、嫌うにしてもその理由は同じなのか、全く異なる理由なのかは解りませんが、神道では葬式より子供が生まれる方が、大きなお祓いをすると言われています。
      死ぬまでにこうした事に対する謎を何とか聞き出したいものですが、解ってみると単なるゲン担ぎだったりして・・・。
      そして現在語られるジェンダー、男女同権などの話は、如何にも軽い話しですね。
      何か教科書かマニュアルのように人間を考えているような、そんな愚かさゆえの恐ろしさを感じてしまいます。

      コメント、有り難うございました。

現在コメントは受け付けていません。