「アマデウスのレクイエム」前編

レクイエム・・・、と言うと良く「鎮魂歌」と訳する人も多いかも知れないが、レクイエムには鎮魂の意味はなく、埋葬曲、もしくは「死を悼む」と訳するのが正しい。
そして1791年12月3日、まさにこのレクイエムにふさわしい状況の男がいた。
彼の名をヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト・・・・と言った。

一見豪勢だが、決して一流の重さが無い家具に大きなベッド、二方の壁に設けられた縦長の窓からはこの光景に合わせたように鉛色の空から沈鬱な光が差し、そのベッドに横たわった小柄な男からは、誰の目からも明らかに生きていく力がすでに失われていることが見て取れた。
水差しとガラスの器を運んできた女は彼の妻だが、その唇はこの部屋には不釣合いなほど瑞々しく、しかも赤かったが、この時まだ29歳、女ざかりの妻コンスタンツェとベッドに横たわる男の落差は、その運命がすでにかなり以前から隔たっていたことを物語っているようだった。

コンスタンツェは内心この日を・・・、いやこの日ではなくても良いのだが、いつかこんな日が来ることを待ち望んでいたが、それは今は許されない、少なくと主人であるアマデウス・モーツァルトの瞳が永遠ににその光を失わない限り、その瞬間までは貞淑な妻を、しかもすでに意識もあるか無いか分からない夫の前であっても演じ続けなければならなかった・・・、そしてあと暫くの辛抱だった。

コンスタンツェは窓辺の椅子に腰を降ろし、右手で髪をすくい上げると窓から外の景色を眺めていたが、そこへ誰か分からないがアルメニア風の、かなり良い身なりの紳士がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「誰かしら・・・」彼女はその見慣れない格好の紳士が家のドアを叩くのを黙って待っていたが、やがてその紳士はドアの前に立ったものの、一向にノックしようとはしない・・・、それでも暫くノックする音を待っていたコンスタンツェは、ついに我慢しきれなくなって自分からドアを開けた。

そこに立っていたのは年齢40歳くらいだろうか、異国の貴族と言ったいでたちで、穏やかな中にもどこか漠然とした印象の男で、彼はコンスタンツェに丁寧にお辞儀すると、「これはお約束の代金です」と言ってかなりの量の金貨が入った袋を手渡した。
「失礼ですが、主人にどのような曲を依頼されていたのでしょうか・・・」
コンスタンツェはその男に楽譜を渡そうとして聞いたのだが、なんとその男は「レクイエム」ですと答えたのだった。

レクイエムは確かにモーツァルトがこの前まで手がけていたものだった・・・、しかし依頼人がこの男だとは知らなかった・・・。
コンスタンツェは先月11月20にそのレクイエムを作曲していてモーツァルトの病状が悪化し、今では意識も無いことをその男に説明したが、男はそれに驚く様子もなく、「その代金です、お受け取りください」と言い、それに対してコンスタンツェがまだ楽曲が仕上がっていないことを説明すると、「分かっています・・・」と少し笑い、それからまたお辞儀をすると、コンスタンツェに背を向け、去っていったのである。

モーツァルトは確かに天才だったが、一般的なイメージとして、華やかな宮廷で貴族に囲まれながら暮らしていたような印象を持つかもしれない・・・、が、しかし現実はまったく厳しいもので、神童と呼ばれた幼少期から演奏や作曲活動のために、つまり仕事を求めてあちこちを移動し、その生計は作曲した楽譜を売ったり、演奏してその代金を貰うと言う、非常に不安定なものだった。

また生来の派手で傲慢な性格、その類まれな才能は宮廷楽長アントニオ・サリエリらイタリアの音楽貴族たちから疎まれ、晩年は彼らの妨害に遭って、殆ど仕事が無かったとも言われているが、それだけならまだしも、やはりモーツァルトの才能に嫉妬する2流、3流の若手楽士たちからも目の敵にされていたのである。

モーツァルトの傲慢さはつとに有名で、知人に捧げるとしたカノンで「お前は顔も悪いし、金も無ければ才能も無い、せめて俺の尻でも舐めろ・・・・」などと言う曲を書いていたり、目上の者にも頭など下げるどころか、「あの馬鹿が・・・」 ぐらいの態度で、煌びやかな衣装を好み、部屋が気に食わないと言っては引越しを繰り返し、おまけにギャンブル好き、それゆえ晩年は借金生活になり、こんなモーツァルトにすっかり愛想をつかした妻、コンスタンツェはモーツァルトの弟子のジュースマイヤーと道ならぬ恋に落ち、モーツァルトの子どもの内、成人にまで達したのは4男2女の中で男子2名だけだったが、その片方は正確にモーツァルト子どもだったかも分かっていない。

さらにモーツァルトの容姿だが、幼い頃から馬車での移動が続き、当時のきわめてよくない道路事情もあり、小さい頃からリュウマチを患っていて、それゆえ身長も低く小太りな上に、団子のような丸い鼻だったとも言われ、視力も弱かったとされているが、こうしたことを考えると先の知人に送った「お前は顔も悪ければ、金も無い・・・」と言うカノンは、ある種自身を自虐したものとも考えられなくもない。

また21歳のときに患った天然痘によって、顔の皮膚は夏みかんのようだったとも言われるが、26歳の時、コンスタンツェとの結婚も父親からは激しく反対され、結局それを押し通したものの、その実かつて思いを寄せながら片思いにしかならなかったアロイジア・ウェーバーの妹が、コンスタンツェ・ウエーバーであり、彼女は作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの従姉である。
(後編に続く)

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「アマデウスのレクエム」前編

    天才には、神は何物も与えて、音楽家としての才能は申し分なし、ついでにスカトロジー、サイコパスも与えたもうた~~♪

    政治家は調整者だから、或る意味人格が重要な意味を持つだろうし、軍の指揮官は、戦術・戦略、心理学などに通じているばかりではなく、論理的展開ではない、見通す目が必要だろうけれど、偶に、大村益次郎の様に、アスペルガー症候群も与えられていた気配がある、桂太郎の庇護があったようだが、これも或る意味与えられたようにも思う。
    芸術家は、その芸術が出来ればよいのであって、常識とか思慮深さとかを求めては初めからいかんものであろう。
    今は忘れられているが、裁判官(町奉行でも良いが)・弁護士は、判例とか論理展開とかは実は重要ではなく、そこに関係する人々の、そうなった姿を、想起して、決断する必要があるだろう。
    滝廉太郎には、もう少しレイクエムが遅く来てほしかった。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      モーツァルトは本当に不思議な人ですね。
      丁度ラファエロに似ていますが、ダビンチも似たようなものがあります。
      全ての現実を重要視していない、この世は夢のようなものだ、芝居だを実践的にやって行ったところが凄いと思います。
      日本でも明治の天才たちは短命でしたね。
      何かそれだけをする為に生まれてきたようなところがあり、現在で言えばザードの坂井いずみさんや尾崎豊さんなどがそうなるのでしょうか・・・。
      余りにもスパッとしていて美しく、そして恐いですね・・・。

      コメント、有り難うございました。

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