「時を彷徨う者」第三章

だが1760年、ショワズールはついにサンジェルマンにスパイ容疑をかけることに成功・・・、謀略だったがサンジェルマンはフランスにいられなくなりロシア、イギリス、イタリア、オーストリアなどを転々とするが、1766年にはプロシアのフリードリッヒ2世の元に身を寄せたものの、1767年にはまた旅立ち、ヘッセンに滞在、ここがサンジェルマンの最後の地になった。
そしてその最後は淋しいものだった。
錬金術に関心が高かったシュレースヴィヒ・ホルシュタイン公、サンジェルマンはこの領主のところへ招かれ、そこに辿り着いて間も無く、正確にはたどり着いた日の翌日の朝と言うことになっているが、使用人だった女性2名になにやら指示をしていて倒れ、この2人の女性の腕の中で永遠の、そして戻って来れない旅に出たとされている。

その享年は不確かではあるが、93歳だったとも伝えられている。
1784年2月27日のことだったようだ・・・。

だが1789年10月、パンを求めてヴェルサイユ宮殿へと行進するパリの婦人たち・・・、彼女たちはヴェルサイユから皆の行進とは逆の方向に向かってゆっくり歩いている不思議な男を見かけた。
黒とも紺ともグレートもつかぬ異国の、しかも宝石が散りばめられた貴族の格好をした40代くらいの男性・・・、彼はまるでにこやかな表情で通りを歩いていたが、こんな人ごみの中、彼は実際誰とも接触せず滑らかに人ごみの中を歩いているのだった。
またある者は1790年、馬車に乗っている同じ風体の男性を見たと言い、ある者はやはり1790年3月バスチーユを眺めている同じ風貌の男性を目撃していた。
このことから一時パリではサンジェルマンの亡霊が現れた・・・と言ううわさが広がったが、これがサンジェルマンだったかどうかは確認されていない。

あるいは単なる噂話だったかも知れない、だが革命と言う新しい時代の到来に、人々は時を旅して時代の変革に立ち会ってきたというサンジェルマンを、フランス革命のある種の希望として、そこに見ていたのかも知れない・・・。

サンジェルマンの伝説はいろいろある。
またその出生についてもポルトガル系のユダヤ人伝説、ルーマニア・トランシルヴァニアの王位継承者だったというものもあるが、どれも根拠は無い。
そして当初から疑問なその生誕日だが、1710年、つまり記録による生年月日が正確なら、彼が3歳のときにセルジ伯爵夫人がサンジェルマンに会っているが、その時にはすでに40歳前後だったと言い、その40年後にもセルジ婦人はサンジェルマンに会っているが、その風貌は40年前とはまったく変わっていなかったとしている。

こうしたことから、サンジェルマンは不老不死の薬を作ることに成功したに違いない、と言う話が広まったのだろうが、カリオストロが所有していたとされる、18世紀最大の実在の秘伝書「La Tres Sante Trinosophie」の著者もサンジェルマンではないか・・・と言われている。
またその存在さえ不明瞭な「薔薇十字結社」、この創設者もサンジェルマンではないかと噂されるが、こうした噂に関しても彼はまったく否定しなかった為、その後もまことしやかに、すべての噂は伝承されていったようだ。

さてどうやら今夜もこの辺でクライマックスとなろうか・・・。
16世紀末頃からだろうか、あくまでも民間伝承だが、ヨーロッパではこんな話が巷で流行したことがある。
それはイエスキリストの呪い、つまりイエスが死ぬことを許さなかった人間がいる。
永遠に生きてその生きることを苦しめ・・・とイエスキリストから言われた者、正式には2名だが、彼らが存在し、その逸話はこうだ・・・。

カルタフィルス・・・、この者はイエスが処刑される前、イエスの体を鞭打ったことから、イエスキリストは彼に死を与えなかったと言うものだが、その償いは結構厳しいものとなっていて、100年に一度しか眠れず、しかも100年に一度眠って目が醒めたら毎回30歳前後に戻っていると言うものだ、羨ましいと思うか・・・、昨日まで友人だった人に会っても、もはやその人は気づかないかも知れない、勿論家族や子どもも同じだ。

そしてもう1人、こちらはアハスヴェールと言い、十字架を担いでゴルゴダの丘の処刑場に向かうイエスキリスト・・・、彼が疲れて腰を下ろそうとしたとき、近くにいたこのアハスヴェールは一言こう言う。
「早く行け、汚らしい・・・」、そう言ってイエスを追い払ったのだが、これに対してイエスは「汝、我がきたる日を待つが良い」と言い、これはどう言う意味かと言えば、つまりこうだ、イエスは審判の日にまた救世主としてやってくる、そしてこれを「我が来たる日」とするなら、このアハスヴェールにはその日まで待っていろ・・・とキリストが言った訳である。

こうしたことからアハスヴェールには死ぬことが許されなくなったらしいが、死をつかさどり、死者の国ハデスの支配者であり、その鍵を持つイエスならではの罰の与え方とも思えるが、あくまでも民間伝承である。

だが1542年、このアハスヴェールにはハンブルグの司教が、実際に会って本人と確認したと言う話がまことしやかに流れ、当時この話はヨーロッパで広く噂として広がった。
また1774年、ブリュッセルではカルタフィルスが実際に若返るところを目撃したと言う話がやはりヨーロッパで流行し、こうした巷の噂話は少なくとも200年くらいは、民間伝承として成立していたのではないかと思われ、この民間伝承をサンジェルマンを追い落とすために利用したのがショワズール公爵だったのではないか、イエスに呪いをかけられた者となれば、結構嫌われそうな話ではあるが、結果としてこの企みは失敗し、そのおかげでサンジェルマンは不老不死にされてしまったのではないだろうか、そしてそれでもこうしたことを否定しなかったサンジェルマンの真意は分からない。

このイエスから呪いをかけられたとする、カルタフィルス、アハスヴェールの2名は、伝承によれば今もこの世を彷徨っていることになっているが、サンジェルマンも、どこかでまだ歴史の後ろに立って、宝石を散りばめたアルメニア貴族の格好で、見守っているのだろうか・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

8件のコメント

  1. サン・ジェルマン伯爵 = オールドパッションさん ⁈ (笑)

    タイムトラベル、理論上可能なのですよね。
    世界のどこかで 今もサン・ジェルマン伯爵、私たちを見つめているのかもしれませんね…。

    それにしても不老不死…絶対に嫌です!(笑)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      流石にキリストの罰ともなれば奥深い事になりますが、多くの人間の永遠のテーマがまたこうした不老不死な訳です。
      人々の望む最上の夢は、この世で最も重い罰に同じとは・・・、面白いですね。

      コメント、有り難うございます。

  2. 「時を彷徨う者」第三章

    色んな話が収斂して、一つの物語の様になり、そこに人間存在や宗教観に仮託して、人々の心の中にある世界を思わせる、と言う「伝説」の一つの形態なのかも知れません。
    こういう話は自分は、考える縁でもあるし、刺激でもあるので好きですが、唯物論者は証拠がないとか、論理性に欠けると、最も自分に無い事で、等閑視するので、嫌いなようです。

    何か大きな事故や災害が起きると、その時にはご当人も、何だったか不明だったのだろうけれど、つらつら思い出せば、「神の声」が聞こえていたり、「神の導き~恩寵」を感じていたりすることが有るようですが、そんなことを感じない無事な事柄の中でいると、自覚なく、幸福さえも感じる事が出来なくなるという、自己矛盾した進化の中にまだヒトは居るのかも、知れません。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      日本神話も三国志も聖書も仏典もきっと似たような経緯で今に残っているのではないかと思いますが、民衆と言うステージで発展してきたものは、そこにある多様な才に拠って育まれてくるから、完成度も高くて面白い。
      反対にどこかで崇高に祭り上げられて大衆が手を出しにくかったものは矛盾だらけで解りにくく、面白くもない。
      聖書や中世史など只聞いていたら眠たくなりますが、こうしてサンジェルマンと言う視点を通してみれば、何とダイナミックで面白い大活劇になる訳です。
      これから中世史の教科書にはサンジェルマン伯爵を使うのも一手かも知れません。

      コメント、有り難うございました。

  3. 「無政府という国家概念」

    色々おっしゃる通りですね。あまり大きな講義なので、別から少々。

    カラハリ砂漠に住んで居るサン族(ブッシュマン)は2万年ほど前から同じような狩猟採集の生活をしていて、ここ100年位で相当な変化を受けざるを得なかったが、国家という概念は無いようだ。南アフリカ~ボツワナの国境に柵が有るようだが、彼らの移動用に、階段がついていて、自由に往来できるようになっているらしい。
    血族を中心に10~30人ぐらいの緩い集団を作って遊動して、その時々の都合や感情によって離合集散する、平均労働時間は一日に2~3時間、夜は寝て、暇なときは、雑談をしている~~♪

    フィリピンとマレーシアの間にあるスールー海では、船上に暮らす民族がいるし、世界各地に、自分たちを呼ぶ自分たちの言葉で「ヒト」と呼んで、狩猟採集および簡単な農耕をしている民族が点在している。
    アイヌを先住民と位置付ける、と言う新法が出来る様だが、これはアイヌ側からの要求ではないような未だ不分明だが・・

    南米にはヤノマミ~パプアニューにギニア方面には高地族・・

    何か大異変が発生して、国家を作っている文明人が全部絶滅しても、彼らが、イヌイットやアボリジニ、マオリなどが、生き残るかも知れない。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この話は2が存在していて、実は日本も民主党時代、今もそうですが、ロンドンの研究機関は事実上の無政府状態と区分していました。
      そしてそのような状態でも何とか国家が動いて行った現実に鑑みるなら、国家の要貞が揺らいでいった訳です。
      すなわち国民、領土、政府の内、もしかしたら政府が無くても国家の概念には影響がないのかも知れない事に気付き始めてきたのですが、むかしから民主を苦しめるのは政治であり、為政者だった事を考えるなら、日本も早く政府や行政などと言うつまらないものを考え直した方が良いだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

  4. 「老いとは何か」・2

    ああ、一つ切実な事を忘れていました、これも老いから来るのでしょう。(笑い)。

    昨日まで、何の感慨も無く出来たものが、今日できない。良く気を付けてやればできないこともないが、そのうち出来なるなるだろう。
    去年平気で上がっていた町の長い坂道が、久しぶりで行ったら、途中にあるベンチで休んでから登る~~♪

    食べる量が、激減した。ヒトは食べるために生きるにあらず、生きるために食べるのだが、やっと生きられる量(笑い)~~♪

    数年前に、奥様が亡くなって、ご主人は今、多分、入院中か施設かと思われるが・・
    奥様が生前に、住宅の行事で会って、「やっと生きている」とおしゃってましたが・・

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      多くの人は老いを悪い事と考えますが、「死」は「生」との対であり、流れですから、これ自体は悪い事でもなんでもなく、普通の事な訳です。
      唯、「自身」と言う者がなくなる事を恐れるなら「死」は怖い事になる。
      生物として当然の方向に流れていく事は悪いことではない。
      清々堂々と老いて行く、そんな有り様をして世に生と死の考え方を知らしめる事も出来るのではないかと思います。

      コメント、有り難うございました。

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