「お母さん・・・」・1

今夜は昔短編小説や、テレビドラマにもなったことがあるから知っている人もいるかも知れないが、こうした話のもとになったと思われる、ある母と子の話・・・、実際にあった話だが、これを紹介しておこうか・・・。

1978年6月21日、大村弥生さん(21歳・仮名)は友人たちと入ったレストランで、定食を注文するが、やがて出来上がって運ばれてきたフライの定食に箸を付けようとしたところ、なぜかご飯のその湯気の臭いが鼻について仕方ない、それも米ぬかの臭いがひどく、思わず吐きそうになったので、友人たちにこう尋ねる。
「ねぇ、このご飯臭いがしない・・・」
それに対してすでに定職のご飯を食べ初めていた友人は「え・・、そんな臭いなんかしないわよ」と笑って答えた。

仕方ない、気のせいかな・・・、弥生さんはそう思って今度はご飯以外のフライに箸を伸ばすが、どうもその日はおかしかった。
今度はそのフライの油の臭いがして、どうしても口に入れることができなかったのだ。
結局せっかく注文した定食の吸い物と漬物、それに野菜サラダだけ食べた弥生さんは、それから友人と別れて家へ帰ったが、こうしてなぜか食べ物のにおいが鼻について、ご飯が食べられない状態が2日ほど続いただろうか・・・、弥生さんの母親の香津美さん(48歳・仮名)は、そうした娘のありように、弥生さんに意外なことを尋ねた。

「弥生、あなた妊娠しているんじゃない」
香津美さんは半ば冗談のようにそう言ったが、これに意外な反応を示したのは弥生さんだった。
「そんなこと、あるわけないじゃない」と答えたものの、明らかに狼狽した弥生さんに疑いを持った香津美さんは、その夜夫の俊夫さん(47歳・仮名)に相談、翌日には娘を引きずるようにして少し離れた町の産婦人科医院へ連れて行った。
「おめでとうございます。妊娠3ヶ月ですよ」

診察を終えた眼鏡の老医師の言葉に、弥生さんは一瞬で血の気が引いたようになり、母親の香津美さんも看護士からこのことを聞いた瞬間、険しい顔つきになっていた。
有名私立大学3年、あと1年頑張れば卒業と言うこの時期に妊娠とは・・・、その夜弥生さんは両親から厳しく問い詰められた。
相手は、そしてどう言った男なのか、家柄は・・・など事細かに聞き出した弥生さんの両親は、取り合えず翌日その同じ大学へ通う男性を呼び出そうとするが、その男性の返事はそっけないものだった。

確かに自分は弥生さんとは付き合っていた、しかし弥生さんには他にも男がいて、子どもはそっちの男との子どもではないのか・・・と言うのである。
電話口では両親から代わった、弥生さんが泣きながら男に訴えていた。
「卒業して就職が決まったら結婚してくれるって言ったじゃない・・・」
「何をバカなことを言ってるんだ、大学卒業できなかったら就職もできないんだぞ、第一俺がそんな約束などした憶えはない」、弥生さんは男のその言葉に目の前が真っ白になり、受話器を持ったままその場に座り込んでしまった。

弥生さんにとってその男、(結城芳春・21歳・仮名)は始めての男だった。
両親とも教師をつめる家庭で、兄も大学を終わって数年前から教師をしている、また自分も教師を目指している割と厳しい家にあって、これまで勉強ばかり、男性経験のなかった弥生さんにとって、あちこちに女がいる結城の言葉は優しく、そして嬉しかった。
だから信じたのに・・・、親の目を盗んで僅か数回だが弥生さんは結城と関係を持ち、その僅かな過ちがこうして妊娠と言う重い結果をもたらしたのだった。

結城は本当に無責任な男だった、しまいには電話をしても電話線が抜かれているのか電話にも出ない、また弥生さんの両親がアパートを訪ねても、出てくることもなく、その内、結城の両親だと名乗る夫婦が弥生さんの家を訪ねてくるが、息子に妙な言いがかりを付けてどう言うつもりだ・・・、自分の家では医師や弁護士なども親戚に多くいる由緒正しい家だから、これ以上文句を言うなら考えがある・・・とまでいきまく始末だった。

それでも一応は付き合っていたことは確かなようだから・・・、と手渡された20万円の現金を眺めながら、弥生さんは涙が止まらなかった。
それから大学に行っても弥生さんの姿を見ると、結城は逃げるようにしていなくなり、弥生さんの両親も娘はおろか、やっと教員になった息子のことや、自分たちの立場もあって、その将来を考えると、泣く泣くこれ以上騒ぐことができなくなっていったのである。

7月4日、弥生さんは母親に連れられてこの間の産婦人科医院を訪れていた。
あんな男の子ども・・・、産まれたからと言ってろくなことにはならない、しっかり大学を卒業して、それからもまた相手は見つかるから、今のうちに子どもは堕胎してすべて忘れてしまいなさい・・・が今回の顛末の結果だった。
しかも妊娠3ヶ月のうちならまだ母体にかかる負担は少なくて済む・・・、こうした母親の言葉に促された弥生さんは、この間と同じ老医師に堕胎の意思を伝えた。

「何となく、そんな気がしていましたが、やはりそうしますか・・・」
「はい・・・」弥生さんは下を向いたまま元気なく答えた。
「分かりました」老医師はめがねの奥から優しい目で弥生さんを見ると、こう返事をした・・・がその後、こんな話を続ける。
「大村さん、では一週間後に処置を行いましょう、大丈夫ですから・・・」と言うのである。

当然今日にも堕胎手術をされるものと思っていた弥生さん、これには少し拍子抜けしたものの、この老医師や看護士に見送られて母親と2人、帰宅の途についた。
そして不思議なことはこの直後から始まっていくのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「お母さん」・1

    次回が楽しみです~~♪

    日本も国際関係ではこの弥生さんと同じような感じかも知れません~~♪
    ついでに学習しないで、モテ女で、本人は到って幸せ(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この話はテレビ化もされた有名な話なのですが、それだけに出来過ぎていると言う見方もされました。
      しかし、何となくでたらめとも思えない湿度と言いますか、情緒があり、私的にはたとえ作り話でも良く出来ていると思うのです。
      一般的に全くの作り話だと、何となく読んでいる人とは距離感が出てしまうのですが、それがない、逆に本当かも知れないと思わせてくれるものが感じられるのです。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「あー苦しかった」・2

    怪しい雰囲気が漂ってきました、乞うご期待、と言うところ~~♪

    世に冤罪事件が如何ほどか、冤罪だから分からないだろうけれど、今、刑事ドラマは、東尋坊や水路閣でなぞ解きをして、居酒屋や屋台の飲み屋で、刑事が推論を大ぴらに交わす、と言う「視聴率」のみの制作ですが、多分真面目に(笑い)テレビを見ている人は、疑っていない、と言う怪しい世上、特殊詐欺とも似ているかも~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      何とも昭和らしい話でして、今のように女を殺す動機が全くわからない事件と違い、その動機と言うのがとても情緒的です。
      男につぎ込む女、その女につぎ込む男、そしていつしか愛は憎しみに変わり、殺してしまう。それも哀しい顔をして男は女を殺す訳です。
      でたまたま空中浮遊していた人魂がそれを目撃し、事件は意外な方向から解決する。
      この話は実話で、殺人と言う悲しい結末を迎えた事件なのですが、そこには何とも言えない風情と言いますか、そんなものを感じてしまいます。
      時代は昭和から平成、そして今度は令和と言う事になったようですが、「令」は若干違和感が生じます。
      この時は秩序や何かを引っ張っていく事を始まりとしますから、「和」とは対比関係に有ります。
      丁度善悪が並んでいるようなものなのですが、この辺は学者先生たちは考えなかったのでしょうか。
      何となく窮屈な時代になりそうな予感がします。

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