「キラー言語」・1

おかしなものだが、言葉と言うのはその言葉に発しないところに本心があるものだ。
すなわち自身において既に決定しているもの、また相手がいる場合も相互に理解がなされているものは言葉にする必要がない、つまり言葉とは未熟な状態に対する補足、これから関係を作ろうとするなら、その為の道具でしかない部分があり、これは基本的には不完全なものでしかない。
しかし人間は今のところ「心」を直接相手に伝える手段を持たないばかりか、その自身の「心」ですら瞬間のものでしかなく、言葉は常にこうした瞬間を未来に記憶させるレコードのようなものであり、厳密には今日の言葉は明日に同じ意味を持つと限られるものではない。

また古来より言葉は「霊魂」(ことたま)と言われ、それは魂を表すものだとされているが、この場合の言葉とは「ああ」とか「おお」と言う言語にならない叫びや、感嘆詞、また全く意味のない言葉を指すものと考えた方が良い、すなわちいくばくかでも第三者が理解可能な言葉になった時点で、それは「霊魂」ではなく、何某かの「他に対する自己」でしかないのである。

2008年現在、この地球にはおよそ把握できる範囲で6116くらいの言語が存在していると見られているが、100年後、22世紀初頭にはこうした言語がいくつ残れるかとなると、おそらく半分の3000ぐらいだろうと考えられている。
そしてこうした3000の言語の中でも、安定してそれ以降も残っていける言語はその5分の1、つまり600ぐらいではないか・・・と見られている。

急激な速度で進む地球的規模の都市化と高速情報伝達社会、この2つ要素はそれを使う頻度が極端に少ない「方言」、または「村落言語」と言うローカル言語を一挙に駆逐し、使う頻度や使用人口が多い「標準語」や「広域言語」が、ローカル言語にとって替わっていくが、冒頭で述べたとおり、言語はレコード、すなわち「記録する」と言う役割を持っている。
ローカルな言語は長い歴史とそこに住んできた人間の言葉による蓄積、これは結果として「言葉で表せないもの」を生み、それを文化と呼ぶも良いだろう、慣習や伝統と言う言い方でも構わないが、そうしたものを形成してきている。

つまり、言葉とは「言葉にならないもの」、言い換えれば言葉の結晶のようなものを生むと言うことで、例え1つのローカルな言語であっても、それが失われることは、人類の経験による貴重な痕跡や、生活の営みについてのかけがえのない知恵の蓄積を失うと言うことであり、その損失は計り知れないものだと言うことである。

そしてこれをグローバルな観点から見ると、地球にはこうしたローカル言語を駆逐していく作用のある「広域言語」が存在し、その筆頭が「英語」であり、他にもスワヒリ語、北京語などの「広域コミュニケーション言語」(Ianguage of communication)があるが、これらを総称して「キラー言語」とも言う。
この概念は簡単なことだが、その言語を使う人口が多く、またその言語を使う地域がより広域に渡っている言語は、小さくまたはローカルな言語の使用頻度を更に少なくし、その範囲も狭めていくと言うものだ。

これは言うなれば「道具」の問題かも知れないが、最も分かり安い例ではパソコンソフトのWindowsではないだろうか、パソコン黎明期にはアップルや他のソフトも存在したが、互換性の問題から現在では殆どWindowsが世界を席巻しているように、互換性やコミュニケーションの利便性から、少数言語はどんどんその役割を終え、広域コミュニケーション言語に、その座を譲り渡していく傾向にある。

そしてこのような傾向は何も地方の方言や、先住民族の言語だけに留まらず、例えばスイスの「ロマンシュ語」、ユダヤの「イディッシュ」などさまざまな紆余曲折を経てきたものも含まれ、こうした言語の保持について最も効果があるのは、特定の言語の使用を義務付けると言った、法的介入である。

スペイン・カタルーニャ自治州では、これまでスペイン語とカタルーニャ語を同等に扱ってきたが、2006年から、カタルーニャ語を行政や教育で優先する措置が取られるようになった。
国語がスペイン語で、この州の住民の半分がスペイン語を母国語にしているにも関わらずのこうした措置には、多分に疑問を感じる部分もあるが、そこまでしてでもカタルーニャ語を保持しようと言うことなのだろう。

またフランスではこうした措置が更に厳しいものとなっている、例えばフランス国内にある外国企業、フランスではこのような企業に対しても、社内文書にはフランス語を使用することを法律で義務付けているが、この法律によって外国企業の社内効率はきわめて悪いものになり、結果としてフランスは外国企業に対する規制を行っているのではないか、またそもそもこうした規制は国際法に違反しているのではないか、などさまざまな疑問も引き起こしている。

そして更にフランスだが、フランスではこうしてフランス語を、英語と言う広域コミュニケーション言語から守ろうとしているわけだが、一方で例えばフランスの女性はマダム(Madam)とマドモアゼル(Mademoiselle)のどちらかを記載しなければ、行政文書や契約書が成立せず、鉄道切符の購入にでもこれは同じことが要求されるが、こうした言語と密接になった制度でも、時代に合わなければ、逆に廃止の運動が起こってきている訳で、特にフランスの女性にとって、この問題は深刻なものがあると言えるだろう。

「キラー言語」・2に続く。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 「キラー言語」・1

    支那は古代より他民族、必然的に多言語が行き交う場所で有り、早くから言語重要性が高い地位で有った。
    今でも支那ごは、大雑把に言えば、文法が無く、屈折もせず粘着もせず、象形文字のみで成立している。そのために派生させた文字自体が重要な暗号となって、相互の理解が出来るようにはなっているし、長い歴史で、その文字で、特殊な意味も伝承されて、それなりの理解は可能であるが、今でも多くの誤解を発生させる要因は、残っている。
    これは宿命で有り、急速な進展。・改善は見込めないと思われる。英語・アラビア語は、長い間、比較的多民族で且つ広域で使用されており、微妙は伝達は今でも異民族間では、困難だが、言語はそれまでを要求していないので、必要にして十分な減で有ろうと思われる。
    言語は居住環境・歴史にも大きく依存するので、カラハリ砂漠のサン族の言語の様に、限定的な場合は多いけれど、ヒト特有の「表情」と言うものが有り対面すれば、作為で変更も可能な面もあるが、ネットのような空間より、対面すれば、理解より深まるだろうと思われる~~♪

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