「暗い箱」

レオナルド・ダヴィンチがその記録の中で、こんな話をしてる。
ナポリの物理学者バブテスタ・ボルタは1558年、周囲を塞いで中が暗闇になる言わば「暗箱」を作り、これに小穴を開けて入射して来る光を箱の側面にはめ込んだスリガラスに当てると、外の景色が影絵となって映し出される仕組みを発明し、当時の画家たちはこぞってこの暗箱を携帯して写生にでかけたものだと・・・。

ボルタのこの仕組みは、当初小さな部屋から始まったもので、壁面が光を通さないようなつくりの小部屋に、一箇所だけ小さな穴を開け、そこから入ってくる光を一面だけにはめ込んだスリガラスに当てる仕組みだったが、これを小さいものにすることで携帯できるようにしたものだった事から、このダヴィンチの言う小さな暗箱は、ラテン語で「小部屋」を意味する「カメラ」と呼ばれるようになった。

そして250年後の1816年、フランスのニエプスは趣味で銀メッキの研究をしていたが、ガラス板に銀メッキをし、それに沃素蒸気を当てて実験している最中、知人が訪れたことから、話し込んでいる間にこの実験中のガラス板の上に、スプーンを置いたままであることを忘れていた。
やがて知人が帰ってハッとなったニエプス、当然実験は失敗だったが、何とスプーンをガラス板から持ち上げると、そこには綺麗にスプーンの映像が残っていたのだった。

だがニエプスのこの発見は、この時点では単なる発見に過ぎなかったが、1838年、フランスの画家ダゲールは、ボルタの暗箱とこのニエプスの発見を組み合わせることを考え、ここに初めて「写真」と言う原理を組み立てた。
翌年1839年、ダゲールはパリのアカデミー・デ・シアンスに措いてダゲール写真術なる公開実験を行い、見事実験は成功し、写真機の発明者としてその名を歴史に留めるようになったのである。

ただダゲールにしても、この段階で作れたのはネガの原理であり、それからポジの原理が出てくるのは1841年、写真機の発明から2年後のことで、開発者はタルボットと言う人物だった。
こうして開発された写真機だが、その風体はとんでもないもので、機材一式を移動するとなると大変なものであり、それから少しずつ小型化がはかられたが、それでも1885年、当時銀行の書記をしていた若きイーストマンが、友人の勧めで写真術を習い、写真セットを背負って旅行に出かけた頃になっても、背中に食い込む写真セットは、相変わらず旅に苦痛だけをもたらすほど重く、かさばるものだった。

イーストマンの旅行写真は実に見事なものだった、だがこのままでは写真機の普及は無い、若きイーストマンは写真機を小さく軽くすれば、もっと世の中に普及するのではないか・・・、そうしたことを考え始める。
そして1888年、コダックと言うカメラがイーストマン社から発売された。
ガラスの乾板をロールフィルムにして、これまでは背負う以外に手の無かった写真機セットを片手で持てるようにし、誰もがシャッターを押せば写せる写真機、つまりカメラをここに誕生させたのだった。

以来カメラは数々の進化を遂げ、現代に至ってはデジタルカメラが普及しているが、その始まりは小さな暗い部屋、もしくは暗い箱だったのである。

私が始めて新品のカメラを買ったのは20歳のときだった。
それまでも何台かは中古カメラを使っていたが不具合が多く、安物でも新品をと思った私は、カメラ屋さんで一番安かったカメラ「フジカST-F」を、清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったが、このカメラ、取りあえず一眼レフとは言うものの、40mmレンズが固定式の、しかもフィルム巻上げは回転式つまみの貧相なもので、加えてシャッターを切ると「ペコッ」と言う本当に情けない音がしたが、写りは悪くないものだった。

そして何と言っても凄かったのは、このカメラと一緒に付いてきた取扱説明書だが、ポートレート写真の写し方と言う項目に出てくるモデルさんが、何と和服にかんざしの姐さんなのだ。
これにはさすがに私も感動したものだったが、その説明書は今も大切に保管しているものの、カメラの方はその余りにチープな作りから、いつか壊れたら捨てようと思いながら来たが、結局今日まで残っている。
他のオートフォーカスは壊れたり不具合が起こって買い換えていったが、この安物カメラはなぜかずっと壊れずに来て、しかも単三電池で動くものだから、今もってシャッターも順調なら、フラッシュも有効なのである。

おかしなものだ、働き始めて高いカメラを買えるようになった頃は、こんな安物カメラ・・・、とか思っていたが、どんな高級カメラよりも実際の付き合いは長くなってしまった。
今年に入ってデジタルカメラも買ったが、でもやはり今も取り出すのは、フィルム一眼レフであり、その中でも最近このフジカST-Fのシャッター音がなぜか可愛らしくて気に入っていて、スプリットでピントを合わせながら景色や人を眺めていると、楽しくなってくる。

暗箱と言えば、これほどそれを実感させてくれるカメラは「ヤシカFX」かこのフジカST-Fだろう、ファインダーを覗くと下のほうにプラスチックの構造が露出していて、道具としての満足感は全く無いが、長くいろんなカメラを使っていると、なぜかこうした「暗箱」そのもののカメラも良いものだと思えてくる。

私は始めて写真に写した被写体を今も覚えている。
それは小学5年生のとき、学研の「科学」と言う雑誌の付録だった、厚紙製の実験用カメラキットで写した目の前の田んぼの風景だった・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

6件のコメント

  1. 「暗い箱」

    子供の頃、屋根裏の軒板の節穴から入った光で内板壁に外の景色が動画で映って、孤独な少年の秘密の遊び、確か、薄っぺらな凸レンズを適当な所にかざすと倒立像が正立像になったように記憶している。

    近所のお店では、印画紙~感光紙(?)が駄菓子と一緒に売っていて、自作の針穴カメラに据えて、写真も撮ったようなぼんやりした記憶。
    今の子供がどんな少年時代を過ごしているか不明だが、時代と共に、得るものと失うものが有るのは仕方が無い。

    良寛さんの時代と自分たちが少年時代と違う何倍も、今の子供たちの時代とは違うだろうが、その人たちが、社会の多数派になった時には、昔は良かった、と言うのだろうか~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この話に出てくるフジカST,実はまだ手元に有って、しかも今でも使えるところが凄い気がします。
      確か40mmと言う中途半端なレンズで、シャッター音が本当にしょぼいのですが、その不安に反比例する綺麗な写りで、特に白黒フィルムとの相性は抜群です。
      それにしてもスマホでも綺麗な写真が撮れてしまう現在、まさか写真がここまで来るとは思っても見ませんでした。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「コップの水」・1

    確かに東日本大震災の時の政府の対応は、拙劣であったが、他の政党でも似たようなことが発生していたようにも思う、と言うのは、政権が交代しても、当時決定された事を、再検討は無く、詰まりは、効果~将来性~可否などを、時間経過で色々見えて来て居ただろうにも関わらず、将来を見据えた責任ある対応を検討もしなかった、チリつしているようでも実際に実施する政策に大きな異動が無いのは、或る意味問題だろう~~♪

    SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)も有効かどうかは、不明成るも、当時は、汚染が酷い方へ誘導した、存在さえ知らなかったらしいのは、職務に適した者が、決定に加わって居なかったことを想起させて、万年野党の無能力が晒されたが、現今の防衛大臣や復興大臣の発言行動を見れば、万年与党でもこうであるから、然も在りなんと思う。

    平時と戦時(緊急時)は違うけれど、国会や大臣は常在戦場の体制で有るべきかもしれない。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      基本的に大きな差が出るのは意識なのですが、例えば昔の表現で太平洋側と日本海側と言う区分がありましたが、これは気候的な区分だったのですが、その生活スタイルから考えたにまで決定的な意識差をもたらしていました。
      日本海側はどうしても悲観的、暗く物事を考える傾向にあり、太平洋側はこの反対でした。
      気候が人間に与える影響の大きさはもっと研究されても良いように思いますが、ネットでどこにいても同じ情報が得られるからと言って、毎年降る雪が降らなくなる事は無かったりする・・・。
      これは結構大切な事だと思います。

      コメント、有り難うございました。

  3. チェリノブイリ原発事故では相当の人々が死亡したらしいが・・
    福島第一原発では被曝により死亡者は居ないようだ。今は、低放射能水が、溜まっているらしいが、太平洋の真中で、放流拡散させても、被害が有るかどうか勿論不明だが、検討すべきだろうと思う。
    ウラジオストクの港内には、ソ連時代の廃原潜が、数多く係留されて、放射能~放射線を垂れ流ししているらしい、それも福島の何十倍も~~♪

    人類が創出した最悪の毒物と言われるダイオキシンで、死んだ者は一人も居ないようだが、無暗に恐れられている。放射線も放射能も、広島長崎では、除染もされず、数百年草も生えないとか言われていたが、今では往年を凌ぐ繁栄をしている。

    偶々、見たのだけれど、長崎大では、喫煙者を採用しないという方針を打ち出したようだが、私立大学でもどうかと思うが、国立大学で、行うのは、視野狭窄に陥っているように思える、反対事案の様に思う人が居るかも知れないが、医科系の大学で、入学試験で平等不平等が論じられているが、根は同じで、計測可能なものだけを判定基準にするのは安易な怠慢にしか思えない、大事な事をする人を点数だけで評価する愚。

    大村益次郎は桂小五郎に引きで、才能を発揮したが、多分アスペルガー症候群で、それを気に入らないものが暗殺した。
    手術して、体内の癌はすべて切除したが、病人は死にました、見たいな話しが多すぎ。
    色々なショウガイを持った人に、やさしい振りの社会だが、人里離れたところに隔離しているようなことも根は同じだろう。
    政治家も抽象的な事ばっかり言って、今度の選挙でも「山本太○」のような連中が大量当選すると思うと、憂鬱だ、1人だったら意味は有るが、大勢になると雲霞の大発生を思ってしまう、お笑いも同じで、少数なら是認だが、テレビの出演者がすべてお笑いと言うのか、何か悪いビールスが、日本全体に蔓延しているようでもある~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      風評被害など、馬鹿な話でした。
      風評は被害ではなく、人間社会の現実であり、これを被害と捉えた馬鹿がいておかしくなった気がします。
      人の口に戸は立てられず、だからこそ誠実が求められるのであり、前だけ立派な生地のスーツで後ろは裸の人間を誰が信じようか・・・。
      だったら程ほどの生地で易くてもちゃんと長持ちする服を作るべきで、この過程では風評は大いなる情報であり、チャンスでもあるかも知れない。
      人の感覚や噂を被害と考えるような社会はろくなものではないと、思う訳です。

      コメント、有り難うございました。

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