「市民と平等」・1

現状批判、現状打破を主張した啓蒙思想、これらはしばしばフランス革命の発端として考えられる事が多いが、確かに啓蒙思想ではモンテスキュー、ルソーの政治的思想はフランス革命の中で大きな意味を持っている。
だがこの思想がフランス革命を引きこしたと考えることは出来ない。
啓蒙思想の中にある政治思想はそもそも批判、、つまり現状に対する不満から発生しているもので、そこに明確かつ建設的な方法論、革命理論は存在していない。

フランス革命の原因は社会、そして経済的なものであって、この革命の過程では政治思想が大きな役割を果たしたものの、どちらかと言えば啓蒙思想は市民の感情を整理して理論化したものであり、この場合最初にあるのは経済的困窮から来る市民感情であり、これをして革命の発端と看做すことが妥当と言える。
この点で言えばフランス革命に措ける啓蒙思想は、ロシア革命に措けるマルクス・レーニン主義と意義を同じにしていない。

そしてフランス革命は1789年を以って成立したと見るべみだろうが、実はこの革命はルネッサンスから始まる思想的な流れの中にあって、それが一つの結果を見たという性質を持っている。
14世紀から15世紀、ヨーロッパでは大航海時代の始まりとともに、中産階級(ブルジョワ)の勢力が台頭し、そこから新しい価値観、世界観が生まれたが、そうした中から世界市民と言う考え方が生まれ、実際こうした世界市民の思想が、政治的結果として現れたものがフランス革命と言えるのである。

従ってこうした西洋史観から考えると、フランス革命はルネッサンスに始まり、フランス革命で成立し、そしてこれは後に詳しく解説するが、200年後の1989年に終わったと看做すことが出来るのであり、同じ観点からすればルネッサンスと言う区分は、それがあったのかどうかも疑わしい、実は中世と言う一つの流れであり、むしろ極度に発展してしまう享楽主義、神秘主義の権力化による暗黒時代の方が、その有り様を示す上での整合性を持つように考えられるが、もしかしたらフランス革命と言う事実があって初めて成立する時代区分とも言えるのかも知れない。

またこうして出てくる市民だが、日本における市民は、実際には2つの概念が混同されてきた経緯があり、西洋史における中世都市の職業人(商人や手工業者)も市民と呼ばれるが、これは歴史学上のブルジョワであり、一方ギリシャのポリス、ルネサンス期の都市国家、近代の国家(コモンウエルス)に措ける政治共同体のメンバーもまた、「市民」と呼ばれるが、この2つは同じではない。
都市における職業人が作る利益社会は「経済社会」であり、これをブルジョワと言うが、国家形成に関る共同社会はcivil society であり「市民社会」と翻訳されても、実際には「公民社会」が正しい。

近代国際社会は初期の段階、このcivil society とコモンウエルス(国家)の概念が同じだった。
それが近代の経済の発展に伴い、そのウェートが大きくなって行くとcivil societyつまり「公民社会」が分裂し、近代国家と経済的市民社会に分かれていくのであり、こうした概念が確立するのは19世紀中ごろのことになるが、日本では未だこうした概念が曖昧な部分がある。
市民、ブルジョアと言う概念は「経済の中」にいる者を指す言葉であって、従ってこうした言葉は経済用語の性質を持っている。

さて少し逸れたが話をフランス革命に戻そう、先にこの革命は西洋史の中では、ルネサンス以来延々と続く流れの、一つの到達点と見ることが出来るとしたが、その一方、この時代だけを切り取ると、この革命は日本に措ける一揆が成立したような側面も併せ持っている。
すなわちこの革命の根底に眠るものは経済的混乱であり、そこから来る貧しさが引き起こした暴動が、追認されたものとも言うことが出来る。

人間の何をして賢くて、何をして愚かと言うのかは私には論じる根拠がないが、多くの民衆の怒りはすなわち、その根源を辿れば比較から来る妬み、恨みにあり、その本質は苦しい現状の打破にある。
従ってこうした感情が向けられる対象が存在しなければ、自己の内に完結せざるを得ないが、これに僅かでも対象が見出せた時は必ずそこに怒りが向かう。
そして人間の社会に完全な平等などあろうはずも無く、そうした経緯から常に最下層に暮らす民衆がある以上、こうした怒りは消えることがなく、その対象もなくならないのである。

フランス革命も実際は貧しい農民や、経済的混乱から沈没していった市民階級の不満が噴出したものであり、それに権力闘争から、こうした大衆の動きに便乗した一部の貴族階級が加わり、宗教的対立までがこの動きに加担していった、つまり国家において現状に満足する人間よりは、強い不満を持つ人間が増えてしまったことから起こったものなのである。

またこうした革命の発端が、あくまでも個人の怒りの集積であることから、次に始まるものは、恐怖支配である。
個人の感情の集積を大きな力としていくためには、そこに大きな目標が必要となり、この目標がフランス革命では「市民社会」と言うものだったが、ではそこに本当に平等と自由が存在出来るかと言えば、そうは行かない。
自由と平等を保障しそれを継続するために、これを担保する組織が必要となって行き、結果としてこうした組織の力は弱く不安定なために起こってくるものは「縛り」であり、「市民」の為に市民に名を借りた市民による支配が始まってくる。

もともと根底が個人的感情から始まったこうした市民支配は、過激なものになって行き、そこでは「市民社会」に抗する者が見せしめとなっていくことになり、とても神経質で感情的な社会が形成され、行われるものは平等や自由に名を借りた「リンチ」である。
こうしたことはルネサンス、中世暗黒時代にも起こったことだが、どうもこうして見る限り、「市民」と名の付くものが表に現れる時代は暗く、重い湿度を持った社会が現れているようだが、これは偶然なのだろうか・・・。

「市民と平等」・2に続く

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「市民と平等」・1

    フランス革命から、現出したものは、実は平等ではなく、中世とは形が違った、階級社会で有り、以前は、富には必然的に制限が有り、詰まりは今あるものの配分の範囲で有ったが、それ以降は、技術の進歩その他で、富は無限らしく見えて、ヒトは要も無いのに、無限に取りつかれて、強い物の独占に近い物の様になり、階級は固定化を強めているが、肝心な強い物が見えにくくなっており、方向性が見えなくなっている。
    それを啓くべくして出て来たらしい、共産主義や毛沢東主義も、遣っていることは、特に中共で分かりやすいが、他民族への侵略で有り、目的と結果は乖離している。多分、共産主義者も、目的を本来的な意味では理解していないで、現世の自己利益のためにはすべてが許されていると思っているようでも有るが、その立場は危うい。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      フランス革命後のフランスを見れば一目瞭然ですが、ここで出てきたものは民主主義と言うものの闇でした。
      恐怖政治、リンチ、文字通り暗黒時代に突入しますが、そもそも地震が人間である事を主張しなければならない背景には人間としての扱いが得られていないからであり、これに鑑みるなら市民と言う表現を用いる場合は、そこから外されている者を意識するから市民と言う言葉が出てくる事になります。
      今回の統一地方選挙でも自由、平等、豊かに暮らせる社会など色んな言葉が出て来ました、こうした言葉が出てくる時は、それが無いから出てくると言う事を考えるべきだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

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