彼方の道

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遠いむかし・・・・
わたしの祖父は、いつも土手の上にあった大きな梅の木の下で腰をおろし、
この山を越える一本の道を眺めていたものだった。
いつだったか、そのことを思い出した私は、同じように梅ノ木の下に立ってみた。
だが、そこから見える夕方の景色は、漫然とある唯のいつもの景色に過ぎない・・・・。

 

こんなつまらないものを見ていたのか・・・。

 

そのとき、遥か道の彼方から、何か小さな点がこちらに向かって
自転車をこいで来るのが見えた。

 

「あっ、あれは・・・」

 

わたしはこのとき、祖父がいつも何を待っていたのか・・・、
それが分かった・・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      一生懸命自転車をこいで来る者、
      それは自分の娘でした。
      祖父はやはりこうして梅の木の下で、私や弟が帰って来るのを見ていた訳です。

      コメント、有り難うございました。

  1. 「地震予知の歴史」・1~2

    代議士が大臣や副大臣になっても、甲斐のない失言をするというか、あるまじき暴言を吐くというか、は、日ごろから国家・国民への簡単に言えば滅私奉公の気持ちが足らんのであって、付け焼刃が剥がれるのであろう。つまりは咄嗟の時に地が出てしまう。

    不断に修行をしている聖職者は、いざとなれば、身を滅しても衆生救済に動くように、又、保育園や幼稚園では、年に何回も場合によっては毎月避難訓練をしており、大地震発生の時は、迷いも外連もなく、所期の避難場所に退避できるが、大人は、功利が先だって、特に自分は運が良いと思い込みたい妄想が働いて、自らを窮地に落とし入れるのみならず、他人をも巻き込む。

    来るものは来て、予兆のたびに、気を新たにすれば、実際の避難は、簡単で有り、逃げないことで受ける可能性のある利益とは比べ物にならない、という事を自覚して、備えるべきであろう~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      地震の予知は基本的には不可能だろうと思います。
      丁度瓦を割ろうとしても、一度では割れないように、予兆が出ても必ず地震になるとは限らない。ついでに自然現象でも気象などの激変でも地震の予兆と同じものは有り、地震雲と言われるものの大半は飛行機雲を恣意的に見て、恣意的に写真に写しているだけだろうと思います。
      地震は自然現象の中でたった1回混じる不可思議と同じで、呪いの館で発生する霊現象は9999回までが物理的原因で、たった1回が本当の呪い、これを区別するのは至難の業で、やはりより多くの人の確認に拠ってしか回数、つまり客観性を持てないような気がします。
      そしてこうした事だから、私は40年近くも辞められなったのだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

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