「天神様」・2

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天満大自在天神菅原道真、通称菅公(かんこう)または菅丞相(かんじょうしょう)はこうして死後50年と経たないうちに神として祀られることになったが、天神とはもともと「天神地祇」(てんじんちぎ)と言って、地祇(ちぎ)つまり地の神をさす言葉であり、むかしは雷や稲妻は天神の仕業と考えられていて、現在でも気象の神として天神を祀っているところもあるくらいだ。

例えば雷を祀っている地域が山陰地方や九州の南に存在しているし、そうした地域の天神さまは農民が天候が順調であることを願い、農作の進行の無事を祈っている、また菅公より以前の京都北野天神には、遣唐使が出発を前にしてその航海の安全を祈願し、奉幣したとされている。

ではなぜ菅公は天神になったのか、その理由はこうだ・・・。
右大臣だった菅原道真は、何も悪いことをしていないのに、彼の出世を妬んだ藤原時平たちが大宰府へ流して、そこで死んでしまった、菅公の死後その怨霊が、宮中を襲う雷となって、生き残る貴族たちを、ことに藤原一門に天誅を加えたのではないか、彼こそが天神ではなかったのか・・・と言う話が宮中のみならず、民衆にまで囁かれるようになって行った。
そこで北野天神に菅公をあわせ祀ったが、そのうち菅公が天神そのものになってしまったのである。

つまり雷で貴族が死んで行った事が、菅公をして天神だったのではないかと言う話に繋がって行った訳である。
だから当初暫くは菅公は雷神の如く恐ろしい顔つきで描かれていたが、後世、菅公は実は大変な学者、学問の大家だったことが知れてくるに従って、そんな恐ろしい顔ではいけないと言うことになり、現在のような柔和な姿になり、そしてもともと気象の神であった天神も、菅公の影響から学問の神として人々に親しまれるようになったのである。

そして菅公が学問の神としてのイメージを定着させていったのは、室町時代からの事だと思われるが、京都の禅寺東福寺の開祖聖一国師(しょういつこくし)が、宋から帰国して大宰府にいたとき、菅公が安楽寺にある墓から抜け出してきて、禅を教えて欲しいと言った。
そこで聖一国師は自分の先生は宋にいるから、そこへ行って教えて貰いなさいと答えると、その晩のうちに菅公は宋に飛んで杭州臨安の禅寺にいた無準師範(ぶじゅんしはん)と言う高僧を訪問したとされている話が残っていて、これが当時の京都文化の中心となっていた5つの寺(五山・ござんとも言う)の僧侶たちに広く信じられた事から、ここに来て天神さまは「禅」とも深く関係していくことになったのである。

だから当時「渡唐天神像」(ととうてんじんぞう)と言う、唐代風の菅公肖像画があちこちで描かれ、これによっても天神さまは全国に普及していくことになったが、この頃の禅僧は漢詩漢文至上主義だったことから、日本でその道の大家とも言える菅公が禅に帰依したとなると、禅僧たちにとっては随分な宣伝効果と、格調を手に入れることになっただろう。
このことからこうした話は禅僧たちに信じられた・・・と言うより、そうであって欲しかったと言うのが、正しいのかも知れない。

また菅原道真公と言えば、子供とのえにしも深いとされているが、その背景には既に11歳の時から才覚を表していた菅公にあやかろうとする子供や親たちの願いがあった。
昭和の中程まで、地方では天神講(てんじんこう)と言う講があったが、これなどは江戸時代の寺子屋から始まったもので、小学生が友達どうしで、毎年2月か3月の25日に集まり講を開き、当番の家では大勢の子どもが天神さまの掛け軸をかざって飲んだり食べたりする、まことに楽しい講が開かれていたものだった・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「神の如く」1・2

    閻魔大王の顔が怖いとか、慈母観音の顔が、やさしい、とか人間界では言っていて、現実にも行動性格とは関係なく「美女美男」は有るようだ、そういうものは、それを寿げばよいし、逆のものは、出来る範囲で改善を図ればいいが、持って生まれたものだから云々と言うのは、傲慢な気がする、LGBT、トリソミーその他、進化の結果だろうから、如何ともしがたいが、生きやすくすべきであろう。
    勝手に自分の好悪・主義で、それこそ、「神の如く」振る舞いたい人が多すぎ。きっとチンパンジーとかは、そういうものを思慮する機能は無いだろうが、すべて在るものを、在るがままに一旦見て、それからそれなりに「幸せ」に生きる方法を考えるほど、人類は未だ達していないが、永遠に達しないのかも知れない~~♪

    良く安全性や制度に「100%と言いきれるか」と迫る人が居るが、何かの毒で頭が侵されているのだろうけれど、同じ人間に、神のような完璧を求めているのも不思議だが、言われた方も、色々言い訳するのは醜い。それに寄って集って、低劣な議論を、それこそ、代案も無いのに、神より一段上の「審判」を買って出る人が居るが、もっと醜い。

    ちょっとした考えで、富裕になる人を、非難する気はないが、富裕になったら、それなりにやることが、有る気がする、という事もあるけれど、黙って米を作る人、卵を出荷する人、その他、動植物を育てる人が居て、食っていることを、偶には思い出した方が良い。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      生肉を食べて死亡する事件が発生し、これに対して政府が安全基準を定めた折、何を馬鹿な事をと思って書いたのがこの話でした。
      閻魔大王やアマテラス、仏なども出てくる面白い話にしたのですが、結構当時も人気が有りました。
      こうして面白い話にすると皆が解ってくれる部分が有り、何度か同じような手法を用いた気がします。

      コメント、有り難うございました。

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