「見えない第4の層」

私が輪島塗で独立したその日、最初に考えた事は「これで自由だ、いつでも好きな時に休めて、もう誰にも頭を下げずに済む」だった。

だがどうしてどうして・・・、現実にはどんどん時間が無くなり、休めるのは葬式でも出来た時くらいになり、元々中身も少ない軽い頭は、上がっている時を探すのが難しい事になってしまった。

自由とは究極の不自由のことかも知れないと思う今日である。

経営者とは実に孤独なもので、それゆえ組織に在れば情報こそがその拠り所に成る事は塗師屋の親方も同じ事だが、自分や運営している組織に対する正確な評価や、その改善点などは容易に経営者の耳に入る事は無く、また経営者自身もどうしても自身に対する厳しい評価を嫌い、耳障りの良い言葉を求めてしまうものだ。

輪島塗の塗師屋の組織はそれぞれの仕事で部屋が分かれているのが一般的で、下地、研ぎ、上塗りの部屋にはそれぞれ数人から大きいところでは数十人が一緒に仕事をしていて、このような閉じた空間で座って手仕事をしている環境では、たわいも無い会話こそが全てと言う感じになる。

情痴、噂話、悪口などで盛り上がりながらコミュニケーションがはかられ、仕事をしているのだが、時々親方に対する悪口も出てくるのが普通で、たまたまそうした話が出ている時に階段を上がってくる親方がそれを聞かざるを得ない時も有って、当然これは面白くないが、親方ともなればそのような些細な事で一々怒っている訳にも行かない。

またそうした自身の悪口の中には10に1つくらいには自分が一番気にしている事に関するものだったりもする。

従ってこの悪口の中には、自分や運営する塗師屋に対する職人達の正直な思いが含まれている訳で、孤独な立場の親方に取って最も必要とされる情報もまたこの中に有った訳である。

優秀な塗師屋の親方はこうした職人達の悪口を制する事はしなかった。

階段を上がりながら自分の悪口が聞こえてきても、仕事場の戸を開けると、まるで聞こえていなかったかのように満面の笑顔で皆に挨拶をしたものだった。

経営者の悪口が言える環境こそを、善しとしていたのである。

輪島塗の器で100年ほど経過した物の剥離層を見てみると、その大部分が補強布と上塗りの層で有り、一番厚く付いているはずの下地層が、ほんの僅かしか残っていないのには理由が有る。

一つは経年劣化で含有水分が無くなり萎縮した事、そしてもう一つは職人が付けた下地を研磨して成形した為に、下地の半分ほどが消失してしまうからだ。

つまり輪島塗に限らずあらゆる漆器は、こうして消失してしまう部分が有ってその形が為されている。

形として残らず、見えない第4の層が有って漆器は出来ている訳で、職人達の痴話ばなしや悪口、そしてそれで盛り上がった笑顔が、形無きとも第4の層を作っているのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 東芝も、7iも、最終決定グループにブレーキを掛ける意見の人たちは、多分、顧客第1だったり、従業員を大切にする意見だったりしたのでしょうが、少しずつ遠ざけられて、株主と短期的な決算のみ重視する、利益至上主義で突っ走って居て、道を踏み外したのだと思います(笑い)
    帝国海軍で、米内大将が海軍大臣、山本中将が次官で、井上少将が軍務局長の時は、反戦トリオで、対米戦争は起きる気配はなかったのですが・・それぞれ中央から地方へ飛ばされ、勇ましい連中が、戦争を決定したようです。

    必要な意見は得てして耳が痛いながら、その中から道が見えてくるのでしょうが、大抵は、側近を、褒めそやす人で、固めたくなるのでしょう。
    そうじゃない人が居れば、カリアゲの肥った3代目のように、粛清してしまう(笑い)

    まともな王国は、そばにフールを置いて、冗談めかして厳しい意見を自由に発言させていたようですが、今、どっかのお国の首相は、野党も程度が低いし、顧問団は厳しい政治も歴史も興味はなく、ご栄達にのみ、興味があるようで、何か危うい気がしております。
    黒ちゃんのマイナス金利は、未だに訳が分からない(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      東芝、大塚家具、三菱とあのような大手企業が恐ろしく古典的な問題から抜け切れていなかった事はある種の驚愕ですが、現実はそんなものなのでしょうね。最後は人間のやることだから原理は数千年前から同じだったような気がします。
      大東亜戦争でも現実を知る者は開戦に反対し、現実を知らない者が民衆を煽り戦争に突入、最後は天皇と東条にすべてを押し付けて逃れた。この中途半端な在り様が今の中国や韓国との関係に繋がり、憲法9条の曖昧さを生み、国民の外交的自身のなさと、その開き直りとしてのナショナリズムが有る。アホな話で気持ちや意地は金にならない。そして金にならないものに頑張ると最後は自身が疲弊する。もともと日々の仕事から始まって嫌な思いや体のきつさが在るからそれが金に繋がっている。これを楽して金だけ得られたら誰かが損だけを引き受けている事になり、関係は遠からず破たんする。近衛文麿そっくりの今の日本の総理とお隣の風船のように膨らんだお坊ちゃまは基本的に同じで、馬と鹿、いやそれ以上、国家国民の敵、と言ったら言い過ぎでしたか・・・・。

      コメント、有り難うございました。

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