「東京コレクション」・2

イメージ 1

                              1999 7 3 撮影

また「FI世代」とは口コミ世代、つまり携帯を媒介として広がっていく、20代から30代前半の若い女性を指した言葉で、蛯原友里や、押切もえなどはまさにこの世代を代表しているが、FIのFはfe_Male(女性)のFを、そして1はこの世代に付けられた区分番号であり、東京ガールズコレクションが始まりとなった為それを指して区分1となったものだ。

そして「小6サイズ」は、基本的に「J世代」の圧倒的な支持によって発生した消費区分だが、その実態は小学生高学年女子のサイズで想定された可愛い洋服は、身長150cmから160cm未満の小柄で細身の女性にぴったりのサイズとも言え、凝ったデザインに手ごろな価格感があり、例えば「セオリープチ」などのスーツは大人物の売り上げの50%に迫る勢いがあった。

こうした点に加え、そのスタイルと言う点では「アクセシブル・ラグジュアリー」つまり手の届く贅沢感を味わってもらうためにアメリカの「コーチ」などが始めた戦略があり、デパートのバーゲン商品と、海外デザインブランドの中間を狙った価格帯の商品もまた発生してくる。
有名なものではメイドインジャパンとして品質を守りながら、しかし価格では手頃感があるサマンサタバタなどがあるが、こうした傾向は「セレブ感」とも関連性がある。

同じようにクラシコ系、これは主に男性を中心としたものだが、クラシコとはイタリア語で「最高水準の」と言う意味があり、その名の通りイタリア製の、質の高いメンズファッションを展開している「20社前後のメーカーグループを指していて、例えば「マリネッラ」のネクタイ、「ルイジボレッリ」のシャツなどが、こうしたスタイル区分に相当している。

どうだろうか、こうしてみて見ると、パリコレに日本人のデザイナーが少なくなった大きな背景には、流通と言うものの変化が現れていないだろうか。
つまり従来のように海外でショーを開いて、それで有名になって成功すると言う図式は、もはや過去のものとなってきているように思えてならないが、そうした背景にあるものは消費者の動向であり、オンラインショッピングや携帯サイトの普及に伴って、見かけや従来の権威に対する憧れが無くなってきていることに、その原因があるように思える。

つまり発達した情報に、もはやパリコレなどのファッションショーが付いていけなくなって来ているのであり、こうした観点から言えば、日本のデザイナーはパリコレに出れなくなったのではなく、出なくなった、言わばこうしたファッションショーが過去のものになりつつある、と言うことではないだろうか。
そしてこうした傾向を追うように、海外ブランドが銀座に出店競争を繰り広げてきたが、「グッチ」「ジョルジオ・アルマーニ」「エルメス」などの有名ブランドが、東京都が定めた建築容積率の緩和政策などによって、その出店が容易になったことと重なり、結果としてパリコレから逃げていった日本のマーケットを、追う形となったことは面白い傾向だった。

つまりファッションの最前線が望んだものは実は流通の改革だったのであり、こうしたことが早々に起こっていたことは、流石に流行の先端と言うべきだったが、このことに気づかない日本の老舗マーケット、つまりデパートの再編成が起こるのは実に、ファッション界の傾向から少なくとも3年は経過した頃だった。

情報速度の高速化は、結果として消費者とメーカーを近づけ、そこからより品質の高いものが販売収益を上げる仕組みへと変化してきた。
また従来であれば、ある種言い方は悪いが、どうにでもすることが出来た個人消費者は、もはやどうにも出来ないほどの存在に成長したこともまた事実である。
昔は良かった・・・、そう言うことを言っている者は淘汰されるのが、最前線の世界の宿命と言うものである。

 

本文は2011年に執筆されたものを再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「主権在民」

    日本は災害多発地帯で、そんな財産も美しいものも貴重な物も、往々にして災害で灰燼に帰した。人の命も、たやすく失われた。けれども、だからこそ、生きているうちは、助け合って、分け合って、生き永らえる間に、色んな思慮が働き発達し、利己的行動は、結局は長い間はやることが出来ず、利他的行動は、自分もその恩恵に与る機会が増える事を悟って、比較的温厚な社会を作り上げてきたのであるが、そこに、米作やら、仏教やらが伝来して、社会が進展してきたのであるが、いざとなれば、率先して自己犠牲も厭わず、生きてきたのであるろう、因って、いわゆる主権在民と言う観念が余り発達しなかったし、必要も無かった、その時に出来る役割分担と言う考え方に依拠していたのかも知れない。

    勿論常にただ乗りのものは存在していた。残念ながら或る一定以上に増えると、社会そのものが崩壊するが、今までは何とか保ったが、これからはその限りでは無いかも知れない。人口の割には狭小な国土でもあるし、地に着かない、机上の教育がそれに拍車をかけているのかも知れない。

    個人の生存~国家の生存をよく考えて、政策決定をするとき、日本古来の利他的~共助をもう一度顧慮した方が良いかも知れない。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      主権在民は基本的に責任も在民だと言う事が忘れられては辛いものが有り、もともと日本に在った古代信仰なども本質は主権在民と同じであり、ここでは「神」を想定するか、或いは社会が持つ道徳観、人間性や良心、それを保証する「法」を根拠にするかの違いでしかなく、神も社会が持つ感性もどちらも決まった形を持たないし、見えもしない。
      ただ名前が違ったり、根拠が違っただけで片方を崇高にし、片方を卑下する事は出来ない。
      広く澄み渡った目でものを見ないと、自身を誤るのかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

現在コメントは受け付けていません。