「世界最初の司法判断」

1945年8月10日、長崎に原子爆弾が投下された翌日のことだが、この時まだポツダム宣言を受け入れていなかった日本政府は、アメリカの原子爆弾投下に際して次のような抗議声明を出している。
「新奇にしてかつ従来のいかなる兵器、放射物にも比し得ざる無差別性、残虐性を有する本件爆弾を使用せるは、人類文明に対する新たなる罪悪なり。全人類及び文明の名において米国政府を糾弾する」

 

占領地であらゆる暴虐の限りを尽くしてきた軍をコントロールできなかった日本政府の発言としてしては、いささか手前勝手な発言ではある。
しかし、一般的に核兵器を言葉で表現した場合、当時の日本政府の、この抗議声明はもっともな内容とも言え、1963年12月、東京地方裁判所は6年半にも及ぶ審議の末、核兵器そのものが国際法上の違反条項に当たる兵器かどうかには触れることは無かったが、広島、長崎に対する原子爆弾の使用方法が、無防備、無守備都市に対する無差別攻撃を禁止した、国際法規則に違反したものと判断した。

 

そしてまた東京地方裁判所はこのような見解も附則する。
「原子爆弾の破壊力は巨大であるが、それが当時において果たして軍事上適切な効果のあるものであるかどうか、またその必要があったかどうかは疑わしく、広島、長崎両市に対する原子爆弾の投下により、多数の市民の生命が失われ、生き残ったものでも放射線の影響により、18年後の現在においてすら、生命を脅かされている者のあることは、まことに悲しむべき現実である」

 

この判決は日本の地方裁判所の判決ではある、しかしこの判決は原子爆弾について、世界で最初に下された司法判断であり、これが日本で成された事の意義は大きい。
だがこれから更に17年後の1980年11月、鈴木善幸内閣は同じ原子爆弾の使用について、「広島市及び長崎市に対する原子爆弾の投下は、国際法違反であるとは言い切れないが、国際法の根底にある基本思想の一つたる人道主義に合致しないものであるとの意味において、国際法の精神に反するものと考えている」と述べた。

 

どことなく両論併記の感がぬぐえず、しかもなおかつ、1963年の東京地方裁判所の判決からは幾ばくかの後退感が感じられるが、こうした政府の姿勢は1993年に発足した非自民連合政権である細川内閣でも、その12月の政府見解では鈴木善幸首相と全く同じ答弁が成されたことは、まことに不可思議な話だった。
旧社会党が連立に参加していながら、自民党の鈴木善幸首相と寸分違わぬ政府見解は、明らかに官僚の原稿をそのまま棒読みしたものとしか思えなかった。

 

こうした意味から、日本政府は終戦以降少しずつ核兵器に対してアメリカへの配慮を強めていたことが伺えるが、それにしても原水爆廃絶を訴えていた、旧社会党までもが裏切った形になったことから、一般大衆の間でもこの時期、ソビエトの崩壊に見る東西冷戦の終結により、安易な平和ムードに流される傾向が存在したこととあいまって、どちらかと言えば国民の核兵器問題に対する関心は低くなって行く方向にあった。

 

だが国際的には東西冷戦構造が終結したことを受け、日本とは裏腹に核兵器廃絶運動は僅かに盛り上がりを見せ、包括的核実験禁止条約(CTBT)の締結が国連の場で協議され始めるが、結局1996年9月に国連総会で採択されたこの条約は、常任理事国とインド、パキスタン、イスラエルなど、指定された44カ国の条約批准が条約発効の条件となっていたため、批准国が34しか集まらない状態では効果を発揮できず、1999年にはアメリカ上院がこの条約批准を拒否、ブッシュ政権ではこの条約に強固に反対した結果、今に至ってもこの条約は効力を発揮していない。

 

また世界保健機構(WHO)が1993年、核兵器の使用は健康や環境上の観点から国際法上違反していないかについて、国際司法裁判所(JCJ)に勧告的意見を求める決議を総会で採択したことを受け、国連加盟国は1994年6月10日までに、国際司法裁判所への陳述書の提出を求められたが、これに際して日本政府、細川内閣が示したのは、1980年の鈴木善幸内閣が示した見解と全く同じで、「国際法に照らすと、現段階では核兵器の使用は違反とまで言い切れない」と言う見解をまとめようとしたのだ。

 

しかし流石にこうした話までは素通りできる道理もなく、国会では広島、長崎で原子爆弾を経験した唯一の被爆国として、そうした態度はおかしい・・・と言う、まことに正論中の正論が意見としてあがったことから、仕方なく鈴木善幸内閣原文から冒頭の文書を削除し、「核兵器の使用はその絶大な破壊力、殺傷力ゆえに人道上の精神に合致しない」と言うことだけを意見陳述とし、核の使用が国際法上違反であるか否かに付いて、見解を明らかにしなかった。
つまり唯一の被爆国である日本は核の使用についての是非をうむやむにしたのである。

 

ちなみにアメリカは、核はケースバイケースであり、核拡散防止条約など国際間の核兵器に関する取り決めがあることを理由に、核兵器は違法とは言えないとし、スウェーデンとメキシコは核兵器が国際法に違反していると結論付け、ウクライナもチェルノブイリの原発事故を受け、最終的には核兵器の使用は違反と断じた。
国連加盟国の大半はこうして賛成か反対の意見を出したのだが、唯一の被爆国の日本はこの時、「どちらでもない」と回答したことは、国際社会に措ける日本のあり様に対し、大きな疑問を世界各国に与えるものとなってしまった。

 

そしてまたこの国際司法裁判所(JCJ)の勧告だが、1996年、結果として国際司法裁判所は核兵器に付いての判断をしない、つまりこれを避けるとしたのであり、アメリカは、以後国連やその関連機関で持ち上がる殆どの軍縮関連案に反対していくが、ブッシュ大統領からオバマ大統領に変わって一転、今度はアメリカが核兵器廃絶をうたい出すのだが、その割にはアメリカ自身の核兵器数の減少幅は未だに少なく、先制攻撃の問題についてもその態度は曖昧である。

 

だがこれよりもっと不思議なのは日本の態度であり、合衆国大統領が核兵器廃絶に向かって声明を出したのだから、唯一の被爆国である日本は、もっとこうしたことを声高に国際社会に訴える義務があるにも拘らず、何等その態度を国際社会に表明していない点にある。

 

世界で唯一国の被爆国である日本は、声高に核兵器の違法性を訴え、その廃絶に尽力することが、一瞬にして融けて無くなった広島市民や、皮膚が全て剥け、痛みで苦しんで死んだ行った長崎市民達への、せめてもの追悼であろうかと思うが、こうした思いは間違っているのだろうか・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「世界最初の司法判断」

     帝国陸海軍の戦場における行為が、他国の特に支那軍やその他連合国軍の暴虐より凄惨とは思えないが、それこそ、東京司法裁判所で国際法違反と判断したって、自己満足で有っても、無いよりましな程度。鈴木善行も細川護熙も、政治家としては二流で、相手が強く出れば対案無く、引っ込むだけだし、道徳的判断は、三流以下の様に思える。

    物事は変遷するが、出来もしない事を決議して、核廃絶を達成する事は、自分にとっては、厳しい言い方が、不誠実に見える。

    核廃絶に日本が率先して取り組んで行くことは、重要であろうし、是非やって行ってほしいが、そればかりでは、法を守らない国によって運動自体も無力化されるだろうし、現核保有国の強者の地位を保全するだけだろうから、日本は、理由は何でも立つから、核兵器保有国になった方が、発言の強さにも、実際的な生き残りにも効果が有るようにも思える。
    核保有は、費用的にも甚大な負担だろうから、安価な武装ではありえないだろうから、弱小国は長期的に見れば、保有に堪えなくなってゆく可能性が高いと思われる。
    実は支那とロシアの核兵器は、相当数さび付いているのかも知れない、もしかしたらアメリカはそれを計算で知っている可能性もある。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      おかしなものですね・・・。
      自国の事になれば何も間違いは無くて、他国には厳しい戦争観、どこの軍も絶対人道的な戦争は出来ない。
      ですから他国を言う前に自国でもそう言う可能性があった事を認める事は大切です。
      私は他よりまず自分ですから、他国が残虐だったどうかはこの本文には関係が無い。
      その上でどこの国も核に関しては司法判断をしていない中で、日本がこれを行っている事実を評価したのですが、一方で昨今のナショナリズムの台頭は、どこかで基本的な部分を失っている。残念ですね。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「神の手」

    最後に頼むのはなんと言っても「神様」でしょう~~♪

    神さまより、祟り神の手に掴まれたか、という事の方が多かった気がするが、その祟り神も実はより酷い祟り神からの救済だったかもしれず、それは誰も知らない。

    安物の物語に、乗り越えられないほどの試練は、神は与えない、などとのんきな事が出てくるが、自分は全然信じていない。因、縁起、縁滅、何がどう対応するか、はその場、その後色々で決まるのであって、二度と同じことは起きない。
    因果業法~因果応報という事も有るわけじゃなく、善因善果を期待して、功徳を積む、喜捨をすることは良いことだけれど、直接に結びつくものではないだろう。

    せめて、これ以上の試練が来ませんように(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      神は常に勝利者の味方と言う事なのでしょうね・・・。
      奇跡と呼ばれるものの本質は僅かに生じた事象の歪みだったかも知れない。
      その歪みを畏れるがゆえに先に行って大きな動きになってしまう。
      ジャンヌダルクなどに鑑みると、軌跡は僅かな偶然から始まり、人の恐れがこれを完成させるもののような気がします。
      とは言え、自分にも神の助けが有ればな・・・と都合の良いことも考えてしまう。

      コメント、有り難うございました。

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