「バロック音楽の系譜」・2

そして1973年、何と突然このバロック音楽の、しかもバッハの部分を受け継いだ音楽が登場する。
それが映画「エクソシスト」のテーマ曲となった「チューブラベルズ」だが、これは楽器のことで、連想するものとしてはNHK「のど自慢」の、あの鐘を思い出すと良いだろう、形態としては同じものではないが、原理的にはあれで演奏されたものだった。
主旋律を基に対比するかそれに寄り添うか、こうしたことは究極的には同じ旋律が連続していることに行き着き、そうした意味ではこのエクソシストのテーマ曲はバッハの様式の流れに、いやそもそも音楽が行き着くとしたら、到達すべき一つの究極と言っても過言では無い境地のものであり、こうした音楽をエクソシストと言う、非常にオカルティックな映画に使う、この映画監督の感性は並みのものではない。

 

またバッハがこうして太古のリズムを持つなどは、表面的な音楽評論家では到底理解しようも無いことだが、これを知識ではなく感性で選んでいくあたりの才能、そして古代の悪魔が少女にのり移るという映画のありようとのマッチング、どれをとっても非の打ちようも無いものだった。
ここにバロックによってその片鱗が顔を現した太古のリズムは、更にそうした傾向を深めた楽曲として突然姿を現したが、こうなる背景としては、当時世界を覆っていた終末思想があり、やがて人類は滅ぶと言う漠然とした、しかもその割にはリアリティを持った感覚が、呼び寄せたものだとも考えられる。

 

そしてこうした同じ旋律が延々続き、まさに壁紙のような楽曲は、やがて1990年代に入り、ヒップホップと言う若者達の音楽の中に取り入れられるようになる。
金属的な短く綺麗なメロディが背後に鳴り続け、それを基調に言語音階でセリフとも歌詞とも判断しがたい言葉がその上に並ぶ様式は、エクソシストの様式を金箔がちりばめられた色紙の上に書かれた小さな花の絵だとすれば、彼らのそれは同じような色紙に、装飾的な文字を上から書き込んだものと言えるのかも知れない。

 

だからバロック音楽、例えばヴィヴァルディやバッハ、パーセルなどと、今のヒップホップ音楽を比べてみると面白いことが分かる。
音楽だけ聴いていると、非常に良く似ているのであるが、始めに話したように、バロックが様式としておそらく目指しただろう一つ方向が、劇の為だけでは無い音の拡大であったとしたら、バロックでは分離されていく方向にあった歌の部分が、エクソシストのテーマで究極の形を取り、そして今度、1990年代にはまた歌が重なってきている点にある。

 

大局的に見て古典音楽から始まった西洋音楽は、その音楽史的観点から見ると、400年で一回りしてきた、しかも後へ行けば行くほど早い進化を遂げ、それは結果としてまた400年前の様式に戻って行ったともいえなくは無いのである。
ただ400年前には華々しい衣装を着けた劇だったもの、それがキャップを被って少しシャイな感じの若者が、人生観を歌う形式に変わっただけのことである・・・、などと私は思っているのだが、くれぐれもご注意を、これは学説に基づいている訳ではなく、私の独断と偏見で綴った西洋音楽史である。
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「マイク・オールドフィールド」が作ったこの曲はとても美しいメロディで、私が生まれて初めて買ったレコードが、この「エクソシストのテーマ」だった。
美しい音階は何度でも繰り返し聞きたい私としてはお気に入りだったが、そうした私の姿勢に、周囲の評価は厳しかった事は言うまでも無い(笑)

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「力を力とも思わず」

    こんな極端な人は稀だろうが、その逆の人も居るだろうし、その中間には無限の多様性で存在しているのかも知れない。
    維新前後に、新興宗教が、いくつか発生して、今でもそれなりに有力な教団もあるが、手をかざすのを行うところも有るし、アクティパッド、とかで、魂の不滅を信じて「死者」を治療していた教団は、今どうなったんだろう。

    今まで、実際の例は少ないらしいが、外形は全く女で、内部は女ならず(男とも言い難いらしいが)というのが、近代では死後偶々解剖されて、分かった例があるらしいが、人類の歴史~生物の歴史には、もしかしたら、それなりに有ったのだろう。

    時の権力者は、恐れず、その力を借りて、世の福利に供するべく何かの行動をとれば良さそうなものだが、権力者は得てして、そいうものを危険視することが多いのだろう。

    パパイヤと言う、果物のような野菜のようなものがあるが、オスの樹、メスの樹、両性の樹、途中で温度などで性が変更したり、不思議な事があるようだ。亜熱帯~熱帯では簡単に、短期日で収穫できる。不思議な植物だ。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      神仏と言うのはこう言う人を言うのでしょうね。
      一体何の為に生まれてきたのかと思わずにいられませんが、こうした特別な才能の方の一生に鑑みるなら、自身がやっている事、思っていることの本当の価値は何なのだろうと言うを考えてしまいます。
      この記事は記録の為に文章に残しましたが、私の中では自画自賛できる記事の一つでした。

      コメント、有り難うございました。

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