楽如枝書「忠孝両不全」

 

「忠孝両全」と言う言葉が在る。

逸話としては紀元前500年頃の「楚」の国で既に出てくる言葉では有るが、意味としては親孝行と忠義の本質は同じものである事から、親孝行を為す者は忠義もまた全うできると解釈される。

だが、この言葉は詭弁である。

忠義と親孝行は相対する命題であり、どちらか一方を選べば片方は全うできない。

秦が崩壊して前漢が成立する過程で西楚を名乗った項羽(こうう)が、対立する劉邦(りゅうほう)側の将の母親を人質とした時、やはり忠孝両全の原則から、項羽はこの母親を丁重に扱うが、母は息子である将の邪魔になるまいとして自決する。

更に時代は下り、蜀漢成立過程の前期、劉備玄徳の初期の軍師となった徐庶(じょしょ)も魏の曹操に母親を人質として取られてしまう。

この時も曹操は忠孝両全の原則から、取り込もうとする相手の母親を丁重に扱うが、徐庶は孝行を選択し、劉備玄徳の元を離れ、魏の曹操に下ってしまう。

このように忠孝の関係は「自由」の2つの概念と同じで、個の自由と公の自由が一致しないばかりか、衝突する関係に有る事と同じ過程を持つ。

では何故古くからこの言葉がいそしまれたのかと言えば、これが中々両全しないからこそ美しく価値が有ったからである。

同様に「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」は、そのそれぞれの徳が非常に近い関係に在りながら、最も遠い関係に在るものが集められている。

それゆえ、こうした徳目は近い関係に在りながら対立する関係こそが正常と言え、これが一致する社会こそが混乱している状態と言える。

日本で忠孝両全が最も身近だった時代は太平洋戦争の時代であり、挙国一致、親を守りたかったら子供は戦え、子供を守りたかったら親は戦えの時代こそ、忠孝両全と言う本来は一致できない命題が一致してしまう時代なのである。

また現在、忠義も親孝行も失われた時代ともなると、やはりこうした現実には両方並んで存在できない命題が、本質的理解をされないが故に両全が叫ばれ、深い思慮の無い薄い表面上の概念から、一致しているように見えてしまう事になる。

忠孝は決して両全できない。

それゆえ深い葛藤と苦難を生じせしめるのであり、この葛藤と苦難が存在するからこそ価値が在るのである。

何の苦難も葛藤も伴わないものは、初めから忠義でもなく孝行でもないから、何も抵抗が無いと言える。

厳密に徳目を理解するなら「仁」と「義」は並び立たない、「孝」や「悌」には「信」の必要が初めから存在しない、「義」と「智」は相容れない、「忠」は「仁」に在れば全うできない、「礼」はあらゆる徳目の意味を制限する。

人間は「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の内、たった2つだけすらも同時に全うする事は出来ない。

だからこそこうした徳目が大切なのであり、親は子を思い、子は親を思い、上司は部下の事を思い、部下は上司の事を思う。

個人は公を思い、公は個人を尊重する。

元々対立する命題であればこそ、互いに相手を思いやる事が大切なのであり、徳目とはこうした中でしか存在できず、さらにこのような厳しい過程を得て、どちらか片方は絶対全うできない事を知って猶、なのである。

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 楽如枝書「忠孝両不全」

    我が郷里の母校は、文武両道を標榜して居ました、が・・当時ではそれが普通の様で、全校の集会で、苦情が来ているから「夜、大声で歌を歌って、街をうろつくな」と言う訓示は有ったが、事実を認めないという配慮も有るが、住民も学校も「酒を飲むな」とは言わなかった(笑い)

    勿論、学校でタバコを吸っているところが見つかって「停学」になるおっちょこちょいは居たが、中学出てすぐ働く友達の家で、食事などご馳走になれば、ちょこっとタバコを吸う人、サケを飲む人、だって居たが、家人は部屋でこっそりの場合は、お互い知らんぷり。

    不倫と言う言葉が出始めた頃は、喧しい議論があったやに記憶しているが、適当な言葉を誰も国語研究所も、勿論日頃煩い言語学者も提示できず、非難の意味は薄れて(?)一般化した。
    そもそも平安時代の貴族は、娘の子供を大切に育てたが、今で言えば、不倫擬きは普通だし、江戸時代までは大名などは、後宮が有るのが当たり前、明治以降税金を取りやすくするために、勝手に道徳まで作ろうとして、生き難くしたが、税金のない貧乏人も、そういう気が無い人以外は、住みにくくなった。

    世に忠孝の順位を付けるのは非常に困難で、普遍的な安堵感を得る決まりを作るのはほぼ不可能であるが、時に応じて人に応じて、出来る事を為すしかない。
    そういう意味では、江戸時代には南総里見八犬伝なども広く庶民に広める人がいたようが、因果応報とか善根善果と今とはまた違うが、慎みは深かったかも知れない。今のコメンテーターのような、議員のような、安物の大学教授や評論家・・キリがない(笑い)バカは食っていけなかったので、少なかったのかも知れない。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      忠孝両全は有名な言葉ですが、現実はこうした状況では相反する。
      忠義を選べば親への礼を欠き、親への孝養を尽くせば必ず忠義は守れない。
      これを簡単に言葉通りに説明する者の思量は浅い。
      難しい事に故に価値が有るのでは無いか、そう考える訳です。

      コメント、有り難うございました。

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