「聖者」・1

私は無神論者で、宗教心など全くないが、それは裏を返せば、人が信じているものは全て信じてやりたいと思うからかも知れない・・・・。
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1941年5月24日、ポーランドの「ニエポカラヌフ」修道院、この日、修道院ではドイツ軍兵士によって靴で蹴飛ばされて、そのドアが開けられたが、彼らは特段捜査令状や逮捕礼状を示すことなく、この修道院へ入り込むと、ホールで院長のマキシミリアン・コルベを出せと、あたり構わず怒鳴りつけた。
この騒ぎを階上にいて聞きつけたマキシミリアン・コルベ、彼は黙って静かに階段を下りて来ると、騒然とする周囲の者達を左手で静止するようにして床に座り込み、両手を結んで祈りを捧げた。
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だがそんなコルベ神父の姿はドイツ兵にはまどろっこしく見えたのだろう、ドイツ軍兵士の隊長は「早くしろ!」と怒鳴ると、コルベ神父の顔を横から蹴り、神父はその反動で床にうつぶせに倒れ、口が切れたのか神父の口からは赤いと思しきものが、僅かに流れているのが見えた。
神父はこうしてドイツ軍に連行されると、その身柄はすぐさま車でワルシャワの「パヴィアク」収容所へと送られた。
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1939年9月1日、電撃的作戦でポーランドに侵攻したドイツは、ソビエトとの不可侵条約によって、ポーランド侵攻が可能になったにも拘らず、1940年末にはソビエトにも侵攻を計画し始め、この時既に全ヨーロッパ相手に戦争を拡大させていたが、そうした背景から占領したポーランドでは、国内で影響力のある人物を排除して反乱分子を潰して置こうとする措置が取られ、当時発刊する月刊誌「無原罪の聖母の騎士」が100万部、「少年騎士」誌が18万部、新聞13万部を発刊していたマキシミリアン・コルベ神父もまた、ポーランドにおける影響力の大きさから、ナチスドイツに目を付けられ、こうして逮捕されることとなったのである。
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そして1941年5月28日、ワルシャワの抑留所で監禁されていたコルベ神父は、この日、かの悪名高き「アウシュヴィッツ収容所」へと送られて行った。
アウシュヴィッツの惨状は後世歴史の示す通りだが、この収容所では500万人以上が虐殺を受け、生きたまま眼球の色素研究の為に目をくりぬかれた女性や、麻酔のないまま解剖を受ける者、ガス室で最も効率良く殺されていくもの、人々は阿鼻叫喚の中で死んで行った。
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特にこの収容所で厳しかったのは重労働と寒さで、そんな中でもコルベ神父達を管理していたドイツ軍兵士は、コルベ神父のその決して人を怨んだり弱音を吐かない態度が気に食わなかったらしく、ことの他コルベ神父を目の仇にしていた。
神父はもうだいぶ前から結核を患っていて、時々吐血するほどそれは悪化していたのだが、それにも拘らずこの兵士は神父に大きな材木を担がせ、行き倒れると上から執拗に蹴りつけ、動けなくなるまでムチで叩きのめし、そのぐったりした体は雨の日に車輪が掘ったわだちの中に投げ込まれ、放置されると言う有様だった。
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だがこうした扱いを受けながらも、コルベ神父は拷問で瀕死の状態の人がいれば、その者のもとを訪れ、彼の為に祈り、また時には執拗に拷問を繰り返すドイツ軍兵士の為に、天に許しを乞うこともあった。
「神父様・・・」もう言葉はこれだけしか言えず、やせ衰え、目を開けていることすらやっとの状態で横たわる人の脇にしゃがんだ神父は、「大丈夫、あなたの生きているときに犯した罪は全て許されます、聖母マリアの下に・・・」そう言って手を結び深く頭を下げるのだった。
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また神父は唯でさえ量の少ない自分の食事を、自分より弱っている者がいると、その人に譲っていたとも言われ、食事を譲られた人は、普通なら取り合いになるほどの食事をどうして私に譲ってくれるのか、そう尋ねたが、そのときの神父の答えは「あなたが私よりおなかがすいているからです」だったと言われている。
そしてコルベ神父がアウシュヴィッツへ来てから2ヵ月後の7月、コルベ神父の収容されていた第14号舎から、一人の脱走者が出てしまった。
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このアウシュヴィッツ収容所では、例えば脱走者が出ると、他の者への見せしめのため、同じ収容舎から10人の餓死刑者が選ばれ、彼らが処刑されることになっていたが、この時同じ14号舎にいた者たちは愕然とすると共に、脱走した者を激しく呪い、嘆いた。
しかしコルベ神父はそうした彼らをなだめると、脱走した者にも祝福があらんことを祈ったのである。
「お前、次はお前だ、その次・・・」こうしてすぐにも10人の見せしめ者達が選ばれ始めたが、ここまで来ると収容所の看守達にまで、ある程度の心的影響力を持っていたコルベ神父は、この10人の中には選ばれなかった。
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しかし選ばれた10人の中で1人泣き叫ぶ男がいた。
「俺には妻も子供もいるんだ、何とかしてもう1度会いたい」その男は声を震わせて泣いていた。
だが収容所の看守の反応は冷たい、そんな光景、そんな叫びなど毎日聞いている彼らにとって、この男の声などいかほどのことでもなかった。
「早く立て、裸足になって刑場へ行くんだ」
看守は男の腕をつかんで引き立てようとした。
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                              「聖者」・2に続く
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 「聖者」1・2

    ミルグラム実験(=アイヒマン実験~効果)によれば、ヒトの心の中には、外部からみれば、とても想像できない善悪は別として、潜在力が潜んでいることが分かった。

    最近は、モラハラ・パワハラなどで、もしかしたら逆アイヒマン効果が出ているかもしれないが、無知な人道主義者や想像力にかけた性善説論者が、問題の解決を困難にしているかもしれない。

    昔、比較的東北方面に有った即身成仏も、最後は、心が乱れる事が有るのであるが、これは意思と言うより、脳の機能で宿命と言うべきもので、衆生救済の大願成就の為に、その動作は短期間で有り、直ぐ力を無くして生命の灯が消えるのであるが、そんな動作が起きても自分では排除できない様に緊縛しておくことも有ったらしい。

    自分はこう言う人が居る事は、認識できるが、身近には知り合いたくない。余りだらしない人とも知遇を得たくないけれど(笑い)。
    世界中を出張し歩いて、時差にも弱らない、下痢もしない、何でも食う、数ヵ国語を話す、見たいな人と同行するのは勘弁願いたい。

    聖人マキシミリアン・コルベが、何かのコラボか業務委託で、我が閻魔大王の前に立ったら、大王は、極楽浄土(天国)~地獄、何方行きを示すか・・業績ではなく自己への正直さなんかも加味されるようなので、ちょっと興味が有る。

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