「オルレアンの聖少女・Ⅴ」

だが1436年5月30日のことだった
突然ロレーヌ地方のメッスにとんでもない人物が現れる。
その女は何と自分をジャンヌ・ダルクと名乗ったのだ。
メッスの町は騒然となり、一目ジャンヌを見ようと多くの人が集まり、その中にはジャンヌの兄であるピエールやジャンもいたが、実際彼らはジャンヌと名乗るこの女性に会って、ジャンヌに間違いないと証言した。
.
ルーアンで処刑されたジャンヌ・ダルクは替え玉で実はジャンヌは生きていた。
しかも彼女はその同じ年の秋、ルクセンブルクのアルロンと言う町で、ロレーヌの領主ロベール・デ・ザルモアースと結婚式を挙げ、それ以後はジャンヌ・ザルモアースとして貴族社会にデビューしたと言うから2度驚きだ。
また彼女には1439年8月、オルレアンを救った功績から210万リーブルの報奨金とワインまでが贈られてもいる。
.
更にここまで来るとどうかとは思うが、彼女はシャルル7世とも謁見し、シャルル7世も彼女をジャンヌだと認めたと言う。
しかしどうした訳か1440年にはこのジャンヌは王室裁判所に出頭させられた経緯があって、そのとき何の理由で出頭させらたのかは分からないが、特に制裁があったわけでも無く、それ以後ふっつりと姿を消してしまう。
それから2年後、裁判所は彼女はジャンヌの偽者だったと認定した宣言を出すが、それでくだんの偽ジャンヌが捕まったと言う記録もなければ、ましてや捕まえようとした努力も見られない、まことに不思議なことになっているのである。
.
こうしたことから考えられることは、やはりシャルル7世の母親イザボードの隠し子がジャンヌで、異端裁判の時、シャルル7世から極秘に頼まれたジャン・ル・メイトスが、ジャンヌを火刑寸前に偽者とすりかえた可能性であるが、果たして幾ら英雄や王の妹のためとは言え、身代わりになって火刑になる女がいるものだろうか。
またよしんばいたとしても、ジャンヌにしか知りえぬことや、火刑時のジャンヌのあり様を見ても、替え玉説は難しい。
.
ここで冷静に考えられることはジャンヌの2人の兄であり、結局ジャンヌが生きていて領主と結婚し、得をするのは誰であろうかと言うことだ。
彼ら2人の兄は女が偽者であることを知りながら、金ほしさに偽証した可能性の方を高く見るべきだろう。
またシャルル7世もそうだが、生きていて得をすればそれを使うことを考えた。
即ちイングランドに対する圧力としてこの偽者を使った可能性の方を考えるべきだと思う。
.
真実は分からないが、少なくとも私はジャンヌが火刑を免れて、それから後も生き続けたようには思えない。
それよりむしろ、この話はイエスキリストの復活をジャンヌに当てはめたものかも知れない、その可能性の方が高いように思う。
イエス・キリストもはりつけの刑に処せられたが、その後復活して人々の前に姿を現した、ジャンヌに対してもこうしたことを望む貴族や大衆の思いがあったのかも知れず、そうした思いの集積が一人の女に神の啓示として表れ、そこで彼女はジャンヌを名乗った・・・、こう考える方が良いのではないか、などと思うのである。
.
男装のうら若き乙女が旗をたなびかせ、馬で疾走する姿を見れば、おそらく私も彼女の後を付いて行こうと思うに違いない。
その先に何が見えるか確かめたい、きっとそう思うに違いない。
ジャンヌ・ダルクはそうした人々の夢の中に、今も生き続けているのではないだろうか・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。