第一章「真夜中のアート」

不思議なことと言うのは、実のところ常に肯定より否定の方が容易い。
それは何故か、世の中に起こる不思議なことと言うのは、いつも起こる通常の範囲の出来事よりはその発生回数が少ないためで、尚かつ不思議とされた現象の中で、たった1つだけそうでは無いものが混じった瞬間から、それは全てが否定されていく運命にあるものだからである。
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大阪高槻市にあった時計店で起こった事件では、いつもショーウィンドウに飾られていたフランス人形があり、これは1分間に数回手を広げて、外に向かって挨拶する仕組みの電動式人形だったが、たまたまこの店の主人の奥さんが亡くなり、それで店を数日間閉めていたとき、この時当然この人形の電源も抜かれていたのだが、小さな出窓形式のショーウィンドウは、シャッターが下りない形式だったことから、内側からは見えないが、外からは通行人たちにこの人形が良く見えていて、しかも人形はこの店が休んでいる間も、通行人たちに向かって手を広げ、お辞儀をを続けていたのである。
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そして勿論店の中からは見えないし、外から見ている通行人にはいつもの景色であり、誰も何等不思議だとは思わなかったが、偶然にも近所のAさんが店主の所へ訪れたときこの話が出て、それでそんな馬鹿なと言うことから、店主が確認に行った瞬間から人形は動かなくなった。
だが、この人形が電源を抜かれてから数日間、間違いなく動いていたと証言する人は10人や20人ではなかった。
毎日当たり前のように存在する常識に近い現実の中にも、その隙間を縫ってこうした不可思議なことは起こっているのであり、ここに私達が見ているもの全てに物理的説明が付けられると言う保障は、どの瞬間でも確定されてはいないものなのである。
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またイギリスで1970年代から頻発したミステリーサークル、これは麦畑一面に麦の茎が倒された状態の部分が作られ、立ったままの麦との落差から、一面に大きな幾何学模様が浮かび上がる不思議な現象だが、これがイギリス全土で多数発生し、当初これは宇宙人の仕業ではないかと騒がれた。
しかしその現実は売れない画家ダグ・バウアー(故人)と、彼の親友で画商のデヴィッド・コーリーが、自分達の仕業であると1991年9月9日「トゥディ」で告白し、彼らが夜の間に自然をキャンバスとしたことは、衝撃的ながらも、上質なセンスのジョークとしてイギリス社会に容認された。
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まあ、これはこれで良いだろう。
老いた画家とそれを思う画商の心温まる話で、上質なジョークとして社会が認めたことも、それはそれで賞賛すべきことだが、このミステリーサークルはその殆どが夜に発生していて、こうした意味からもダグとデヴィッドの証言は信憑性はあるが、その一方で夜間継続して撮影可能なビデオカメラを設置して撮影された映像には、畑の上を白い小さな球が移動し、その瞬間からミステリーサークルが出現するケースがあり、これは数百メートルにも及ぶ畑で、2人で板を使って麦を踏んで仕上げられたとするには、到底説明が付かないスピードだった。
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数百メールに及ぶ幾何学模様が、僅か1分で出現してくるケースが混じっていたのであり、これは物理的に考えればまず不可能なことが分るが、ダグとデヴィッドが証言して以降、全ての現象は彼らの仕業とされ、それ以上誰もこの現象を不思議とは思わなくなった。
だが実際はどうかと言うと、彼らがもう告白してしまい、それから以後この夜のアーティスト活動を辞めてからも、ミステリーサークルは出現していたのであり、それでも大衆は彼らの仕業と思っていたのである。
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この背景にはミステリーサークルが出現すると、そこへ大勢の見物客が押し寄せ、彼らから入場料を取るだけでも、麦で得られる収入を遥かに超える収入が得られたためで、農家はミステリーサークルを歓迎していたからである。
それ故、ダグとデヴィッドは農家から好意的に見られていて、本当は彼らは何もしておらず、まさしくミステリーサークルだったものまで、彼らを好意的に見ていた大衆によって、彼らのアート活動と看做されて行ったからである。
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そして、やがて画家のダグは死亡するのだが、それでもミステリーサークルは、数こそ減っても出現していた。
これに関しては勿論、ダグ達の真似をする者の存在もあっただろう。
しかしこの現象に関しては、100回存在した内の90回はダグ達の仕業として、その残りの8回までは彼らを模倣したものだったとしよう、でも確実に100回現れたうちの2回の現象については、どうしても物理的な説明が付かないものが混じっている。
そして人々は希望的観測で、物理的に説明のつくダグ達のいたずらで全てを解決したとしているが、これは非現実的事実を認めない現実逃避と言えるものではないだろうか。
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                                                 「第二章・2%の可能性」へ続く
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 第一章「真夜中のアート」
    第二章「2%の可能性」

    ナス科の野菜:
    ナス~トマト、大好物、ジャガイモ~ピーマンも料理法に寄っちゃ好物、クコはリキュールの好適種、シシトウ~トウガラシはそれなりに、ヨーロッパには、トマトもジャガイモも無かったのだから、当時、飢饉~戦争が絶えなかったのは、しょうがない気もするが、しょせんは独占欲~~♪
     ナス科にトウモロコシも加わって、食料は豊富になったが、礼節は未だ知らず~~♪

    ナスカの地上絵:
    余りに大きくて、地上からだけでは絵が見えないから、宇宙へのメッセージだとか、宇宙人の介在が有ったとか・・
    自分の知識から映じた物の見方で、逆から言えば当時の人はバカで、そんな事が出来る訳は無い~一方自分は賢い(笑い)などと言う話は分かり易いが・・全然信じていない。
    今から2000年~1500年前ぐらい前の人が描いたらしいが、PCもトランジットも無かったが、頭の良さ・悪さは現代人と多分同じ、雑念が無いだけ、賢かったかも知れない。
    生きる最低限の食料が有れば、良しとして、暇つぶしに地上に落書きをして遊んでいた。それより2000年も前のエジプト人が、ピラミッドを建てて居た事を思えば、容易な話だっただろう。時間だってたっぷりあるし、特段の道具も要らない。
    頭の悪い学者や野党政治家が、一点を捉えて、他を批判するのも同じで、ものは辺に寄らずに、総合的に見れば、自ずと知れるものでも、見えない事が多いが、そういう連中を教化するのは、釈尊の時代から最大の困難事だったらしい~~♪

    ついでながら、縄文時代の例の実用的とも思えない派手な火炎土器が、その地に無いはずなのが、偶に出土するのも、数寄者が、自作を携えて、遠くまで持っていって、自慢して暫く滞在して、色々雑談したのだろうと、自分は思っている~~♪

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