第一章「例え頭を撃てなくても」

作家の曽野綾子女史が新聞の談話でパレスチナのことを語ったことがあり、その際女史はパレスチナの女性教師の話をしているが、その女性教師は外で絵を描く子供たちの近くで、自動小銃を構えながら警戒していた。
そこへ通訳と女史、そしてカメラマンにアメリカ人の女性ジャーナリストの4人が近づき、女性教師に話しかける。
「いつもそうして武装しているのか」
通訳がそう訪ねると、その若い女性教師は「そうだ」と答える。
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これに対してアメリカ人の女性ジャーナリストは「なぜ、話し合いで解決できないのか」と訪ねるが、それに対して女性教師の答えは「何を話し合う」だった。
またこの時、事前に金髪をなびかせてパレスチナを歩くのは危険だと言うことから、黒いスカーフを被っていた女性ジャーナリストだったが、ほんの僅かそのスカーフから前髪が見え、それが金髪だったことを目に留めたパレスチナの女性教師は、女性ジャーナリストに「お前はアメリカ人か」と尋ね、それに対してジャーナリストが「そうだ」と答えると、その女性教師の顔は一挙に険悪なっていった。
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「アメリカは敵だ・・・」
女性教師は身構えたが、これに憤慨したアメリカ人ジャーナリストを遮ったのは通訳だった。
だがこの通訳の静止を更に曽野綾子女史が抑えると、女史はここで「中東和平のために世界で一番沢山のお金を使っているのはアメリカであり、次は日本だ、それでもあなたはアメリカを理解しようとしないのか」と少し強い口調で女性教師に話しかけた。
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だがこの言葉はパレスチナの女性教師には何を言っているのかが分らない、そこで女性教師は、曽野の言葉を訳して良いものか困惑する通訳に、女史が何を言っているのか聞き出そうと詰め寄り、それに対して通訳が一言二言女性教師に何か話すと、次の瞬間通訳は「逃げろ!」と英語で叫び、また女性教師も何かを周囲に叫んだのだった。
女史やカメラマン達は慌ててその場から走り去り、少し離れたところに待機していた車に乗り込むと、早々にその場を後にした。
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そして走る車の中、女史は通訳に、あの女性教師が何を叫んだのかを聞いて思わず唾を飲み込む。
「こいつらはアメリカ人だ、この女を犯してやれ」
あの若い女性教師は、そう叫んでいたのだった。
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実は私もかなり以前のことになるが、肉体労働アルバイトで、パレスチナ取材に同行した際、この曽野綾子女史と似たような場面に遭遇したことがある。
ただここまで緊迫したものではなかったが、それでも私達もやはり中年の女性が同じように子供たちを守るため、自動小銃で武装している場面を取材し、その時はイスラエルが攻めてくるときは戦車だが、その際自動小銃だけで対抗できるのかと尋ねたら、その女性は、「いきなり攻めてこられたら勝てないが、その時は必ず仕返ししてやる、例え頭を撃てなくても足でも手でも良い、必ず我々の痛みをその体に刻んでやる」
と話していたものだ。
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かの地で平和を説く者は「敵」であり、「罪」だ、そう私は思った。
血を見ない者は血の重さが分らない、空爆で瓦礫の下になった我が子や夫、手がちぎれ、内臓が露出したその死骸を呆然と見つめるだけの光景を知っている母親や女たちの心には、平和と言う言葉は余りにも虚しい。
プラスチック爆弾を大量に体に巻いて、イスラエルで自爆して行った10代の女性が、一体どう言う境遇で育ち、どんなことを考えてそのスイッチを押したか、それが日本人に分ると思うか、不可能だ・・・。
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1948年、イギリスによるパレスチナの委任統治が終了したおり、イギリスはそれをパレスチナ人に返せば良いものを、19世紀末から高まっていたユダヤ民族国家建設の機運、これをシオニズムと言うが、これに配慮して、パレスチナの地をユダヤ民族とパレスチナ民族に分割して与える案を立て、これによってパレスチナにユダヤ国家、即ちイスラエルが建国されたが、周辺の地域はもちろん、パレスチナはこれに猛反発し武力闘争が発生した。
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それゆえ、この武力闘争は一時的には収まっても、祖国を奪われたパレスチナと、イスラエルの間での激しい闘争の火は消える事がなく、またパレスチナと同じイスラム教である周辺地域の国家も、この地にユダヤ思想のイスラエルが存在する事に激しく抵抗していくが、こうしたあり様をアメリカを初めとする欧米諸国は容認し、イスラエル支持の立場となり、ここに欧米とイスラエル対パレスチナとアラブ諸国の構造が発生するが、後に石油の利権からアラブ諸国との関係を構築したアメリカは、イスラエルとアラブ諸国やパレスチナの調停国として君臨する事になる。
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しかし世界の資本を握るユダヤは、アメリカ社会や政治の世界でも強い影響力を発揮し、結果としてアメリカの調停はイスラエルの執事のような有様で、パレスチナはこうした軍事大国の前で領土を失う危機に晒されながら、先の見えないパルチザン的闘争を続けてきたのである。
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                                                    第二章「正義の基準」へ続く
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 第一章「例え頭を打てなくても」
    第二章「正義の基準」

    アイボア・ジェニングスという憲法学者の言葉があり「国際法の裏付けは軍事力という力だ。憲法の裏付けは、総選挙において示された輿論だ」と、言っているが、然りと思っている、航路の商船の安全を担保するのは、国連憲章などの紙切れではなく、遊弋するその国の艦隊である。

    日本の憲法9条を守って、日本の平和を維持して行くと言う学者~政治家などと政治討論会で弱小野党が、自分たちの(笑い)調査結果を世論として、圧倒的多数の与党の総裁である首相に退陣を迫る、なんて全く愚劣である。

    日本にいないで、パレスチナ~ウクライナ~チベット~新彊ウイグルに行ってそれぞれ占領軍に不当~不法だと叫べばよい(笑い)

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