第二章「青い海と赤い海」

だがこうした国際競争力の低下は何も中小企業だけではなく、実は家電、電化製品でもその傾向が始まってきている。
日本の家電産業は現在、韓国の「サムスン」に蹴散らされようとしているが、この背景に潜むものは「ブルーオーシャン」戦略と言うものであり、ここでは例えば10億円の市場があって、それに相反する形で1億円の市場があるなら、この1億円の市場では競争をしないことがまず1つ。
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またこうした有りように付帯して、同一市場で同質製品の販売競争をすれば、それは販売価格競争にしかならず、ここでは競争に全資本を費やす事になるが、この現象は「レッド・オーシャン」と呼ばれ、現在の日本企業の実態だが、これを避けて、異質の市場空間を開発して行こうと言うのが「ブルー・オーシャン」の考え方だ。
つまりこの戦略は世界市場のなかで、最も競合する部分の少ないところに向けた商品開発と、膨大なブランドイメージを戦略として持っていて、考え方としては日本製品と中国製品の中間を狙い、そこから得た利益の10%近くを宣伝広告費に当て、市場認知度を高める方法だ。
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日本製品は優秀だが高くて数は売れない、中国製品は安いが、未だにそのクォリティには疑問が残る、だったらその中間の価格と、日本では認められなくても、他の海外ではそれを認めてもらえる程度までのクォリティを供えさせれば、日本製品よりは価格が安くて、しかも中国製品よりは高い信頼度がある、なおかつ世界中でコマーシャルされている安心感がある、と言う価値を構築できるのではないか、これを実現したものなのである。
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その結果がどうなったかと言うと、現在世界中を駆け巡っている経済危機であり、こうした世界のありようは、それまで多少価格は高くても日本製をと思っていた購買層の人たちにまで、つまりは初めから当てにしていなかった日本市場にまで、製品が浸透していく事になったのであり、海外工場で現地の人たちを使って、日本国内でも消費されるクォリティを出そうと、奮闘している日本企業を僅かに抜きん出て利益を上げ、それによって世界中に広告を出してい行った「サムスン」の戦略は、まるで青海原を風に乗って、すべるように走るヨットの姿にも似たりなのである。
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またブルー・オーシャンの考え方の中には、周辺のクォリティと言うものがある。
つまりはクオリティとは細部の積み上げによるもので、その本体はそうした周辺のクォリティによっても構築できるものであり、この場合は本体にかかるクオリティのコストよりは安くなると言うものだが、これも日本では壊れたら棄てると言う経済状況の中で、修理しても使うことが定着している海外にあっては、この体勢を整えるだけでも大きなクォリティと信頼に繋がって行ったのである。
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日本経済の停滞は、確かに政府の政策のまずさにもその原因がある。
しかし日本市場が海外からどう見られているかと言えば、そこに見えるものは官民一体となった保護主義なのである。
膨大かつ複雑化した規制、それに加えて関係のないメンタルな部分にまで、過剰なクォリティを製品やサービスに要求する日本人の有り様は、まるで嫌がらせをしているのではないかと思われるほど、高いハードルになっていると言うことを日本人は知っておく必要が有り、こうした日本人の傾向が、日本経済の足を引っ張っている事も考えておく必要があるだろう。
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そして日本経済、日本の企業戦略だが、日本の企業は基本的にはコストの面で海外への大きな展開は望めない。
この事から大企業を除けば、レッド・オーシャンの中で価格競争を続けながら、価格以外の魅力で顧客を増やし、価格競争を脱却していくしか道はない。
価格の安さ、即ち通貨の価値は誰にとっても同じである事から、いわば値段を安くして得た顧客は、何れそれより安い価格をつけたほかの企業によって奪われる。
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従って価格以外のクォリティ、例えば容器のデザインや質感、見た目の綺麗さや苦情に対する対応もそうだろう。
またサービスやその接客態度、時間対応などでの個別化もそうに違いない。
朝9時から開店して、夕方5時に店を閉めていては、この忙しい日本社会で、それを買いに来る客としては、休日か仕事を休むしかその店へ行く事が出来ない。
土日営業の平日休み、しかも店は午後3時ごろから開店し、夜11時まで営業すれば、それだけで客は増えるのではないか。
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日本の成熟社会では基本的には価格競争はいつまでも続かない、また高齢化社会では高額商品の売り上げも伸びない。
こうした中、日本企業がグローバル経済の中で闘って行くなら、その方法は「非価格競争」、つまり価格以外のもので差別化をはかる方法しかないように私は思う。
またこれから先政府や行政がやらなければならない事として、先頃、ある朝市の関係者から聞いた話だが、野菜を洗ったその水の水質検査票まで添付しなければ、朝市で野菜を売る事が出来ないと言うような有り様は、止めたほうが良い。
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我々消費者もそこまで求めない方が良いだろう。
少しは作る側のことも考えないと、日本の企業や農業は、消費者によって潰されていくことになりかねない・・・。
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※ 本文は2010年6月13日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 「2つの拡大」

    日本車に乗っている国にの人々は、日本以外は、一生涯自分で悪い所を特定して、出来ない場合はでも一緒だが、近所の腕のいい自動車整備工の所に持って行って修理してもらう。
    何年~何万キロで、新車に乗り換えたりはしない。ただ一部の国では、それを奥さんやご亭主に適用している場合もある(笑い)

    洗濯機にしろ、電子レンジやトースターにしろ、電子スイッチが故障すれば、その家電本来の機能は十全にもかかわらず、使用不能に陥る。全体が比較相対で安価なので、輸送や検査修理で本体価格を超えて、1か所だけ不具合なのにCTL(推定全損)で資源の無駄遣い、経済が回って、良いのだ、と言うオオバ〇者が居るが、それは、賞味期限が、10分過ぎて、充分食べられるオニギリを廃棄して、資源の無駄遣いをしそれが有れば飢餓から脱する人々への顧慮が掛けているのと同じだ。
    今、又再評価されている、二宮金次郎~渋沢栄一の道徳経済論などを熟読玩味したら宜しかろうと思うが、孫正○とか三木谷浩〇とかには、言っても分からないだろうけれど、釈尊の時代から、言っても分からない人には、言っても無駄だ、と言って居る様だ~~♪

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