「赤い太陽」

「おお、主よ、哀れなる者、愚かな者、私達をお救いください。その大いなる慈悲のおぼしめしを持って、我らが罪をお許しください・・・」
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1783年6月、イギリスはマンチェスターでのことだ、その日、前日夕方から夕日の色が異様に赤かったことを気にしていたサミュエル神父は、いつもならたった1つしかない寝室の窓からでも、光り輝くような朝日が入り込み、その眩しさで目が醒めるはずにも拘らず、今朝に限って何故か悪い予感がし、慌てて窓辺に近寄ったが、そこから見える光景の、あまりの異様さに思わずかしずき、こうして両手を組んで祈りを捧げはじめた。
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またこちらはフランスはシェルブール、この静かな町にも、この翌日大事件が起こっていた。
人々は皆家の外に出て、その余りにも絶望的な光景にただ呆然と見入るだけだった。
「この世の終わりが来るのかも知れん」
「いや、違うこれは神の警告だ、余りにも乱れた世を、神は怒っておいでなのだ」
「これから一体何が起こるんだ」
人々はそれぞれに近くにいる者たちと顔を合わせ、その顔の表情からいくばくかの救いの言葉、若しくは誰もが納得できる説明を求めていたが、そうした希望を叶える言葉はどこからも出てくることはなく、むしろ悲嘆にくれるため息だけが、あちこちから聞こえてくるだけだった。
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そして人々がみなで指差すその先には、何と暗い曇り空に血のように赤い太陽が昇っていたのである。
またこうして空を覆う暗い霧のようなものは、妙な話だがどこかで湿度が感じられず、空気を吸い込むと、喉が乾いたようになり咳き込むようにもなったことから、少なくともこれは霧で、しかも「乾いた黒い霧」と呼ばれたものの、その原因が何によるものかは分らなかった。
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そしてこれはドイツの記録だが、こうした黒い霧が出始めて二週間ぐらいたったある日、エムス川沿いの木々の葉が一晩で枯れてしまい、イギリスでも草木は全てしおれ、まるで火で焼かれたようにその葉は枯れてしまったが、同じような事はフランス、イタリア、ハンガリー、オランダ、ルーマニアでも起こり、スカンジナヴィアやスロバキア、シリア、ロシア、中国西部地区、ポルトガルやニュージーランドでも起こったのである。
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だがこれらの国々では一体何が原因でこうしたことが起こるのか、皆目見当も付かなかったが、この現象の原因を知っていたのはアイスランドの人達だった。
アイスランド南部、シザ地区の住人は1783年6月8日には、同地区で昔から時々噴煙を上げる「ラキの亀裂」から、その時はいつもとは比べ物にならないほどの、黒い噴煙が上がっていることを確認し、それを観測していた。
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それによると、その黒い霧は北から広がってくるのが目撃されていて、空は瞬く間に暗くなり、あたりは一瞬にして夕闇が迫ったようになった。
地面は時折小刻みに、また大きく揺れ、そこからはまるで大地の下に滝が流れているかのような音が聞こえたとしている。
そしてここからはスティングリムソンと言う人の記録だが、彼は8ヶ月に渡り継続してこの火山噴火を観測していて、この噴煙が上がって1週間後には、「スカフタ峡谷から恐ろしい火の流れが押し寄せ、行く手にあるもの全てを呑み込んだ」と記録している。
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このことからスティングリムソンの言う「恐ろしい火の流れ」とは、まさしく溶岩の噴出だった事がうかがい知れるが、これとは別の記録では、その溶岩が噴出する光景は、夜になると大小無数の稲妻がとぐろを巻くように光っていたと言うことが記録されている事から、後世火山噴火には雷の発生があるとの伝説は、ここから生まれたのかも知れないが、このことが実際に確かめられたのは1985年11月13日に発生した、コロンビアのネバド・デル・ルイス火山噴火の際に記録された映像によるものだった。
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大陸洪水玄武岩噴火、正式にはこう呼ばれるこのラキの亀裂噴火、だがこの1783年の噴火はおそらく1000年に1度、有るか無いかの大規模なもので、地殻の27kmに及ぶ亀裂から15立方キロの溶岩が放出され、その溶岩噴火は数百メートルの高さに達していたと推定されているが、この亀裂から80km離れた地域にまで溶岩が押し寄せ、実に590平方キロが溶岩に覆われると言う凄まじいものだった。
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こうしたことからアイスランドでは、噴火に伴い、地面に降った火山灰や有毒化学物質の影響で、1784年にかけて牛の50%、馬や羊は80%が死滅し、これによって発生した飢饉によって、全アイスランド人口の20%が死亡したと推定されているばかりか、1783年の北半球では長いところで、4ヶ月にもわたって太陽の光が厚い雲によって遮られ、その間ずっと赤い太陽が現れていたのである。
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またこの噴火によって、ラキの亀裂から放出された二酸化硫黄は推定で1億3000万トン、これが空気中の水蒸気と反応し発生した、酸性の有害物質の総量は2億トンにも及び、この有害物質が1783年の夏には風に乗って遥か彼方まで達した結果起こったのが、各地で発生した草木の枯渇だったのであり、イギリスやフランスの人たちは過去にこうした経験がなく、それが何かすらも理解できないまま、この噴煙を「黒い霧」「煙のような霧」としか表現できなかったことからも分るように、何も知らず呼吸によって吸い込み、呼吸疾患、頭痛、ただれ目、赤痢などの疾病にかかって行った。
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そしてこの有毒物質は、基本的には硫酸を含有する二酸化硫黄である事から、こうした物質が長い期間厚い雲となって存在した経緯がもたらすものは、甚大な人に対する被害だった。
イギリスやフランスでは若年層にまで死者が発生し、この期間の1年間で、ヨーロッパでは数万人の人が命を失ったのではないかと言われている。
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更にこのようにして、汚染された大気が長い期間太陽光を遮断した結果発生してきたのは気温の低下であり、こちらも推定で1783年から1784年にかけてのヨーロッパの気温は、18世紀後半の平年気温より2度以上低かったのではないかと思われ、アイスランドではそれが5度低かったと推定されるが、北アメリカでは1783年から1784年にかけて、冬の寒さは異常なものがあり、浮氷がミシシッピー川を流れくだり、メキシコ湾に達したとまで記録されている。
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同時にアラスカでもこの1783年の夏はこの400年間で最も寒かった事が、樹木の年輪でも確認されているが、この時の噴火で、アラスカ北西部のイヌイットであるカウイラク族が、気温低下による飢饉で絶滅寸前になったのではないかとも言われていて、事実カウイラク族の古い伝承のなかには、「6月に暖かな気候が終わって、それからいきなり冬がやってきて人々が餓えて行った」と言う話が残っている。
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またこの1783年は日本でも浅間山が噴火し、冷夏から天明の大飢饉を引き起こしているが、フランス革命も実はこのラキの亀裂が噴火して発生した飢饉が、その引き金になっているのではないかと言われている。
2010年春、アイスランドで起こった火山噴火で飛行機の運航が止まり、「そんなことで飛行機が飛べないのか」と思った方も多いかも知れないが、火山噴火は場合によっては、全地球的な大災害を引き起こす事があることを憶えておくと良いかも知れない。
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そしてその際の注意点は「赤い太陽」と言うことになろうか・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「赤い太陽」

    熱帯のラテライトが大気に浮遊して、夕日の逆光に浮かぶ林立するヤシの黒っぽい実景を見ると、錯視による大きな太陽と共に、「ああ、思えば、遠くに来たもんだ~~♪」
    砂漠に落ちる夕日も素晴らしい。

    色んな天災も、宇宙~地球の営みの一つであり、偶々、人間に甚大な、被害を齎すことが有っても、それは神のなせる業でもなければ膺懲でもない。

    但し一旦生まれたのだから、儚い愛の為に、智慧で乗り切ってゆけば良いのだろうけれど、自己愛~家族愛~社会愛ぐらいまでぐらいなら致し方も無いが、積極的に、それ以外を排撃するかに見えて、寄っている枝を切り落とさんとするものが、後を絶たない(笑い)

  2. 「科学修飾」1・2

    エボラウイルスも、偶に地中から出現して、甚大なる被害を及ぼす。片や世界の研究者は、地中から有用な菌類その他を研究して有用な薬品を開発している。大村智先生にノーベル賞が授与されたがこれによるようだ。
    生物も非生物も、目的を持って出現するわけではなく、各種の作用として発生するのだろうが、人は結構、意図を以て作成して、人類の絶滅に寄与してしようとしているかもしれない(笑い)。

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