「まだ戦争ではない」・Ⅴ

何と翌日のアメリカ新聞各紙には、日本が提示したロシアに対する要求の全文が掲載されていて、しかもその論調には日本の条件が厳しすぎると言わんばかりの説が掲げられていたのである。
ウィッテは簡単に約束を破った訳だが、これに対して小村は金子堅太郎に連絡を取り、日露戦争の始まりから新聞に書いてもらうように依頼し、金子はこうして1年前から準備していた人脈を使って、再度日本はやむを得ずして戦争をし、また要求もその損害を考えるなら妥当なものであるとの主張を新聞各紙に掲載させ、これによって一時はロシア側に傾いていた世論は、また少しずつ日本へと傾いてくる。
小村が日露戦争開戦と同時に打っておいた工作がここで生きてきたのである。
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8月15日、いよいよ交渉は本格的な場面を迎えてくる。
ロシアは日本が日清戦争で得た権益の復活については意外に早くから認めるが、こと樺太割譲と賠償金の支払いは絶対拒否を貫き、そもそも日露戦争では日本が2、3の戦闘で勝っただけで、ロシアは負けていない。
また日本がロシアの首都サンクトペテルブルグまで陥落させたのならまだしも、これ以上の譲歩を求めるなら、ロシアはこの講和会議を決裂させて戦争を継続するとまで言い出していた。
日本は完全に足元を見られていたのだが、ここでウィッテに帰国されてしまったら万事窮すだった。
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こう着状態が続き、小村にも辛い日々となっていくが、こうなったら仕方ない、小村は金子に頼んでルーズベルトに仲介を頼むことにした。
2日後、この要請に応じたルーズベルトはロシア政府とウィッテに交渉の再開を説得する電報を打電、それから3日後、ウィッテは非公式の会見を日本側に持ちかけてくるが、ここでロシア側が持ちかけてきた譲歩案は樺太半分の割譲だった。
難しい判断ではある、しかし交渉と言うのは一つがクリアされたら、さらにそのワンランク上も粘ってみるのが鉄則、しかも樺太半分では到底日本の民衆は納得しない、小村はここで樺太半分の割譲を認める代わりに、残りの樺太半分について金銭の支払いを求めた。
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日本はこれから日露戦争に勝利したといっても、ロシアから賠償金を取らねば、国家予算の9倍と言う対外債務を背負っていかねばならなくなる。
そのことを考えれば、増税に喘ぐ民衆の気持ちとして、何らかの賠償金をロシアから取らねば納得できない事は分っている。
たとえ少なくても賠償金を・・・、小村はそう思っていた。
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この日本の回答に対してウィッテは、小村を睨みつける。
そして「分りました、本国へ報告します」とだけ答え、その通りにニコライ2世に打電するが、これに激怒したのはニコライ2世で、日本如きが何を言うか、ロシアはその領土の1インチも、金の一握りであろうと日本にくれてやる事は無い、我がロシアは敗北などしておらん・・・となってしまい、ウィッテには交渉を決裂させろと打電してきた。
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だがこの状態に窮したのは小村よりもむしろウィッテだった。
ロシアの政情不安は思いのほか大きくなりつつある、そのうえ日本はともかくアメリカの面子を潰し、それによって世論も敵に回したのではロシアの不利は目に見えている、「何とかしなければ・・・・」
8月23日、こうした状態で日露講和会議再開、ここでロシアが出してきた条件は樺太全土を割譲する代わりに、賠償金の支払いは日本が譲歩する案が提示される。
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これに対して小村は、ロシアが少しずつ折れてきている感触から、さらにもう一押ししようと、この席で賠償金の要求撤回は有り得ない、日本が求めているのは樺太半分の割譲と賠償金の支払いであり、これ以外の回答は認められない・・・、とやってしまう。
この言葉を聞いたウィッテは心の中で「やった、小村はひっかった」と思ったことだろう。
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この日も交渉を決裂させたウィッテは会議場を出ると、周囲へ交渉の経過を聞こうと集まった記者たちに対して、日本全権の小村は賠償金の要求にこだわり、平和のための交渉を決裂させようとしている、日本は金を得るために戦争をしたのではないか・・・、と言う談話を発表し、翌日の新聞には「日本は金のために交渉を決裂させ、戦争を継続しようとしている」の見出しが躍っていた。
これでせっかく日本に集まりかけていたアメリカ世論は、またしても日本に対して逆風になり、こうしたことに懸念したルーズベルトも小村に対して、賠償金の要求は撤回した方が良いのではないかと言う、譲歩を提案してくるのだった。
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もはやこれまでだった。
敗北か・・・・、日本へのアメリカの協力を分断させ、さらに国際的な批難は日本が浴びた上で、交渉は決裂か・・・、小村は天を仰いだ。
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8月26日、こうして日本非難が増す中で講和交渉は再開、ここで小村は仕方なく賠償金の請求を諦め、樺太割譲だけでもと言う思いで交渉に臨んだが、小村がそうしたように、やはり相手が引けばその分突っ込んでみるのが交渉の原則は、今度はウィッテの手の中にあり、ウィッテはアメリカ世論を味方につけた勢いで「我がロシアは日本への領土割譲、賠償金の支払い、その一切について応じられらない」、つまりはニコライ2世の言葉どおりの交渉に持ち込んだのである。
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この日交渉を終えた小村は日本政府にこう打電している。
「談判は断絶するほか、もはや取るべき途之なし」
だがこの前日8月25日、アメリカ大統領ルーズベルトは、実はロシア皇帝の元へアメリカの駐ロシア公使を送り込んでいて、非公式な交渉をしていた。
その内容は日本が賠償金の要求を放棄する代わりに、ロシアが樺太の南半分を日本に割譲すると言うものだったが、ロシア皇帝は、30年前にロシアの領土になった辺境の地であるが故に、その南部を日本に割譲することは不可能ではない・・・として、事実上樺太半分の割譲を認めていたのだった。
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                        「まだ戦争ではない・Ⅵ」へ続く
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。