第一章「第二の人口転換」

国連統計によれば、2006年の段階で世界人口は65億4000万人、2000年度の統計から比べると4億5400万人増となっているが、この人口増加の95%は途上国で占められている。
現在の人口分布は、先進国地域が12億1400万人、途上国地域では53億2600万人で、途上国地域の人口が世界全人口の81%となっており、これが50年後にどう推移するかと言えば、世界人口は90億7600万人、その内途上国地域での人口が78億4000万に上ると予想された。
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しかし現実にはその後2006年から現在までの人口増加推移を見てみると、それ程の上昇が無く、むしろ先進国地域だけではなく途上国地域でも人口が増えていない。
世界65カ国、人口にして28億人の地域、全世界の43%の地域で人口の減少が始まっていて、その一方で2005年には、世界人口に占める65歳以上の高齢者人口が4億7600万人だったものが、50年後には16億人にまで増加するのではないかと言う予測が為され、これによって50年後の世界人口動態も、90億人から81億人にまでしか増加しないだろうと言う、下方修正が為された。
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また世界的な傾向で起こってきている「人口疲労」、これは平均寿命の下降を指すが、世界的にこれ以上平均寿命の伸長が望めない状況が発生してきている。
これはいわゆる人類としての限界点が「現在」にあることを指していて、これ以後は少しずつ人類の平均寿命が下がってくることを意味しているが、同時にこうした傾向を大局的に見れば、世界経済が少しずつ波を持ちながらも衰退し始めていることを示し、また事実上、紛争地域や戦争地域の拡大が存在していることを現している。
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更に各国の「合計特殊出生率」、つまり1人の女性がその生涯を通して平均何人の子供を産むかの比率を見てみると、この比較では東アジア儒教文化圏での出生率はまことに深刻なものとなっている。
国連の統計と同じ2005年では、韓国1・08、台湾1・12、シンガポール1・24、香港0・97と、何れもこの時点での日本の合計特殊出生率1・25すら下回っている。
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そして人口が減っていくか増えていくかのボーダーラインを数値化したもの、これを「人口置き換え水準」と言うが、これはつまり1人の男と1人の女が結婚した場合、子供が2人できれば人口の増減はゼロになるが、この子供数の全国平均が2人を下回ると人口が減少していくことを言い、実際には日本に措ける男女の出生比率は僅かに男が多く、そのため正確な数字ではないが、現実には1組の夫婦で2・08人の子供がいないと人口は減少していく。
死亡率の水準によっても変動するこの数値では、平均寿命が上がってきている先進諸国では2・1前後、途上国地域では2・3くらいになっている。
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即ち「人口の置き換え水準は」この数値の一定ラインを下回ると、先進国でも途上国でも人口減少が始まるであろうと言う数値であり、これで言えば、日本の「人口置き換え水準」の値は2005年度で2・07となっていて、日本の人口のボーダラインである2・08を既に下回っている。
日本の人口は確実に減少に転じているのだが、その一方で例えば2009年はどうか、実は合計特殊出生率では2005年に1・25だったものが、現在は1・37に上昇しているが、これはこの時期に出産した母親の親世代の人口動態が影響していて、この時代の人口動態が他の年代の人口動態数より異常に高かったことに起因しているためであり、決して出生率が安定して上昇していく傾向を示してはいない。
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また理論的になぜ少子化が進行していくかに付いては、Dirk van de Kaa (ヴァン・デ・カー)と Ron Lestaeghe(レスタギ)の説を用いるなら、ここに「第2の人口転換」と言う考え方が発生してくる。
つまりここでは相対手に子供の価値観の低下が起こってきている事実である。
世界は近代化と共に「多く産むが、少ししか育たない時代」を脱却し「少ししか産まずに、確実に育てる時代」へと移り変わってきたが、こうした経緯から出生率が人口置き換え水準を下回り、半永久的に停滞し続ける現象へと発展していく過程が発生した。
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カーとレスタギはここであらゆる価値観の中で、崩壊して行った価値観が与える子供価値観について考えを提唱したが、即ち第1の人口転換では、多く産んで数で対抗する考え方から、少なく生んで大事に育てる人口転換が存在し、これは工業の発展による物質的豊かさに支えられたものだった。
それゆえこの時点までは子供は「神様」だったのだが、これが物質的豊かさが飽和状態を迎えた20世紀終盤、「心の豊かさ」に変質してきたところから子供の価値観に対する低下を招いたのである。
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つまりこの時代、世界は工業的発展形態から、脱工業的発展形態へと変貌を遂げたのだが、簡単に言えばそれまで物を作り、それを売って利益を得ていた仕組みが、金が金を産んだり、サービスが金になったりと言う形態が一般化してきたと言うことであり、ここでは従来の価値観が総崩れになっていった。
日本でもそれまでの「家」制度が終焉を向かえ、金さへあれば何でも実現できる社会とへと変遷し、そこから成人男女の自己実現が価値観を持つようになった。
晩婚、非婚、同棲、婚外出産、離婚と言う、従来なら正常な家族形成とは看做されない生活形態に対して寛容な社会が生まれ、またそれが価値観としても認められる社会となって行った。
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この課程で相対的に個人の自由に対して子供と言う考え方が、軽くなって行ったのは事実であり、西欧社会は過去にこうした事実を歴史的に体験してきたが、これが工業や経済の発展と共に、今後は発展途上地域にも蔓延していくことはもはや避けられず、そのことが人口減少に拍車をかけるだろうことは、誰の目にも明白となってきている。
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                                             第二章「子供の価値観の低下」へ続く
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。