「彷徨う科学者」

 20世紀冒頭、ハンガリーの首都ブタペスト、この小さな都市から世界の頭脳とも呼べる優秀な科学者が何人も輩出されたが、コンピュター原理を構築した「フォン・ノイマン」、航空力学の基礎を築いた「カルマン」量子力学へ群論の適用を果たし、ノーベル賞を受賞した「ウィグナー」など、そのそうそうたる顔ぶれには枚挙がない。
そして後世、なぜこの狭い都市にこれほどの科学者が存在し、世界へ向けて活躍できることになったのか、その原動力となるものは何だったのかを探った研究者達は意外な事実に気付く。
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この時代のブタペストの科学水準はそれ程高いものではなく、実は多くの科学者達がブタペストで学んでいたものは「数学」だったのである。
ハンガリーは歴史的にも多くの優秀な数学者を出しているが、多くの科学者達はブタペストで語学や歴史などの基礎知識と共に「数学」を学び、その数学が多くの科学者達を育んでいたのである。
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そしてこれは2007年の文部科学省科学技術研究所の調査だが、日本に措いては数学の博士号取得者が極端に少なく、国立大学の数学科教員も減少傾向にあるとされている。
あらゆる科学の基礎ともいえる「数学」、この知識の必要性はハンガリーの例を見ても明白であり、即ち数学の後退は科学全体の後退を象徴するものと言えるのではないだろうか。
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またこうした背景から拡大して考えるなら、一体日本の研究者の実態とはどう言うことになっているのだろうか、その参考となる傾向をキャリアパス、つまりは大学卒業後、研究職に就業していく人たちの経歴からみてみようか・・・。
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まず1年間に博士となる人の数、いわゆる博士号の取得者数だが、これが凡そ1万4000人前後、そしてこの内、紆余曲折はあっても何とか就職できた者は2007年度で7000人、2009年度では5400人程度だったと推定されている。
何とその就業率は2009年度では38・5%、即ち5人に2人しか就職できなかったと言うことになる。
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毎年1万4000人も博士号取得者がありながら、その実社会や研究機関はこの中から5400人しか生かすことが出来ず、その他の8600人は就業先がなく、自宅待機か、職業上の空席待ち、そうでなければ取得した博士号を生かすことが出来る研究機関への就業を諦め、全く別の分野へ就業していると言う現実がここから見えてくるのである。
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またこうした厳しい現実の背景を考えるなら、1990年から始まった大学の博士課程学生定員の拡張にも原因がある。
即ちここでは博士課程学生定員が従来の2倍以上となったにも拘らず、その卒業生を受け入れる大学の雇用枠が広がっていないこと、また長引く景気の低迷により、毎年減額されていく政府の大学に対する補助金政策などから、研究機関の雇用枠は減少の一途を辿っていること、そして博士号取得者の一般企業への就業に対する無関心、更には民間企業も大学卒業者は採用しても、博士号取得者までは必要としない事情などが重なってこの現状が存在している。
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つまりは博士号取得者は需要の2倍以上の人的デフレーションにある上に、その当事者は大学や政府系などの公的機関以外の、民間研究機関への就業を希望しない傾向があり、また民間企業も博士号取得者をどう待遇すべきかと言う問題を抱え、更にはそうした知識が企業に中でどう生かされるのかの実績がないため、民間企業側も博士号取得者の雇用に関しては躊躇していると言うことだ。
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まさに三すくみのような状態だが、こうした状態を緩和すべく文部科学省が打ち出した「第1期科学技術基本計画」では、ポスドク1万人計画による臨時雇用を作り出したが、ポスドクとは学術振興会などによる、博士課程修了者に対する一定期間の修業的な雇用を指していて、これでは修業期間終了後の雇用は確保されず、またこれに便乗した期限付き雇用が拡大してしまい、博士課程修了者の雇用は更に不安定なものとなってしまった。
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それゆえ、こうした背景を考えるなら、これはだけは避けた方が良かったとは思うが、大学教員の定年延長がはかられるに至って、ここに少子化と言う重い現実が加わった場合、これから大学教員等を目指す博士課程修了者の道は、不確定化する大学経営とあいまって、益々閉ざされたものとなっていく傾向にあり、この実情はヨーロッパでも同じ傾向となっている。
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またこのような現実と共に、もともと大学などの研究者は研究成果にこそ関心はあっても、その実用化には全く関心のないもので、もし活用されれば有用な研究でも、殆どが研究組織内で死蔵されてしまっている傾向があった。
そこで日本政府は1980年アメリカで法案が成立した「バイ・ドール法」模して、1998年に「大学等技術移転促進法」を成立させ、「技術移転機関」TLO を設置し、このTLOが大学と民間企業の橋渡しをして、大学の研究を民間で実用化して行こうと考えたが、こうした時期に「産・官・学」の提携と言う言葉がまことしやかに提唱されていった。
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だがこのTLO の活動により成立したものは余り利益を生まず、せいぜいが民間企業で知的財産保護に関する法律に通じていない企業に対して、大学がその知的財産戦略の一部を担う程度に留まり、実情はこの程度であれば弁護士や弁理士の方が大きな成果を発揮するようなものでもあった。
そして政府の大学に対する補助金の削減は、意外にもこうしたTLO にまでその影響を波及させてくる。
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即ち「産・官・学」の提携に関しては大型の補助金が用意されていた為、ここに目をつけた各大学の研究機関は、積極的にこれを推し進め、その結果が経済学部や比較人類学部の地方進出であり、ここでは学生や大学教員が地方の自称文化人達に取り入り、そして研究と称した慰安旅行のような地域研究を実施し、その地域の文化を守るとしながら破壊して行った事実が存在し、そうして高額な補助金を確保して行った経緯が発生していた。
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いわば削られた補助金を別の名目で確保しようと、血眼になって地方を食い物にする大学の研究機関が出現し、これにはユネスコ、国連大学までもが大学と一緒になって行政と癒着し、その地方の文化を破壊して行った現実も存在したが、それらはみな地方の純朴な人々のあり様を利用したものだった。
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日本と言う国は戦後65年を経て、その大部分の制度や仕組みに大きな欠陥が生じ始めている。
そしてそれは大学や研究機関にまで及び、そこでは拝金主義者の如く、金を求めて彷徨う者の姿も垣間見える様になってしまった。
ブタペストで一生懸命、数学を学んでいた科学者達に申し訳ない気がする・・・。
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本文は2010年8月13日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 確かに、現代の勿体ない三大事象~~♪
    1. 博士号を持った無職
    2. 廃棄食品
    3. 遊休耕作地
     どれもこれも、特効薬はないが、1については、取り敢えず大学院へ行って、博士号を取得したという話が多い気もする。学部で就職できずにモラトリアムを決め込んでいる内に、賞味期限切れなどと言うと炎上しそうだが、その費用が奨学金と言う名の高利貸しで、大学院を放り出された瞬間から、生活に困窮・・
    試案としては、初中等教育に現行の免許関係なく、博士の雇用推進を省令で出せばいい。
    国会の弁護士上りを見えれば分かるが、政治家の資質が欠如している場合が、相当数見受けられるが、博士にも極端な話、適応性に欠けている方が、多いのかも知れないと危惧する~~♪
    大銀行の調査部で活躍した後、親族の会社社長になって、今や倒産寸前のカグヤヒメは修士だったろうけれど、博士にも、実業に向かないのは良いとして、研究にも向かない方も多いのかも知れない、そんな時は、諦めて生活の道を得るべく努力する方が社会~本人の為にも良い事の様な気がする~~♪
    何かを遣って居れば、道は拓けることが多い~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      実に勿体無い現実ではございますが、今の日本では博士は食べられない時代と言う事です。
      こんな事をしていると基礎研究が遅れ、やがては新しい発見や技術開発が難しくなってくる訳で、あらゆる意味で没落していく日本の姿そのものと言えるのかも知れません。
      思うのですが、人類は一度清算された方が良いような気がします。
      リセットの時期を迎えているのではないかと言う気がします。
      弱き者、貧しい者、老いた者が滅んで行くのは自然の理で有り、これを社会と言う人間の仕組みは理想に近づけたは見事ですが、その反面一定層の年代の理想を守るために、若年層が犠牲になっている。

      老人支配社会な訳ですが、その上に国の借金は増える一方、経済対策も無く少子高齢化対策も全く無い。
      先は真っ黒な気がします。
      何か天変地異でも起こってくれたらと思う若年層が増えて来ているように感じるのですが・・・。

      コメント、有り難うございました。

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