「冤罪はかくて作られる」・Ⅰ

「被告人は無罪とする」

2010年9月10日、大阪地方裁判所第201号法廷、この法廷は大阪地裁で一番大きな法廷だが、ここで厚生労働省「村木厚子」元局長に対する判決が言い渡された瞬間、村木厚子氏はまったく表情を変えることなく静かに頭を下げ、それに対して傍聴席からは、夫の厚生労働省総括審議官「村木太郎」氏と25歳の長女、19歳の次女が何度も頷きながら拍手を送っていた。

この事件は旧郵政公社の障害者向け郵便物の割引制度を悪用し、全国からダイレクトメール発送代行を請負い、そこから利益を得ていた「凛の会」会長「河野克史」被告が元厚生労働省係長の「上村勉」被告から、厚生労働省が発行する「障害者福祉」団体であることを証明する書面の交付を受けていたことに端を発するが、まったく障害者向けの刊行物など飾りだけの実態しかなかった「凛の会」は、郵政公社の承認制度を悪用し、通常の郵便代金より安い料金で全国からダイレクトメール代行業務を請負い、そこで利益を得たとされるものだ。

そしてここで証明書発行を実際に行ったのは「上村勉」被告だが、事実上この書面は偽造されたもので、検察庁はこの事件について上村被告の上司である村木厚子局長の関与がなかったか、また組織ぐるみの構造だったのでは、はたまた「石井一」(いしい・はじめ」民主党参議院議員の口添えが有ったのではないかと言う、社会世論の憶測に影響を受け、村木局長の関与を疑い始める。

だがここで自分は文書偽造に関わっていた上村被告は、警察や検察の厳しい取調べの中で、検察が書いたシナリオに屈してしまったようだ。

「何もお前一人が罪を被ることはないんだぞ」

「しっかり証言してくれれば、こちらとしてもそれなりの温情も有れば、第一村木局長の指示なら、お前は仕方なくやっただけなんじゃないか、悪いようにはしない、この供述調書に判を押せ・・・」

連日続く検察の厳しい追及、その中で上村被告はついに検察の調書を認めてしまうが、その際上村被告はこうも調書メモに書き留めている。

「世に言う冤罪とはこうして作られるものなのか・・・」

かくてこの供述調書に基き、この事件は「石井一」参議院議員の口添えに配慮した厚生労働省が組織ぐるみに関与し、もしかしたらそこから見返りまで受けていたのではないと言う、極めて月並みな展開となって行ったのである。

だがこれに対して村木厚子氏は終始自分の潔白を主張し、これは一貫して変化がなかった。

私はこの村木氏を公判中も関心を持って見ていたが、彼女は立派だった。

今の日本人が一番恐れ、そして一番人を弱くするものに対して毅然と闘っている姿は、女性と言うものの強さなのかも知れないとまで思っていた。

この事件はこうして検察によって、一つの「悪」の構造の流れが出てきたが、しかし問題は大きく、村木氏が問われている罪を担保しているものは部下の上村被告の供述調書だけであり、ここでまず参議院議員の石井氏が「私はどこにも口添えなどしていない」と公言したことで、検察はあわてて村木氏の自白を得ようとしただろうが、こうした状況にも村木氏は屈しなかった。

経済用語にもある「囚人のジレンマ」とはこのようなときに出てくることだが、被疑者Aと共犯の被疑者B、この2人は完全に黙秘すれば無罪になるが、取調官によって、「自白すれば罪を軽くする、だが黙秘して被疑者A、B、のどちらかが自白した場合は、黙秘を続けたほうの罪を重くする」とした場合、Aが黙秘を続けたくてもBが自白してしまえばAの罪は重くなり、Bが黙秘を続けたくてもAが自白してしまえばBの罪は重くなることから、それぞれが恐れを抱き、この恐れに対するリスク回避の為にAもBも自白してしまうケースがあり、この場合2人とも黙秘すれば罪が問えずに無罪になるものを、所詮罪を犯している事実から、2人とも相手を信じられなくなり、相互が自白してしまうと言うことがある。

そして人間とは弱いもので、このパターンでは殆どの者が自白していくことになるが、ここでも例えば2人が共犯で、2人しか知りえない情報や事実が有ったとしても、片方が「自分はやっていない」と言えば物証が無い限り厳密には罪に問うことは難しくなる。

だからもし村木氏がこうした検察の取調べの中で、上村被告と同じ事を検察から言われても、絶対従わなかったとすれば、完全に潔白だった、若しくは自分がそれを信じて疑わないだけの根拠があると言うことなのである。

またこの場合国会議員と村木氏に絶対的な信頼関係が有り、そこで相互が口を割らないと言うことも考えられるが、厚生労働省で局長にまで登りつめている人物である、「囚人のジレンマ」に一番弱いのは国会議員であることは既に熟知していただろう事を考えても、村木氏がその信条に措いて罪を意識してないことは明白なことだった。

この点では、上司の村木氏に罪を押し付ければ、自分が罪が軽くなると説得されてしまった上村被告の人間的な弱さと、検察当局の焦り、功名心が罪無きところに罪を作り、その事件を大きくしたとも言えるのである。

この裁判は3ヶ月ほど前、既に同じ法廷に措いて事実上の無罪判決の決定が出されている。

すなわち検察が提出した上村被告の供述調書に措ける信用性は、全く無いことが決定されていたのであり、前出の「冤罪とはこうして作られるものなのか」と言う上村被告のメモの方が逆に証拠採用されていた。だから9月10日の同地裁判決はその仕上げのようなものだった。

201号法廷で「横田信之」裁判長は静かにまた響く声で、当初読み上げ時間は3時間としたその最後、9月10日午後2時、村木厚子氏に無罪を言い渡したのである。

そしてこの判決にグレーのスーツに身を包んだ村木氏は、全く表情を変えずに頭を下げたが、判決後の記者会見では笑顔の中にわずかに涙を滲ませているように見えた。

彼女の意思の強さと、そしてこれまでの戦いの厳しさがそこからは感じられた。

「冤罪はかくて作られる」Ⅱに続く

 

※ 本文は2010年9月12日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「危険な理解」

    この度は、自分の知識の偏りも有って、特に難解で有った~~♪
    ~~~
    或る程度、共通理解がある言語、例えば、英語を介して、日本人がアメリカ人とアメリカの街を歩きながら、その町の様子や歴史を説明されれば、可なり、と言っても20~30%は理解するだろう、有り得ないだろうが、全然理解していなくても、別れた後、殆ど困らなく、食事もできるし、映画も見られるし、ホテルにも帰ることが出来る。多分、特段な誤解もない。

    一方、ブッシュマンが「どこでもドア」でマサイ族の集落に迷い込んで、偶々(笑い)、客人として、家長に彼の自慢の牛の群れを見せてもらって、夕食をご馳走になって、一人用の客人用の小屋に泊めてもらえば・・・

    次の朝、ブッシュマンは、牛を一頭仕留めて、昼には干し肉にして、マサイ族に、見せて、それを振舞うであろう(笑い)

    AIがどんなに発達しても、穀物と野菜を作って、魚をとって鳥獣を飼う人が居なければ、人間は生きてゆけない。100%自動化されると、人間は発狂して生きてゆけない(笑い)、多分。

    危険な理解?

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      「危険な理解」は確かに大方の人が理解できない記事だっただろうと思います。
      この話の中には最先端の認知行動学理論が2つ含まれていて、現在ではこうしたアルゴリズムがPC理論の中にも取り入れられているのですが、原則は簡単です。
      「百聞は一見に如かず」であり、映像で見ているだけでは、それは自分を見ているだけで有って相手を見ている事にはならない。
      そして相手を判断するから、炎上するような反応をしてしまう。
      ちゃんと自分の目で見てこい、触って感触を確かめ、その者が呼吸している生き物だと言う事を感じて来い、と言う事になろうかと思います。

      コメント、有り難うございました。

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