「漆紙」

平安時代の貴重品として一番に挙げられるものは「絹」であり、これは粗食に耐えても着るものに金をかけた律令国家の伝統が花開いた結果だった。

官僚制度と言う一種「閉じた社会」の中で個性を仕事に求めるなら、それは「乱」になるゆえ、彼等の個性や権勢は着衣や装身具に求められたが、こうした流れからそこで使われる「紙」にも当然拘りが求められ、また良い紙は貴重品でもあった。

現代平安期の遺構などで発掘が行われると、そこから漆が塗られた紙の文書が出土する事が有るが、この解析は当初「文書保存」と言う見解を生んだものの、その現実は屏風や襖の文化を見れば、より正確な解析に繋がるように思える。

つまり漆が塗られた文書の重要性はその文書に在るのではなく、漆に有ると言う事になる。

文書は記録以外のものはその情報が伝われば役割が終わり、ここでは必要の無い文書等が発生するが、これらは襖や屏風などの下張りに再利用された経緯が有り、同じように当時材料として貴重だった漆の、その漆を入れた容器の蓋として必要が無くなった文書が用いられたと言う事である。

漆などの液体を保管する場合、四角い容器だと隅に残る部分が発生する為、その当初から円形かそれに近い筒状の容器が使われ、しかも漆は空気に触れると水分と温度で反応し硬化してしまう。

それゆえ表面に密着する形で紙を当てて、それに帯状の薄く削った割り竹を使って抑える方法が一般的だったが、この原理は今も同じ方法が採られている。

勿論平安期以降、油紙や蝋紙なども開発され、今に至ってはサランラップが一般化しているが、一時期輪島市の人口一人当たりのサランラップの消費量が全国一になった時期が有ったのは、漆の蓋紙(ふたがみ)として、或いは下地漆の保存材料として使われたからで、これが何故サランラップだったかと言うなら、高分子ポリマーの特殊性によって、他の同じようなラップでは漆が硬化する為だった。

サランラップだけが漆の硬化を遮断できた為だったが、平安期には勿論そんなものは無く、従って必要が無くなった文書を、やはり貴重品だった漆の蓋に使って、その上に水を張って漆の硬化、劣化を防いだのである。

これが後世遺構などで見つかると、どうしても文書などの重要性に視点が集まってしまうが、貴重なものは貴重なもので保管するのが原則と言うものだったかも知れず、一見躯体の上から紙を貼り、その上から漆を塗る「一閑張り」とは相対を為すもののように思われるのだが、一閑張りの原初も中国で紙が普及し、そこで文書が紙によって保存されるようになった頃から発生してきた経緯を見るなら、基本的に同じ思想だったのかも知れない。

そして現在紙を使った漆器製品は「一閑張り」(いっかんばり)「紙胎漆器」(したいしっき)「漆紙」(うるしがみ)が残存しているが、この中で紙に主体が求められる思想を持つものは「漆紙」であり、金沢の「竹山紙器」が10年の歳月をかけて開発した「漆紙」(しつし)などは一閑張りと平安期の漆蓋紙の中間概念に有る。

古代メソポタミアの粘度石版には、恋人達がやり取りしたラブレターのような文書が残されている。

古代の社会は今の社会とは概念が違う。

我々が重要に考えるものが彼等に取って重要だったとは言い切れず、意外にも貴重な材料が平易に使われている場合が有る。

何をして豊かと言うかは大変難しい・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

8件のコメント

  1. 30数年前、タイのデルタの小学生が、カランコロンさせながら、肩から石板石墨をぶら下げて、裸足で下校しているのを見ました。何という貧乏かと思いましたが、それを見て直ぐ後の食事は、初めて見るような生きたエビやカニを調理した、贅沢なものでした。日本でも昭和の初期までは、石板石墨が、普通に使われていたらしいですが、使った人々から聞いたことは有りません(笑い)。何を食べていたのでしょうかね、相当地味だったと思います。

    江戸時代は、日本では金と銀との交換レートは多分1:20~25ぐらいだったでしょうから、南蛮人が、銀を持ってきて、金と交換するだけで、大金持ちになり得た。環境や時代によって、価値あるものはそれなりに変遷するでしょうが・・
    十数年前に、ファミレスで、70歳代後半の老夫婦が、ご飯の半分以上を副菜も、かなりの量を残したのを見たときには、愕然としました。戦中戦後の食糧事情とは違うし、自分の稼いだお金だろうから自由でしょうけれど、共感や畏れを無くして、間違ったことが横行して、受け継がれ社会が、爛れてゆくのを見た気がしました(笑い)
    この間、或る宿泊施設の広告で、小食の人のための献立が有ります、ってのを見てその内行きたいなあと、元気な人は沢山食べることが多いですが、世の中に元気な人ばかりが居る訳じゃない(笑い)。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      石板石筆は大変素晴らしい・・・。
      何よりも消せて何度も使えると言う事が良いですね。今流行りのエコそのものですが、現代人のエコは自分が苦労をせずに省エネとしているものが多く、それゆえにハードが重くなってしまう。我々が持つ都市の機構でもその利便性から多くの人が集まった形になり、そこから逆に暮らす為の経費が増大します。オール家電にエアコンと言う具合ですが、これが田舎になると自分が体を動かさねば生活が成り立たない。どちらが幸福かはそれぞれの考え方の問題ですが、昨日残った田の畔の草刈りをしていたら、畔に綺麗な狐のタンポポが一面群生していて、さんざん迷った挙句、狐のタンポポの群生は刈り取らずに残しました。緑一面の中に小さな黄色い花が群生している姿は美しく、これからしばらく田を見に行くのが楽しみになったかも知れません。去年までの忙しい自分ならおそらく躊躇なく雑草として草刈り機で切っていたでしょうが、これを残せるだけ自分は豊かになったのかも知れんと、そんな事を思います。
      それにしてもハシビロコウ様の知識と卓越した感性はただ者ではない感じがします。
      これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

      コメント、有り難うございました。

  2. 誉められすぎで、お恥ずかしい、浮かれて掴んだマラカスとタンバリンを手放したら木に登りそうです(笑い)。郷里にいた少年の頃のシンドウも年を経て、ただの人に成り上がりました。殺気も全然有りません(笑い)。
    人口数百万の頃の奈良朝廷から地方に派遣された、下級官吏だったら、今より冴えていたかも知れません(笑い)。

    T・asada 様の該博な知識、高い人間理解、深い洞察の記事に接して、刺激される事多く、参加させて頂いております、こちらこそ今後とも宜しくお願いいたします。
    大変ご多忙のようなので、ご自愛下さい。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      このブログと言う媒体はすでに衰退の方向に有るのかも知れませんが、私にとっては本当に素晴らしい媒体だった事を思います。
      知り合えた方は皆、本来私の身分では到底お話しをうかがう事すらできなかったであろう方々ばかりでした。
      私はどこかでこうした方々に育まれて、今日に至っているように思います。
      これからもまた稚拙な話も出てくるかも知れませんが、宜しくお願い申し上げます。
      いつの日か、酒でもご一緒させて頂ければと、そんな事を思います。

      コメント、有り難うございました。

  3. いつの日か、望んでいれば、叶う気がします。
    灯火明るく静かに、地味な肴でポツリポツリと語りながら遣るも良し、イタリア人のように、大きな身振り手振りで、表情豊かに話して、歌って(笑い)大いに盛り上がるのも良し。
    友と飲むのは、人生の喜びでありましょう。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      いつかの話ではないですが、「インシャ・アッラー」は自分が動く事もまたアッラーの御心でしたね・・・。
      ブログの世界ではオフ会などの話もたまに聞きますが、親しき者が集まって飲む酒はまた格別だろうと思います。
      アラビアではどちらかと言えばやんわり否定のインシャ・アッラーですが、私は能動的に考えたいと思っています。

      コメント、有り難うございました。

  4. そうですね。
    思い出しましたので、山上憶良とも親しかったらしい、大伴旅人の、比較的好きな歌:-

    ○ あな 醜 賢しらをすと酒飲まぬ人を よく見ば 猿に かも 似る
    ○ 験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし

    まあ、当時の酒は、今より相当度数は低く、或る意味、良い酒だったかも知れません。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      古来より酒をめでた歌は世界各地で詠まれ、しかも名歌が多い。酒を知らぬ者は人生の半分を理解し得ないと言えるかも知れません。今の世の中結婚もしなければ子供も持った事が無い男と女が増え、こうした経験が無いと生きられないわけでは無いが何か決定的なものが解っていない人間が増えてきている。あらゆる物事を経験して色んな思いをして、そこに酒や女が重なって初めて見える景色も有る。
      良い酒とはまた、良い人也・・・・。
      かも知れないですね。

      コメント、有り難うございました。

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