「独裁」

「革命」(revolution )の語源は本来「回転」を意味している。

従って古い時代の革命とは、政治的に安定し、豊かな国家や社会が形成されていたと思われる、古きよき時代の政治に回帰するための「政治改革」を指していたが、歴史的に「進歩」と言う概念が発生してくると共に、これが全く暗い過去の時代や現在の状況を完全否定し、相反する命題を掲げて、現在や過去を打破する事を概念するようになって行った。

その意味では現在における「革命」の概念とは、1789年のフランス革命以後の革命を指し、例えば1688年に起こったイギリス「名誉革命」などは確かに「革命」と呼ばれているが、そこに見られるものはイギリス人の伝統的な自由の復活を意味していて、この場合の革命とは古い概念、つまり語源に見られる「回転」と言う意味の「革命」と言える。

また日本に措ける革命の概念は、これも古くは別の概念を持っていて、天皇が革まる(あらたまる)と言う古代中国の易姓革命思想にその由来があり、ここでは人為的積極性はないが、そこに「願い」や「仕切り直し」と言う意味を持っていて、これはいわば「リセット」とも通じる概念である。

従ってこれから先に明確な政治的目標こそはないが、そこに超自然的なものに対する期待感と言うものが存在し、この意味に措いては西洋の革命とは若干異なる「革命」の概念を持っている。

そして革命の初期の段階は「破壊」から始まるが、これは社会の堕落、政治的な腐敗、衆愚政治による社会的混乱、経済的混乱などのいかなる理由もそうだが、結果として革命が起こる国家の政治体制とは「混乱」や「秩序の崩壊」、「価値観の崩壊」などによって発生してくるものであり、ここでは本来多様で常に安定していない「正義」や「平和」「自由」と言った、その純粋なものが世の中に存在してはならないものが先鋭化されてくる。

このため「革命」には大衆の多くの異なる「平和」や「正義」「自由」と言った概念が集中する「核」が必要となっていくが、ここで起こって来ることは「独裁者」の出現と言う事になる。

だが「独裁」(dictatorship )とは本来「暫定統治」の意味があり、現在我々がイメージする独裁とは、例えば北朝鮮の「金正日」や日本の「東条英機」、「ナチスドイツ」の「アドルフ・ヒトラー」などと言うことになるが、これらは独裁の概念から言えば若干違った表現が必要になるかも知れない。

すなわち「革命」でも外国との戦争、内戦の勃発でもそうだが、こうした「国家的非常事態」に措いて、通常の民主的手法の議会制度ではその手続きに時間がかかり、解決はおろか、その間に国家が滅亡する。

そのため特別に選任された独裁官に、通常の法的手続きによらず支配する権利を与え、混乱を収拾しようとする、このことが「独裁」と言うものであり、これは古代ローマの正規の統治手段なのである。

それゆえこうした「独裁」には、その目的と期限が厳しく限定されているものを言うのであり、この意味に措いては「独裁」は間違いなく一つの正しい政治体制と言うことが出来る。

しかしこうした独裁に期限が限定されず、また目的も明確でない場合、これは本当の意味での独裁を限定されながらも正規の政治手法とするなら、正当な独裁に対する不完全性、劣化性となるため、「独裁」の不完全なものは「専制」と呼ばれるのが正しく、我々が知る独裁とは、実は「専制政治」を指しているのである。

また古い概念からすれば、専制政治では一般に被支配者の消極的かつ受動的な服従が求められ、ここには国家としての「目的」が存在しない。

つまりはせいぜい君主や王の権威が守られることぐらいが重要な事でしかないが、それに対して現代と言う社会に存在する「専制」に措いては「全体主義的目的」を持っている。

従って「専制」と言う場合は目的も、期限も存在しないが、少なくとも現代社会に措いて独裁と概念されている存在は「専制」と「独裁」の中間に位置している事になる。

いかなるものでもそうだが、不完全なもの、中途半端なものとは最も危険なものだ。

そして独裁と言うと、どこかで我々は個人を想定しやすいが、確かに古代ローマの「カエサル」ソビエトの「スターリン」など独裁は個人が多く、それゆえ独裁と独裁者は同義のような印象を受けるが、これは政党や階級など、あらゆる団体もまた独裁になり得るものであり、例えば政党ならフランス革命の「ジャコバン党」ドイツの「ナチス」などがそうだが、労働者階級のプロレタリアートの独裁などの場合、これは階級による独裁と言うものだった。

さらに広義で期限の定めのない独裁を言うなら、19世紀の立法国家は立法権が行政権や司法権に優先し、ゆえにこうした国家体制は「夜警国家」とも呼ばれ、国家機能は国防と治安に限られていたが、これが20世紀なり、三権分立の民主国家が確立されると、ここでは必然的に「行政」の力が優位になって行き、ついには「行政国家」から「福祉国家」へと変貌してしてきたが、こうした経緯から国家機能は国民のあらゆる要望に応えていく形となり、国民生活の細部に至る領域に広がって行った。

そのため政治に措いては専門技能が重要となっていき、行政と言うことでは完全にアマチュアでしかない政治家の権利である「立法的政治側面」を行政が圧迫していく政治体制が出来上がる。

現在国会でも地方議会でもそうだが、法案は本来立法権者である国会議員、若しくは地方議員が提出しなければならないが、これが殆ど行政側で立案され、また政策執行に付いても行政の自由裁量が広げられている。

また政策執行の詳細を行政に委ねる「委任立法」(delegated legislstion )の増大、行政の規則や命令に従った形で立法を補完することも常識化してきている現実を鑑みるに、政治を今日的な観点から社会の調整機能とするなら、こうした政治の基本は全て行政が握っていることになり、三権分立は決して均衡が取れておらず、言わば行政が期限のない不完全な独裁をしているようなものなのである。

いや、そもそも行政には小さなそれぞれの目的はあっても国家としてのビジョンが無いことを考えるなら、現在の日本の状況は行政(官僚)による専制政治が行われていると言う表現が正しいのかも知れない。

ちなみに国家や社会が混乱し始めると、また政治が混乱し始めると、民衆は「独裁的」な存在を求めるようになる。

それは「力」や「強大な権力」への憧れであり、戦国武将ブームがそうであり、またもしかしたら「〇〇神話」もそうした民衆のささやかな願いの現われかも知れない。

だが独裁と言うものもまた、民主主義と同じで理論としては存在できるが、純粋な政治体制としては存在できないものに違いない・・・。

 

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「独裁」

    最近はマスコミでア〇独裁とか、自分が気に入らない嫌な奴を貶める言葉として定着。民主主義では、どうしようもないハトヤマ某も、首班指名されたものは、任期付きの独裁を委任されたようなものだぐらいの事を言っており、勿論大間違いではないが、その内容が国民の利益、国家の将来に資することであり、且つ方法的にも金銭的にも可能で、沈黙の承認が必要である、という視点に欠けていた~~♪

    ローマでは貴族による寡頭政治が弊害を持ち始めて護民官を承認したが、いざという時には、独裁官を立て、護民官の独自・相互の拒否権も不能にしたが・・ああ、何故か、ローマ人そのものが消滅した。

    支那では、聖王の時代が有った、と言う回帰願望で、現実や史実は蔑ろにされ、現政権のプロバガンダ専用(笑い)、朝鮮ではもう一歩進んで、有るべき願望が真実のように扱われ、それに従って外交・政治が行われる。

    本邦では、間違って居れば、神~自然の怒りを鎮めると言う事で、譲位、隠棲も有った。

    WWIIの後に反省から、平和を達成するために、平和教育が強力に押し進められたが、出てきたのは凶暴な学生だった。

    社会の有様~富~人心その他、全ては変化するが、それに従って、政治も相互に変化して行くのであろう、万能薬は無い。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      政治は調整機能ですから、確かに万能は無いのでしょうね。
      一般的に独裁は非常時、或いは権力が分散して国民側に移ってしまい混乱した時には有用に働きますが、平時には百害だと思います。
      ローマは独裁で滅びたと言うよりは女で滅びたと言うべきで、大体政治体制で滅びるケースは少なく、国は悪い女で滅びる(笑)

      しかしこれから先どうなるのでしょうね日本、安倍さんや麻生さんは何も考えていないようですが、有史以来最大の危機が迫っている気がするのですが・・・。
      やはり愚かなものが偽りの善を行い、民衆がそれを見抜けず悪魔を呼ぶと言う聖書の記述は、過去の政治家の愚かさも、今もそこだけは永久に変わらないものだと言う事を書き記しているのかも知れません。

      3月17日に初ツバメがやってきました。
      例年より1週間は早い気がしますが、いよいよ百姓には「春」がやって来たんだなと言う感じです。

      コメント、有り難うございました。

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