「未来への投資」・Ⅱ

これに対して一方、全教育支出に占める私費負担、結果として民間各家庭の親の支出だが、日本は33・3%で韓国、チリ、アメリカに次いで4番目に高く、教育段階別比較では、例えば大学の各国の平均負担比率が30・9%なのにも拘らず、日本は67・5%を民間の親が負担していて、これは幼稚園などでも各国平均が20・3%となっているにも拘らず、やはり日本の親の負担は56・2%と、大変高いものになっている。

更に国公立中学校の1学級当たりの平均生徒数でも日本は33人、OECD加盟国中比較可能な28ヶ国中、下から2番目に生徒数が多く、小学校の児童数でも28人となっていて、これも下から3番目の状態だが、各国の平均は中学校が1学級当たり23・7人、小学校では21・6人となっている。

それに教員1人あたりの児童数では、私立学校も含んだ数字で日本は18・8人、中学校では14・7人となっていて、こちらもOECDの平均値である小学校16・4人、中学校13・7人を上回る結果となっている。

勿論OECDは1学級に措ける生徒の少なさが、その教育水準を保証するものでは無いとしているが、一つの目安として考える上では、気にせずに済む問題では無い様に思えるし、これは1人の教員が受け持つ生徒数に置いても同様のことが言えるだろう。

また決定的なのは社会が高学歴を求める中で、その教育に関する政府支出が低く抑えられていることは、事実上大変高い租税を負担しているのと同様だと言うことであり、こうした中で配偶者控除を廃止し、また消費税増税を導入するなら、そこに発生するものは教育期間中の子供を持つ親に対する更なる圧迫であり、教育の阻害だと言う事実だ。

日本政府はこうした統計を踏まえ、選挙毎にGDPに措ける教育支出比率を上げると断言し、その一環として「子供手当て」の支出や、高等学校授業料の公的負担をその施策としてあげているが、例えば「子供手当て」にしても政府公約にも拘らず、その半分は各自治体にも負担させている形式が多いことから、各自治体はその分他の施策を実行できなくなって来る恐れがあり、これでは政府は格好だけつけて、その苦しみは地方自治体に押し付けているだけと言うものだ。

またこうした支出は確かに統計上は教育関連の支出となるが、その実態は苦しい日本経済の中で、母親の携帯使用料や父親のパチンコ代に消えたとしたら、そこには何の効果も残らないのであり、その可能性も高いことは、デパートや観光産業の「子供手当て」を当て込んだ企画の多さを見ても明白だろう。

親の子供教育に関する負担の軽減が目的で支出される公費を当て込んで、これをお客様と考える餓鬼同然の業者が、さも当たり前に跋扈(ばっこ)し、またそれを何とも思わない社会に措いて、子供手当てはただのバラマキとしか見られていないことを、この社会の実情から政府は認識すべきであり、このような公費の支出は「個人分配形式」である限り、教育関連支出とはならない。

こんなことを続けていては、日本は現在も暗ければ未来も暗く、唯思い出すは過去の経済大国の栄光のみと言うことになってしまう、いやもう既にそうなっている。

※ 本文は2010年10月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「未来への投資」I・II

    お金持ちのBF学生が高等教育を受けて、そこから毟り取ったお金で(笑い)優秀な学生に安価・無償で教育を授ける事には大賛成です。
    でもま、そう言うBF学生は箔を付けるために、もしかしたらカイロ大学へ行くかもしれないし、質問されて、現職の国会議員がアメリカの母校へ卒業したかどうか聞きに言ったりするので(笑い)、国家と地方自治体は、教育にもっと金を掛けた方が良いでしょう。但し、平等とか言う世迷言はやめて無償化は、悪弊となるだろうから、制度は巧妙に設計した方が良い。

    広田弘毅の父親は、問われて、飯だけ食わせて置いたら、ああなった」と答えたらしいが・・家庭における最大の投資は子弟の教育でしょう。

    本邦では民間企業から、時々ノーベル賞を受賞する方が出て結構な話ですが、「2番じゃダメですか」と言う、中身は全く軽薄だが修辞法に長けたBF議員が大量生産されているようで、それは、日本人がその程度に成ってきていることの反映かも知れないのは、背筋を寒からしむる話。

    南米に移民した方々が、落ち着いて最初に作るのは小中学校らしいが・・一歩進めて、少し違和感は有るかも知れないけれど、それぞれの出身地域や有名どころの神社も分社・勧進して、自然~神~日本人の「まこと」を再自覚できるよう建立したら良いかも知れない。

    チンパンジーも1人で飼っていても、大きなチンパンジーにはなれるが、大人のチンパンジーには成れない、それ以上に、衣食住を十分に与えても、教育がしっかりしていいないと、大きな人にはなるが、未来を託すべき大人~日本人はならない。エダノ~ヤマモト~ハトヤマだのには成るだろう・・怖くてワイルドな話(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      日本の教育のお粗末さは1970年代の日本のODAによく似ていますね。
      ひたすら食料やら物資を与え、それをして充実と考えた在り様は愚かでした。
      本当は彼らがその地域で生きて行く術を教え無ければならなかった訳で、もっと言えば生きて行く希望、どうしたら安定して暮らしていけるか自分たちで考える事のできる術を伝えなければならなかったと思います。
      教育もまた然りで、方程式や定理がなぜ必要なのか、生きる為の道具であることを教えねばならない所を、表面の暗記だけ教えて教育をしてしまった。
      思想哲学、美学、生きる意味が最終目標だった事を忘れていただろうと思います。
      でもそれを含めて、頻発する災害や今般のウィルス騒動は、得ようとしても得られない大切な師となったのではないか、そんな事を思います。

      コメント、有り難うございました。

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