「曖昧な境界」・Ⅱ

生物の生殖活動が常に「拡大」にあるのは、自然の在り様が常にそれを拒む状態にあると言うことで、ここで危険がなくなり生命存続の確率が高くなると、それに比例して生物の生殖活動は低下していく。

結婚の概念に関しても、産業革命によって早くから物質文明、資本主義文明を迎えた欧米社会では、結婚と言うものから生殖活動が切り離され、第二次世界大戦以降は「伴侶性」が重視されてきた。

これは結婚が生殖と言うものの為だけに有らず、生きる上で男女が協力し合うことに結婚の価値の重きを見たものだが、こうした傾向は物質によって満たされ、ある程度の成熟した社会の概念であり、これによってどうなるかと言えば、生殖の方が相対的に後退し、尚且つ現代社会のように性交渉による快楽と生殖が切り離されて、それが半ば商業的、資本主義化した時代になると、結婚そのものがデメリットでしかない社会が発生して来ることになる。

また「伴侶性」が結婚の重要な概念であるとすれば、その伴侶となるものは生殖を伴わずしても構わない事になり、欧米の価値観が「伴侶性」を概念し始めたことにより「同性愛」は価値観として承認される土壌が形成され、こうした背景から古くから人間の価値観の中にあった同性愛は、一般的な市民権を得るようになって行ったが、そもそも人間の営みはそれ自体が自然界に対する挑戦であり、こうした関係から人間は生物界の禁忌にもことごとく対抗して来た歴史がある。

およそ生物学的な生物の中で、特に種族保全の危機もなく近親相姦が行われ、それが社会的に成立できる社会は人間界だけであり、また同性愛と言うものも然りである。

他の生物社会に措いて、生殖を伴わない性の関係は存在せず、遺伝学的に将来その種族全体に劣勢をもたらす生殖活動は、その生物の本能がそれを否定していく。

しかし人間の社会はその時の社会情勢によって、平気で男女と言うもの、生殖と言うものの概念を作り変えながら現在に至り、それゆえ人間の男女の概念、生殖と言う概念は常に不安定なものとならざるを得なかった。

従って「gender」(ジェンダー)の概念、つまり社会的に男とは、女とはどのようなものかと言う性別の概念は、人類の歴史を通して常に存在し続けてきたテーマであり、ここで男女を人間として同等の権利を有するものとの考え方から、その機能的な役割や特性、つまり男女の性差による傾向までも無視した原則的な平等論が発生したことにより、さらに男女の概念は近接し、社会進出が目覚しくなった女性は、子供を産むと言う生物的な価値観の濃度を希釈していった。

また男性も従来からの競争社会の中へ、新たに女性までが参入して来る中で、そこに生殖や性差としての女性に対する見識を希薄なものとせざる得ない状況から、ここでも従来よりは女性に対する性的意識が希釈され、結果として男女とも「男である」、「女です」と言う意識が軽くなってしまったのである。

そしてこれは日本の例だが、「DINKS」(double in come no kids)と「DEWKS」(double employed with kids)の区別、つまりは共働きの夫婦による、子供を持つか持たないかと言う意識にしても、「DINKS」すなわち子供を持たずに共働きで生活を楽しみたいと言う夫婦は、1991年では2・3%しかなかった。

しかしこれが僅か3年後の1994年の調査では、「DINKS」容認が62・9%にまで上昇し、「DEWKS」、いわゆる共働きしながらも子供を持ちたいと言う夫婦の2倍以上に急上昇する。

この3年の間に日本に何があったかと言うと、「バブル経済の崩壊」がそこに横たわっているが、こうしたことからも分かるように、人間は一度豊かな暮らしを経験すると、次に貧しい時期が来ても元には戻らず、結果として過去の豊かな暮らしを最優先していくと言うことであり、生殖と言う事を考えるなら、一度豊かになった社会がその後貧しくなった場合は、その生殖活動はさらに低下していくと言うことであり、さらに希薄になった男女の境界は、男も女もその性差によるところの魅力を希薄にし、中性的な男女を増加させ、そこでは「同性愛」もまた増加して行くと言うことになるのである。

人はそれぞれが男女と言う大前提の下で暮らしているが、その実日々の中でも男と女の間を相互に行き来しながら一人一人の営みが為されている。

そして今この瞬間、自分が男の立場で行動しているのか、女の立場で行動しているのかと言う事は通常自覚できない・・・。

※ 本文は2010年11月11日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「曖昧な境界」I・II

    グルメ番組で、「女性にも優しい・・」「女性が好む・・・」と女性が自ら差別的発言を連発しているが、男性の上司から言われている風でもない(笑い)

    LGBT・Xについても、それに基づくであろう差別にしても、ワルイ頭で考えすぎ~平等にすべきだから、法で規制すべきだとかも、浅知恵としか思えない。
    これらの事柄については、記録が余りないと思うが、社会が作り出したか、DNAが作り出したかは、これらを分離できないので、考えても意味は無いが、多分数千年前から同じことが、起きていたに違いない。当時は生きる事だけで精一杯だったろうから、如何言う解決にしたかは知る由もないが、一歩踏み込んで考えれば、ヒトと極めて近いチンパンジーが如何言う経過を辿っているかを丁寧に観察すれば良い。
    予想されるのは、何も問題なく、そのまま受け入れられている、と言うものかも知れない。だとすれば子孫が残らない事が多いだろうから、遺伝子と言うよりサイコロが転がって起きる偶然であろうから、そのまま受け入れる、と言うのが、良いのかも知れない。ただ、ヒトは、他の動物でも、自己の適応度を高める、つまりなるべく多く子孫を残す、と言う命題を達成するために、他者を差別すると言う事が有るだろうから、生存が容易になれば、発生そのものは不変でも差別は、減少するかもしれない。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      ローマ、ギリシャの例を見るまでもなく、リアルタイムで日本と世界は、男女の境界が危うくなっている光景を見ている訳ですが、これも大局的には自然の摂理と言えるのだろうと思います。
      第一次欲求、食欲と性欲は共立関係に有り、どちらかが衰えると、片方も衰えます。
      また基本的にこの欲求の動機は「飢え」ですので、周囲にこうしたものが無い状態の時が極太と言えます。
      振り返って食は満たされ飽和状態も良い所で、街には異性とその欲求を満たすものが溢れかえっている。
      この状況では第一次欲求は減衰するしかなく、男女の境界は加速的に怪しくなる。
      ひと昔前なら「オカマ」と言われた劣勢がマスメディアに認知され、思想的指導者とも言えるメディアで持論を展開する。
      この状態を危ういとも思わぬ民衆が在り、刹那的に今日を生きる民衆に引っ張られて、街は斜陽の様相です。
      日本は今、あらゆる意味で翳りを迎えている。
      ここをどう生きるかが大切と思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「飽和反転経済」

    人口が増加し続けて、需要が増加し続けたのは、せいぜいこの100年程度であり、資本主義が、確立したのも、これと同時であり、常に増産してしまうようになっているが、その認識を改める事から、社会を見た方が良い。
    個人商店は、作って売るだけで精一杯で、残りは損失になるだけだから、経験その他から、売り切れる量を見込んで作るだけであるるが、生活の資に足りないからと言って、売れない量を作るバカは居ないが、資本主義者は、費用逓減とかに目が眩んで、他者を追い払って、自社製品を売りたがるが、一定の量を超えれば、費用逓増するのは必然だろうに、甘い幻想から抜けきれない。
    今は色んな意味で人口減少の局面であろうから、肥満を減らして、生き残る事を考えた方が良いが、GAFAを始め、使い切れない富を蓄積したがる、本能が壊れたヒトや業界が発生している風だが、理性有る者が、それらを力で再分配することも必要かもしれないが、「共産主義」は、失敗の最も大きな事象の一つだろうが、未だにヒトを魅了している程で、ヒトの知恵は知れているのかも知れない事に、気づけないかもしれない(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      共産主義だけではなく民主主義も誤りでしょうね・・・。
      およそ人間の理想は自然や物理的な合理性の対極にあり、しかもコントロールが効かない。
      需要の不足と言われて誰も疑問を持たないし、考えたこともない。
      しかし、需要とは本来無理に作るものではなく、最低限を満たすものであることを理想とする。
      生きる為に最低限の必需品をこそ正規の需要と言え、こうした考え方の先に質素倹約と言うものの双方向の摂理が横たわっているのでしょうね。
      今や生きる事より金、経済が至上となった人間社会は自分で大切なものを見ようとせず、逃げている。
      そして本来の道を見よと言えば、逆切れして薄い経済理論でまくしたてる。
      「最短距離を行く」は、あらゆる意味で生きる事の最短距離で有り、経済はその一つの方法でしかないと思っていますが、多くの人は自分で意識することなく、経済を至上に置いている。
      「王将」を忘れ「飛車」を守る訳です(笑)

      コメント、有り難うございます。

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