「権威の喪失」・Ⅱ

経済と言う実質を失った1990年代初頭の自由民主党は、国民に権威を示すことができなくなり、そこで発生してきたものは貧しくなった経済状況から沸き起こってきた平等と言うマイナス成長的発想だった。

いわゆる経済が悪化したのは国家機関の不正や腐敗が原因だと考え、そこから実質政策より、為政者の人間性や人格によって政治が選択される風潮が始まったのである。

全く政治的な目標も覚悟も無い者、しかし清廉潔白で人当たりの良い、また血筋の良い者、こうした者であれば経済を立て直してくれると言う幻想を持った民衆の願いは、1993年細川護煕(ほそかわ・もりひろ)内閣を誕生させるに至った。

そして結果は散々なもので、ただ清廉潔白な理想主義内閣が引き起こしたものは、更なる混乱と、言葉が実質に伴わないことによる社会秩序の完全なる崩壊、あらゆる価値観の虚無化だった。

またこうした風潮から、それまで右肩上がりの経済が支えてきた日本と言う国家が民衆に与えていた価値観は、銀行や証券会社の倒産、老舗食品メーカーの偽装表示、国家権力の濫用、最終的には年金問題や食料管理体制の中で起こった米の偽装表示にまで及ぶ不祥事、問題を引き起こし、ここに完全なまでに国家を超えてそれまで日本人が持っていた「信」が失われ、このことはつまり国家の権威をも完全に消失せしめた。

バブル崩壊後10年、この時期を「日本の失われた10年」と呼称するが、西暦2000年に入って日本経済は回復したと政府は発表したが、その実民衆の暮らしは全く好転せず、どんどん低下して行ったのであり、こうした民衆の実情は政治にも常に平等を求め続け、一時期自由民主党「小泉純一郎内閣」の時はこうした風潮が見直されようとしたが、国民の貧しさは結局自身等の痛みを恐れ、小泉純一郎内閣が終わると、また元の政策よりは人柄政治に戻って行き、ついには2009年、民主党が衆議院選挙で圧勝し、ここに「鳩山由紀夫」内閣が誕生したのである。

日本の政治はバブル崩壊後、一貫して「演劇内閣」だった。

そこではパフォーマンスが全てで、中身など全く必要の無いかのような有り様が続いていたが、これを総仕上げしたのは2009年に発足した民主党政権であり、ここでは政策が無く常に民衆に対する「説明」が最重点事項となり、その最たるものが「事業仕分け」なる説明パフォーマンスだった。

これは失われた権威を「平等」や「公平性」と言ったものによって復活させようとするものだが、その一方で民主党政権はあらゆる選挙公約を反故にし、ここでは最後少しばかり残っていた国民の希望までも革靴で踏みにじり、さらには言葉を完全にないがしろにしながら、それぞれの国会議員が自分自身の小さな権威を守ることに終始する様相となって行った。

すなわち民主党は細川内閣と同じ道を辿っているのであり、今日本は二段階に渡ってその「権威」が壊されている最中とも言える。

選挙期間中は沖縄に媚を売って基地問題は白紙と言いながら、その後アメリカから脅されればまた元に戻し、こうした蛇行する日本とアメリカの姿に中国が楔を打とうとしたのが、尖閣諸島の中国船領海侵犯事件である。

だが中国の行動にはある程度のセオリーと言うものがあり、例えば尖閣諸島の漁船など始めから人民解放軍が絡んでいることは明白で、中国の意図は単なる様子見でしかなかった。

いわばチンピラが虚勢を張って、それで周囲が怯えた振りをすればそれで良かっただけのことであり、この場合日本は漁船を拿捕したら、すぐに中国政府に伝えて、極秘裏に解放し、そして映像があるなら、それを「今日こんなことがありました」ぐらいに放送しておけば良い程度のことに過ぎなかった、中国もその程度の反応しか期待していなかったはずである。

しかし万事に置いて自信、つまり権威の無い民主党首脳部は、ここでもやはり国民に説明責任の必要性があると思ってしまう。

この辺が政権与党と言うものになれていない政権と言うこともできるが、ハエを追い払うのに「領海侵犯」など言う大そうなものを持ってきて、しかもその背景には根拠、つまりそうしたことを言って責任が取れるものが無い。

こうした日本政府の行動に一番戸惑ったのは、もしかしたら中国政府ではなかったのだろうか。

予期せぬ反応、つまり原則論を主張してきた日本政府に対して取れる行動は、やはり中国の原則論でしかなく、そこから発生した中国国内の言葉には出せない中国国民による中国政府に対する不満は、日本への暴動へと転嫁し、ちょうど中国で反政府活動家にノーベル平和賞が授与授与される問題が、中国国内で政府批判となって波及することを恐れた中国政府は、これは天の助けとばかりに飛びつき、追い詰められるところまで日本を追い詰めよう・・・と言うことになったに違いない。

そしてこうした追い詰められた状態の対応になった日本政府は、追い詰められて初めて自分達の言葉を担保するものが全く無いことに気づき、遅ればせながら超法規的措置で中国漁船の船長を解放したが、時既に遅し、対応のまずかさから、本当は日本国内でもそれほどの問題となるべき問題ではないものが、大問題となってしまったのである。

漁船の船長が人民解放軍の者かどうかは関係が無い、つまりは中国の漁船が間違って日本の領海へ入ってしまったと言う、建前上の体裁を中国は用意しているのである。

これに対して一々「領海侵犯」などと言う面倒くさい事を持ってくることなく、「ああ、そうですか、では次から気をつけてください」と対応するのが国際的な大人の国家と言うものだ。

そこで自分達が国民からも追い詰められていることから、僅かなことに過剰な正義感を持ち出し、後には引けなくなった民主党幹部達、その後も正直に言えば良いものを、解放するときまで国民に対して自分達は悪くないと言いたくて責任逃れをし、そして那覇地検と言う、本来が国家的な超法規的措置を判断できない地方機関に責任を押し付ける有り様は、既に子供にすら大人がこの国家の威信、権威について語れなくなるほどの稚拙な行為と言える。

「権威の喪失」Ⅲに続く

※ 本文は2010年11月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。