「権威の喪失」・Ⅲ

こうした領海侵犯の場合、解決策は2つしかない。

原則領土問題の解決は軍事力しか解決能力が無い。

だからこそ各国は領海侵犯の場合は、即時解放して穏便に済ます形態が多く採られているが、これに徹底的に対抗する場合は、軍事力を権威としなければ、そこに効力が発生しないことから、今回の日本の場合も、原則を貫くと言う場合は日米同盟に基づいて、尖閣諸島へアメリカの太平洋艦隊の移動要請を行う必要があった。

しかしそうした用意も無く、チンピラの虚勢に食ってかかるありようは国際社会からしても評価されないばかりか、これまで権威の遺失が日本国内だけに留まっていたのものを、世界に対しても露呈した結果としかならない。

また最終的に領海侵犯事件を超法規的措置によって解決した場合は、少なくとも総理か官房長官は漁船を拿捕した海上保安庁の現場職員のところに赴き、そこで一席設けて酒の一杯も注いでまわり、「すまない、日本は今中国に対抗するだけの力がない、諸君等の気持ちを踏みにじったことは許してくれ」ぐらいのことは言うべきで、こうしたことも無いからこそ海上保安庁内部から拿捕現場の映像が流出するのであって、本心はどう思っていようと構わないが、その立場にいる者たちの人心を無視することは、結果として国家が必要する権威を無視することと等しいのである。

恐らくこれから先、拿捕映像を流出させた海上保安庁職員の罪を問うことはできないだろう。

当然だ、領海侵犯を犯した中国人船長は不起訴になり、そこで自国の正義を信じて船長を逮捕した機関の職員、また国家の体制に対してその正当性の所在を問うた者を起訴したとしたら「法」は全く根拠を失うし、また既に日本の「法」などこうしたものなのだな・・・と言うことが国の内外に知れ渡っている。

今回の尖閣諸島に措ける領海侵犯事件は、ある種戦後日本が口に出せず、また考えれば考える程どうしようもない、日本の「権威」について結果を出さなければいけない時期が来ていることを示しているように思う。

本来領土領海を守るのは軍務であり、こうした観点から自衛隊がその職務に当たっているのが正しい有り方だろう、また例え国土交通省の海上保安庁が拿捕したとしても、それが領海侵犯となったとしたら、それを管轄するのは自衛隊の職務になり、その上で政府が超法規的措置を講じるのが分かり易い。

それを一度は「領海侵犯」としながら、また単なる中国漁船の勘違いで終わらせようとし、那覇地検に戻すと言う有り様は政府が判断しなければならないことを検察庁が判断する事になり、これでは検察庁が国権の最高機関、政府を超えた権限を持つことになる非整合性に対する説明が付かない。

自衛隊の立場と共に、こうした超法規的措置の存在は全て政府責任が原則である世界の事情を鑑みるとき、国民が全くこうした超法規的措置を認めないと言うことは有り得ず、また「現状で中国人民解放軍が日本に対して軍事行動を起こしても、北朝鮮軍が日本に対してミサイルを撃ち込んできても、日本はどこにも逆らうことができません」「全て我慢するしかないのが現状です」と言った時、それをして日本人の誰が政府を批判するだろうか、いやできるだろうか。

この状態を容認してきたのは日本人、国民であり、今一度こうした難しい課題に付いて国民の議論を喚起させることが、国家の「威信」や「権威」を傷つける事になるだろうか。

私はそうは思わない。

国家の権威が「信」であるなら、その「信」は現実をして最も大きくこれが担保されるものであり、そこでは今回のような表面上の体裁や、自己保身のための正当性や正義のために行われる、覚悟の無い言い逃れこそが「不信」と言うものである。

バブル経済崩壊以降、あらゆる機会でその権威を失ってきた日本、今また民主党政権によって僅かに残った国家の威信までもが瓦礫に帰そうとしているが、個人的な正義や権威は大きな正義や権威を破壊し、あらゆる価値観の根拠となる権威を失った国民は、国家のみならず全てに措いて失望し意欲を失う。

そのことに気づかず、さらに頑なに自分達だけの小さな正義や正当性をどれだけ主張しようが、それは「信」に逆行するものでしかなく、民主党は既にただ国民から血をすする寄生虫に過ぎない・・・。

「権威」と言うものは謙虚なもの、また自分の身の程をわきまえた正直なものを好むが、それはまた国民が好むものと言う事ができようか、そして惜しむらくは政治家と言うものが権威者になろうとすると、国を滅ぼす。

※ 本文は2010年11月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「権威の喪失」I・II・III

    外交の本質は、国益の確保伸長であり、善隣友好は、手段でしかないが、近年、大きな誤解が発生して、それが目的化してきているが、これは強ち、色んな理由で責められない状況下に追い込まれている。

    正義はそれを実行する力、簡単に言えば、軍事力であるが、日本の軍事力そのものは、同等程度の諸外国と比べてそれほど遜色はないが、子供会の会則のような「平和」憲法とそれを信奉する者たちの反対により有効に使うことが出来ずに、檻の中の虎状態であり、本来的外交が、出来ていないし、国民の多数は、いつもそうであるが、現状が何となく続くと言う正常性バイアスが掛かっていて、真剣に物事を考えていない。
    経済の信用だって、軍事力なしには成立しない~負けそうな国の外債を買うバカは居ない。

    そういう状態が長期間続くと、思想も組織も本来的な理解・機能から遠ざかって行き、使い物に成らなくなる、そう言う意味では、権威を喪失する。国家の第一義は国防と国民の安寧で、軍隊は、そのための手段であるが、国家観を無くし、軍隊が災害派遣専門組織に成っている様なものだ。

    或る程度回復するには簡単で、竹島でも尖閣でも、警告を与えて、期限を切って、国際法に準じながら、伝統的手段でもって、敵を攻撃~排除すればよい。勿論それまでに、他国に日本の正当性を何年も掛けて、宣伝して、我が方の味方に付けておかなければ成らない。大変な困難だが、今となっては、内閣が一つ二つ総辞職するぐらいの覚悟がないと出来ない。かつて社会党となれ合いで、国会で遊んでいた付けが回ってきた。

    指導者が自分の欲がでれば、全体を見られなくなり、己の生に執着すれば、国を失う~~♪

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      日本は正確には独立国家ではなく、準独立国家です。憲法を担保すると言う事は主権を担保すると言う事ですが、日本は勝てるか否かと言う以前に「力」「軍」を持っていない。
      現在周辺諸国の例えば最貧国である北朝鮮と戦争しても勝つことはできないでしょう。
      それは憲法や国会が勝つ事を目的としていないからです。
      勝たねば負ける訳ですから、日本国憲法の下では常に負けるしかない、つまり戦争はできないなら敵の言いなりと言う事です。
      ただし、この部分の最低ラインをアメリカが担保しているから日本は独立国家のように見えるだけです。
      そして国民はこの状態を長く経験し過ぎている。
      太平洋戦争が終わって75年、既にリアルタイムで国土を守る事が命がけで有ると言う常識的な事すら実感できない社会で生きて来た人間には、その重さを書物で知る事は有っても、現実を知らない。
      ちょうどスーパーで売っている鶏肉が、生きている鶏だと言う事は知っていても、現実にそれを見たことが無いから、鶏肉が元は一つの命で有った事を知らず、これは美味いだの、これは不味いだの、ブランド肉だの言う話になって、捨てられている猫は可哀そうに思っても、鶏肉に感謝する者がいないのと同じ事です。
      これは唯ひたすらに現実の経験でしか培われないものですから、日本はこれから大いに苦労してそれを経験して、軍を持つのが正しい手段と言えるでしょう。
      今の安倍政権程度の組織がそれを言うのは100年早い・・・。

      コメント、有り難うございました。

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